母と私と息子たちの距離
幡野さんの親子の距離感を考えさせられるコラムを読んで、私の場合は如何なものだろうと考えた。
このコラムでは相談者が母である女性で、悩みの種は娘のスマホ利用についてだった。
いま私は4年ほど育児から離れていたが、元夫と暮らす思春期まっただ中の息子2人の希望で私の元へ親権変更をしようと調停待ちである。これから向き合う事になるであろう息子2人とスマホの攻防は目に見える問題なので、このコラムで少し予習をしようと思って拝読させて頂いた。
しかしコラムを読んでいくと【私⇔息子たち】から【私⇔母】の関係に思いを馳せてしまった。奥が深すぎる幡野氏。
コラム中にある
「あなたのスマホをあなたの親に見せられますか?」
という相談者への投げかけに、私は思わずコラムを読んでいるスマホ画面に向かって
「ムリムリムリ。親どころか息子にも見せれねーし、何ならパートナー以外見せたらイカンもんがどっさり!!!」
と、いま手のひらにあるスマホを墓場まで持っていくと誓った。いや、データ削除で済むんだけどさ。思い出は死の際まで残しておきたいじゃない。
そして私は、世の中のスマホ(ケータイ)ユーザーは8割方、そのデータに暗黒歴史を刻んでいると思っている。みんな秘め事なくてはつまらないだろう。
このコラムを読んでいると、これまで大好きな彼氏・彼女のスマホやケータイを見て浮気チェックをし、浮気してなければ何事もなく終わり、浮気疑惑なものを見つけたら修羅に化けるといったカップルの問題が、今は親子の問題にまでなってるのかとおぞましく感じた。
それを思うと、私が子供のころのネット環境は幸せだったなと感じる。
私が初めてケータイを使ったのは小学生のときだった。
母のケータイを勝手に共有物とし、自分の物の如くどこの誰とも分からぬ人間とメル友なんぞになったりしていた。
私はメル友とのやり取りを毎度削除するなんて事もせず、使い終わると母にケータイを返していたが、そのメールを母が見ていたかどうかは知らない。その事について何か言われたことは1度もなかったからだ。
今思えば、顔も知らない県外の大学生と称する男が小学生の娘にメールをしてるなんて恐ろしすぎて笑えない。
母は機械に疎すぎるタイプなので、メールのやり取りはそもそも全く知らなかったのかな、とも思うが、事実は分からないままだし、今さら母に聞こうとも思わない。
そして小学6年生のとき、初めて自分だけのPCを買ってもらった。
今のように子供に対する安全フィルターなんて物は全くない頃である。
親がネットに疎いというのも有るんだろうけども、私の両親は全く干渉してこない人たちだった。私がネットで何見てようが、横からのぞき見ようなんてことは1度もなかった。
「今日も熱心にPCに張り付いて・・・夜更かしするなよ」
と言うレベルだった。
おかげでのびのびと推しのバンドのHPを作り、掲示板とチャットで盛り上がる思春期を過ごしていた。もちろんそのコミュニティには大人も居て、アダルティなお話も飛び交う環境だったが好奇心旺盛な年ごろだったので面白がって食い付いていた。
ここまでは両親の干渉の薄さに今頃になって有難さを感じるが、特に母に対しては他にも色々と凄いなと思うことがある。
これは恐らく私が3兄弟の末っ子長女で、すぐ上の兄とは9歳も歳が離れているという状況もあると思うが、母が思春期の私に放ったひと言が私の中でずっと衝撃的で今でも忘れられない。
私が高校1年生で初めて男性とデートして帰ってきた日、いつもより遅い帰り時間でちょっと怒られるんじゃないかと思いながら帰ったときだった。
そーっと玄関を開けると、キッチンに母が居るのが見えた。父は恐らく書斎で仕事中でその場には居なかった。
私は怒られる前に謝ってしまおう!とキッチンに居る母に帰宅が遅れたことを謝ると、
「今度からは気を付けてね。あと、する時はちゃんとゴムはしなさいね」
サラッと言われた。
当時の私は鳩が豆鉄砲食らった気分で『言うこと、それか!?』と母のトリッキーぶりに狼狽えたが、今思えば、あらゆる言いたい事をまとめてひと言で表すと『ゴムしなさいね』がベスト・オブ・キングだったんだろうと思う。
ちなみにその時はしてないし、むしろその後1年くらい私は処女を保っていたので、母の忠告は少々早かったんだけれども。母として言える忠告は早いに越したことはないという教訓も得た出来事だった。
ここで幡野氏のコラムに戻ると、親が子供を守るために「あれしなさい。これしなさい。まだ子供だからこれはダメ」という感覚は、かえって子供の成長を止めることだよな、と思う。
小学生だった私が、兄の部屋からエロ本を持ち出して眺めていても母は「あら。見つけちゃったの?」で片づけていた。
同じころに兄の部屋からたばこを見つけて吸ってみても「それ!いつのたばこか分かんないしカビしてるかもよ!」と吸った事実より、たばこの品質を心配された。
母は学歴こそないが、人生経験の濃さはなかなかのものである。
なので、母のひと言ひと言は教科書や育児本なんかにはない言葉と、親がやりがちな「あれはダメ、これはダメ」と躾と称した子供を縛るような発言は少ない。
それよりも子供がした事に「これをするなら、こうしなさい」と、経験したこと、これから経験するであろう出来事に助言をすることが多い。
そんな母に育てられてきた私も、子供ができるときつく躾られてきた覚えがないので似たような育児になっていた。
とは言っても生まれて初めての育児なので怒鳴ってることが多い育児だったが、生死に関わるようなこと以外は基本「なんでもやってみろ」精神でいる。
私の息子・長男の話だが、数年前のお泊り面会の日、いつもと変わらずYouTubeを一所懸命見ていた。有名なユーチューバーの動画をキャッキャ笑いながら見ていたと思っていた。
しかしその後、息子たちが元夫の家へ帰り、長男が使っていた私のiPadで音楽を聴こうと開くと、検索履歴に「おっぱい」とか「おっぱい大きい」とかそういった単語の履歴が残っていた。
それ見た私の第一声は
「あらやだ♡」
だった。
私には母からちゃんとその辺の遺伝子が受け継がれていて、さらに息子が「男児」から「男の子」に成長したことにちょっとニヤけてしまった。
女の私でも小学生のときにエロ本が気になって見てしまうのである。小学高学年の男の子なら気になって当たり前だろう。とくにおっぱいな。巨乳という言葉はまだ知らなかったらしいが、その辺もかわいらしい。
私のこの感覚が良いのか悪いのかは分からないが、アダルティなものは大人になれば常識のように目の当たりにするし、避けては通れないし、本能で気になるものは多くあると思う。
それを親が抑制するのはおかしいし、子供のうちに抑制されていたものが大人になって爆発して歪んだ思考の持ち主になったら、それはもう親の責任としか言えないと思う。
成人したら「はい、あなたは今日から大人だから、もう親はノータッチね」なんて非情すぎる。
大事な人格形成期を育ててきたのは親なのに、成人したらそれまでの躾と称した抑制は無かったことのようにされるなんて、無責任じゃない。
私の息子・長男はもう中学生。次男は小学高学年。
私が子供のころよりネットはより身近で、安全フィルターとやらでガッチガチに守られてはいるけれど、興味のあるものは良いも悪いも見て体験して経験にしてほしいと思う。ネットに限らずだけれども。
ネットの中にはなんだか凄い人たちが多く居るように見えてしまって「自分なんて・・・」と何もしないまま諦めて終わらせてしまう節もあるけれど、そこを助けるのがネットにどっぷり浸かって生きてきた親世代の役割かな、と近ごろよく感じる。
育児に正解も不正解もまったく無いけど、 子供が大人になったとき、子供のころの良い経験や苦い経験が糧になるようにって思いながら息子たちに接するのが今の育児なのかなと思う。
色々なものが便利になって、豊かな家が増えてきて、臆病になりやすい時代に生きてきて、良い経験、失敗のない人生を歩んで大人になった人が、傍から見れば小さなミスが当人にとっては大きな挫折になって立ち上がれなくなってる人を見てきたから、親の作った綺麗すぎる人生は怖いなと感じたことがあった。
だから時代錯誤かもしれないけれど、極端な話、ライオンが我が子を崖から落とすような、荒波に揉まれてこい!的な育児が大切な気もする。
守って可愛がってあげたいけど、いい歳こいたオッサンになった息子の世話をする老後は送りたくねー。
私がこれから思春期まっただ中の息子2人を迎えるにあたって気を付けるのは、良いことも悪いことも何かあった時は「あの2人(私とパートナー)に聞いてみよ」と気軽に話せる信頼関係をずっと築いていく努力だと思っている。
今は何でも話してくれるし、年ごろの長男の割には母親にそこまで話してくれるのかい?とむずがゆい時もあるけれど、これは物理的な距離のせいなのか?と思ってしまうときもある。
だとしたら何とも切ないので、何でも話してもらえるように、いや、困ったときだけでも頼ってもらえるような親子の信頼と距離感を、尾行中の探偵のように推し量っていきたい。
幡野さんのコラムは毎回、自分を見つめなおす機会をくれるから面白くて好き。
借金地獄に仏!生きる活力になります!