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「imagine」(江戸川乱歩「鏡地獄」の二次創作:ホラー)

(*画像は河出書房新社 橘小夢たちばなさゆめ幻の画家 謎の生涯を解く p089より。小夢は江戸川乱歩と親しかったそうです)

 
 芸術家は悩んでいた。
「究極の美とは何だろうな」
 そんな事を訊かれても妻は困る。
「私は、あなたが好きなように作品を作ればそれで良いと思うわ」
 人間を芸術家と非芸術家に二分するなら、妻は間違いなく一般人の部類に入る。夫へのアドバイスも至極ありきたりなものだった。
「ふん、お前に訊いたのが間違いだな」
 夫は嘲笑う。
(じゃあ訊かなければいいのに)
 妻はため息をつく。

 夫は独り言を壁に向かって呟くよりは、誰かに聞かせたいらしい。
 相手との差異によって己の優秀さ繊細さを確かめるという、夫の差別主義を知る妻は黙って耳になる。
「今までの作品でどれが一番美しいと言えるだろう。大理石を薄く削って中からライトをあてたオブジェか、水晶の粉末で描いた絵画か・・・・俺ならもっと美しい作品が作れる筈なんだ。美しいとは何だ。見る者が平伏すような威厳、黄金色の煌めき、ダイヤモンドの不可侵な強固さ・・・一体どんな造形でどんな材料なら表現できるんだ」
 ここで
「要するにスランプなの?」
と、バッサリ切り捨てれば夫の機嫌を損ねる。
 分かっているから妻は言わない。
 壁の時計を見上げてエプロンで手を拭く。
「あら、そろそろ山田さんがお見えになるわ。ただのご機嫌伺いですって仰ってたから、気軽にお喋りでもなされば、気分転換になるんじゃない?」
 アトリエの一角にテーブルとソファが置いてあり、夫は客との応対にはその場所を使う。それも自分は芸術家だという誇示の為だと妻は知っている。
(画材や油の匂いが充満する中でお茶だなんて、相手も嫌でしょうに)
 客の気持ちなど夫は考えない。妻の気持ちなど、もっと考えない。

「山田さん、いつもお世話になります。こんな辺鄙な田舎までおいで下さって・・」
「いえいえ、こうして空気の綺麗な所へドライブするのは気持ちいいですよ。あの、このお菓子確かお好きでしたよね」
「まあ嬉しい、覚えてて下さったの」
「喜んでいただけて良かった」
 山田は懇意にしている美術商で、気心の知れた仲だ。
 そこへ夫が鷹揚なフリをしてやって来て
「おー、山田くんよく来たなぁ。まぁアトリエに来たまえ。オイお前、早く飲み物をお持ちしろ。全く気が利かんなぁ」
 夫は山田の肩を抱くようにしてアトリエへ連れていく。
(可哀想に、今度は山田さんが訳の分からない芸術論の犠牲になるのね)
 夫は絵画や彫刻を手掛ける芸術家として知られている。海外の賞を獲って注目されたのが20代の頃。50代の現在に至るまで活躍出来ているのだから才能はあると言える。
 妻は絵のモデルとして出会い、強引に口説き落とされた。20も年下の妻はその熱意を愛情と勘違いしたが、そうではない。
 若く美しい妻を得たからにはやはり優れた芸術家なのだと、己の価値を違う角度から証明したいだけだった。妻は結婚後に気づいたが元来大人しい性格で、それでも夫によく尽くしていた。

「いやあ、妻と話してたんだがこいつ相手では物足りなくてなぁ。山田くん、君はどう思う。究極の美とは何か」
「そうですねぇ。僕なんかの意見でよければ・・・」
 アトリエの片隅で美術談義。飲み物を運んできた妻も付き合わされた。
「完璧な造形が美とも限らんだろう。分かりやすい例ではミロス島のビーナスとか」
「欠けた腕が見る者の想像力を掻き立てますよね。しかしどうでしょう。見る者によっては、『こんな壊れた作品のどこがいい?』かも知れません」
「するとリザ夫人の肖像なんかも、『気味の悪い微笑み』と思う奴もいるかな」
「美なんて主観ですよ。初めは奇抜と言われても、受け入れる人数が増えれば芸術と見做される。政治や時勢の影響も大きいですからね」
「私もここいらで何か一つ、人生の代表作となる作品を作りたい。それにはまずアイディアなんだが」
「美とは何でしょうね。見て快感を得られるもの?感覚は千差万別、十人十色です。誰の心にも共通して存在する琴線に触れるもの?芸術で何かを訴えようとするのは最早心理戦ですよ。美とはまた、大きなテーマに挑まれるんですね。流石先生です」
「いや、まぁ私位になるとねぇ。山田くん、君は若い割に話せる奴だな」
「作品の好みは人それぞれですが、僕は芸術を全く理解しない人間がいるとは思えないんです。創作とは心の奥底、深淵、無意識の領域に眠る何かを表現しようとする行為ではないでしょうか」
「ウーム、面白い。山田くん、今日は泊まっていかんか。酒でも飲みながら話そうじゃないか」
 その晩二人の話は尽きず、妻は先に寝室へ入り休んだ。

 翌朝。
「あの・・・これは一体・・・」
「ああ奥様。おはようございます」
 山田が客用の寝室にいなかったので、もしやとアトリエに来ると、見たこともない物体があった。
「あの、これは何ですの?」
「いやあ。男二人とはいえ、一晩で作るのは苦労しましたよ」
 床に置かれたのは一辺が2メートル程の立方体。アトリエにあった木材やキャンバス地を組み合わせ石膏で塗り固められている。
「先生はこの中です」
と山田。
「ええ?」
「覗いてみますか。ただし、お静かに」
 山田はそっと立方体の一部をめくる。指先程の穴から見た内部には、椅子に座る夫の姿。
「先生は今、構想を練っておられます。究極の美を求めて」
「でも、どうしてこんな」
「外部の刺激を一切遮断する為です」
「・・・」
「美とは概念です。表現するのは難しい。先生は今、一個の人間として自らの深淵へ潜り、不変にして普遍、絶対の美の造形を心の中で想像しているのです。もう一度ご覧ください」
 山田は妻を促す。
「笑っておられるでしょう。身動きが取れず、見えず聞こえず。その状態の中で先生の精神は無限に自由で、美に近づいているのです」
 にこりと笑う。
「楽しみです。きっと素晴らしい作品が出来ますよ」
 妻は呆然としている。

 立方体の中には裸で椅子に縛られた夫。呼吸に必要な鼻と口を除いて頭部は布でぐるぐる巻きにされている。排泄の為なのか、布でおむつのように包まれた局部。異常な姿なのに口元は夢見るように笑っているのだ。
「さ、先生をそっとしておきましょう。すみませんが朝食をいただけますか?力仕事でお腹がすきました」
 山田は更に
「先生が、用のある時には足首につけた鈴を鳴らすから、それ以外は声をかけないようにと仰った」
「僕が覗き穴から健康状態を確認するから心配はいらない」
「言いつけに背けば先生は激怒なさるだろう」
等と妻を言い伏せた。妻が心細そうに山田を見上げる。その肩を優しく抱く。
「大丈夫。全部僕に任せてください。奥様は何も心配はいりませんよ」
 
 妻は大人しく頷き、朝食を作りにキッチンへ向かった。
 山田は覗き穴を捲り、闇の中へ囁く。

「可愛い奥様ですね・・・ご心配なく。僕がきっと幸せにしますよ・・・先生の作りかけの作品も、適当に仕上げて売っておきます・・・まぁ、聞こえないんだから言っても仕方ないか・・・」

 フ、ヒュッ、と芸術家の口元から奇妙な音がする。声は出ない。接着剤で頬の肉と舌は固定されているのだ。
 足首を痙攣のように動かしている。

「どうです。至高の美は見つかりましたか。具現化出来るだけの才能はお持ちですか。そんな真似が出来るのは真の芸術家だけです。先生、心の鏡に問うて下さいよ。あなたは真の芸術家ですか。それとも芸術の演出家ですか」

 朝食が出来たと、妻が知らせに来た。
 山田は恋人のような笑みを浮かべて振り向く。
 アトリエを出る時、ゴミ箱に何かを捨てた。
 小さな小さな金属は、鈴の中の玉。

 

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