経済発展できたのは日本人の国民性のおかげ

前提として、日本人が優れているとか民族間での優劣をつけたいわけではないということを断っておく。国民性や民族性は一長一短であると言うのが私の認識である。

マレーシアに来て気づいたことがある。
日本が発展できた理由の一つに、勤勉な国民性があるということだ。
衰退しているとは言え、未だに世界3位の経済大国で有り続けている誇るべきことだと思う。

なぜマレーシアに来てその事に気づいたかというと、マレーシア人(特にブミプトラ)はとても温厚な一方で時間に非常にルーズな国民性だという現実を突きつけられたからだ。

日本人には考えられないかもしれないが、マレーシアでは遅れてくるのは至極当たり前の社会である。私は過去にエアコンクリーニングや電気の配線修理を依頼したことがあるが、一度たりとも時間通りに来てくれたことはないし、ましてや2日連続でドタキャンされたこともある。

当然、遅れて来られた場合私のスケジュールにも影響が出るわけである。ミーティングをリスケしたことなど枚挙に暇がない。言わずもがな、ミーティング相手の日程もズレるわけである。

これが国全体で毎日起こっているということを想像してほしい。おそらく多くの機会損失や不要な料金の発生などが起こっており、何十億もの損失が出ているであろうことは想像に難くない。それが365日と考えるととんでもない額の損失である。

一方で、期日やスケジュールを守るだけで何十億もの利益を生み出しているという見方もできる。

我々が当然のように享受している日本の社会インフラはそんな勤勉な先人たちが汗水流して築き上げてくれたものなのである。勤勉であるからこそこのスピードで経済発展を成し遂げることができたのだろう。私が思うに30年後もマレーシアが今の日本と同じ水準に発展はしていないだろう。

しかし、マレー人を見ているととても幸せそうである。間違いなく死んだ魚の目をして毎朝電車に乗っている日本のサラリーマンよりは幸せだろう。

我々日本人は幸せについて考え直す必要があるのではないだろうか。
経済発展だけが幸せを手に入れるための手段ではないことはマレー人が教えてくれている。

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