2杯のタピオカティーを大切に持つあの人

 今、電車で僕が座る、目の前の座席に座っている女性が、赤いジグザグ模様のプラ袋にタピオカミルクティーを2杯入れた袋を大切に持ちながら本を読んでいる。なぜか、その姿がいいと思ったからこうして書いているわけだが、特別良いと思ったポイントがあったわけではない。行為が良いのだ。誰と飲むための2杯なのか。何の本を読んでいるのか、その本はどこで買ったのか、想像(妄想)を膨らませる余地がある。

 人の物語というのはそういうところから始まると思う。電車で寝ている人はたくさんいるが、その人はなぜこの時間電車に乗っていて、なぜその服装で、どこから来てどこへ行くのか、当たり前だがそこには必ずストーリーがある。僕はその瞬間しか出会わない人の、僕と同じ空間と時間を共有する前の、その後のストーリーを勝手に考えるのが好きだ。今隣に座る人はスマホで何を見ているのか(大抵インスタかTwitterかYouTubeなのだが)。イヤホンで誰の何の音楽を聴いているのか。どんな気持ちでその曲をセレクトしたのか。それを考えることはとても有意義であると思う。

 上京してよく見かける現象で、「駆け込み乗車」がある。地元で電車を使わない生活をしていたし、電車なんてものは1時間に1本のダイヤだから、大抵みんな早めに来て逃さないようにしている。駆け込み乗車は、本当に危険だし、多方面に迷惑をかける行為であるからぜひ無くなって欲しいと思う。だが、その人がなぜ駆け込んでまでその時間の電車に乗り込まなければならなかったのか、それを考えるのも実は好きだ。朝であれば、普通に遅刻してしまうから、という理由が上がるが、ではなぜ遅刻してしまうのか。なぜ遅刻してはならないのか、も考えてみる。普通に寝坊したのか、寝坊したのはなぜか、アラームかけ忘れ? 二度寝? 二度寝気持ちいよねなどとどんどんいろんなことを派生して考えていく。今日の化粧や香水はいつもと違うのかな、どんな気持ちでそれを選んだんだろうなどと、『プラダを着た悪魔』の導入部分のようにモンタージュで想像していくと、誠に勝手な像ではあるが、その人が見えてくる。もしかしたらその人は意外と、朝起きて牛を連れて、2時間少しばかり散歩しているかもしれない。そんなところを想像してみると、人というのは意外と「似合わない」ものはないのかもな、とも思えてくる。

 それを聞ける勇気とモラルがあれば、ぜひとも答え合わせをしたい。そう思いながら、また目の前に来た乗客の様子からいろいろと想像を膨らませている。

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