おもいでぽろぽろ⑥どん兵衛2つ[母が認知症になりました。]
母は天然ボケだ。
その日の気分によって態度が激変することもあるので油断は禁物だが、基本的に可愛いひとなのである。BGMにウルフルズの「かわいいひと」が聞こえてきそうだ。
私が高校生の頃のお話。
「カップヌードル」が発売された1970年代。「どん兵衛」も、俳優の山城新伍と川谷拓三のコンビによるおもしろいCMがガンガン流れていた。
多分、母はテレビCMを観て、「一度食べてみたい」と思っていたようだ。
「食べればいいじゃん」と簡単に思う人は多いだろう。
しかし、あの時代、世の中に出始めたばかりの「インスタント食品」をそんなに気軽に買う人は多くなかった。得体の知れない食品だ。体に良いのだろうかと不安になる人もいた。
特に田舎では、何でも手作り文化だ。料理はもちろんのこと、梅干しも味噌も漬物も魚の干物も昔から家でつくるのが当たり前。不便ななかで手間暇かけて作ることが美徳とされる。
現代のように「便利」「時短」「手抜き」なんてキーワードはもっての外。
「インスタント食品」や「レトルト食品」=悪みたいなイメージだったし、インスタント食品を食卓に上げる嫁は料理ができない、悪い嫁扱いだった。
当時は、まさか「カップヌードル」の生みの親がNHK朝ドラのモデルになる日が来るとは誰も想像していなかったと思う。
ああ、話が大幅にズレた。母の話であった。
母も嫁に来て、祖母(故人)に嫁いびりされていた(全然負けてなかったのでいつも激しく言い合いをしていたが)ので、やはり「便利」「時短」「手抜き」な「インスタント食品」は厳禁の家系である。代々漁師の網元で、つまらんプライドだけが残った元旧家だったし。
そんなある日のこと。土曜日で半日授業が終わって、昼には帰宅していた。半ドンってやつだ。
自室にいると、ドア1枚隔てて、母の声が聞こえてきた。
「トントン」
これは、手がふさがっていてノックができない時に母が口で言う擬音だ。
どう? かわいいでしょ(笑)。
ドアを開けると、母が両手でお盆を持って、笑顔で立っていた。
「どうしたの、それ?」
お盆には、「どん兵衛」が2つ、お湯を注いで蓋をした状態でのっている。それとお箸が2膳。
母は「シーッ」と、回りをうかがいながら、部屋に入ってきた。
小声で「おばあちゃんに見つかったらまた怒鳴られるやろ? だから、ナイショで2人だけで食べよ♪」と言い、いたずらっ子のような表情だ。
部屋の床にお盆ごと置き、それを挟むようにして母と娘は座る。そして、2人でずっと「どん兵衛」を見つめた。
「お母さんねぇ、テレビで見て、おいしそうやなぁと思っとって。1回食べて見たかったん♪」
ニコニコしながら「どん兵衛」を見つめる母。
「おばあちゃんがおったら絶対に食べられんやろ? だから、言うたらダメやよ」
「お湯入れて5分って書いてあるね」
「うん」
「5分経ったかな?」
「まだ2分しか経ってないよ」
「まだかな?」
「まだだよ」
「もう5分経ったかな?」
「あと1分ぐらいだよ」
「もういいかな?」
「もうちょっとだよ」
母さん、すごい心待ちやん。
「もう5分経ったよ」
ずっと「まだかな」「まだかな」と言い続けた母の期待感はMAXになっていた。
そして、母がワクワクしながら「どん兵衛」の蓋を開けて……みると……。
あれ?
「母さん、これ、どうしたの?」
「え?」
そこには、ただのお湯に、スープの素が袋のままプカプカ浮いているのが見えた。
スープの袋は未開封だ。ただただ、プカプカだ。
「……母さん……スープの粉を最初に入れなきゃ、お湯に溶けないよ」
「ええっ!? そうなの? お母さん、知らんもん、そんなの。お湯入れたら袋からスープが染み出すんじゃないの?」
「染み出さねーよ!」(ツッコミ)
もしそうだったら、当時からすごい技術だよ。
ただお湯入れただけでできると思っていた母。
なんだったんだ、この5分間。
「どん兵衛」を挟んで、首を長くして、ただただ待っていた母と娘の図。
客観的に見たらすごーくおマヌケである。
こういうお湯を入れるタイプのインスタント食品の作り方は今では誰でもできると思う。
でも、あの時代。田舎にいて、初めて食べる「良くないと言われている食べ物」……それもこっそりと……あの背徳感!
真っ赤な顔をして言い訳していた母。
二人でクスクス笑いながら食べた「どん兵衛」の味。
失敗しておいしくなかったけど、ある意味おいしかったあの日。
今でも「どん兵衛」を食べると思い出すよ、母さん。
楽しかったね。
…………
認知症になってしまった今でも母のかわいらしさは健在だ。
でも時々、他人の悪口を言う。
毎日世話をしてくれているのに、「息子が金をくれない」と嘆く。
施錠されたドアを「開けて!開けて!」と叩く、徘徊が始まった母。
ねぇ、母さんの記憶はどこに行ったの?
母さんの意識はどこにあるの?
意識と行動は別なところにあるの?
意識の端かどこかで本来の母さんは見ているの?
幸いなことに母は死んではいない。そこに居る。
しかし、すでに母とまともな会話はできない。
「あの時、ああだったね」「こういうことあったね」なんて思い出話もできなくなった。
もう少し経って、私さえ忘れてしまったら……。
母の「容れ物」……そんな状態になるのかもしれない。
ココに居るのは、母であって、私が知っている母ではないのかもしれない。
母を見ていると、とても複雑な気持ちになる。
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