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8月18日(土)私にとってのカンボジアと、友人にとってのカンボジアは、きっとまったく違う姿をしている

友人の学生団体が活動を行なっている小学校へ行ってきた。学生団体を立ち上げた友人は大学1年生の頃から毎年2回はカンボジアに足を運んでいて、私よりもずっとカンボジア歴が長い。

私も3か月ほど住んでみて、カンボジアについて色々聞かれるようにもなってきた。だけど拠点は日系の会社で、プノンペンしか知らなくて、今日みたいな教育の現場には初めて訪れたわけで。

「カンボジアどう?」という定番の質問に対して、私は「思っていたよりも都会ですよね」と答えることが多いのだけれど、当然十人十色の答えがあるわけで。

どんな場面でも、何かを考えたり、外に発信したりする時に、「これはあくまで私が見た一面にすぎないけれど」ということを念頭に置いておきたいと思うのだ。


🇰🇭


たとえばどこか外国に旅行に行って、料理が美味しくなかったとか、人に冷たくされたとか、モノを取られたとかでその国が嫌いになってしまうことがあるかもしれない。

それはたまたま自分がそういう経験をしてしまっただけなのに、それがその国のすべてかのように吹聴する人が、時々いる。一部だけを切り取った印象で、あるかもしれなかった他人の経験を奪ってしまうのはすごくもったいない

同時に好きなものの場合も、他の人が自分と同じように好きになってくれるとは限らないけれど。


🇰🇭


今回初めて友人が見てきたカンボジアを覗かせてもらって、そんなことを考えた。私の中のカンボジアと、彼の中のカンボジアは、きっとまったく違う姿をしている

これまで私が見聞きしてきたすべてのことは、世界の一面でしかないということを忘れるまい、と思った。



もしいただけるなら......都心までの交通費にさせてください......