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依存と信じる力

〝強くて優しい〟
私はまさしく、これに憧れていた。


しかし、当時の私の正体は
〝弱くて優しい〟だったと思う。


斎藤一人さんいわく、
弱くて優しいは〝クズ〟だそう。


今ならその意味が分かる。




崖から落ちそうな友人に、
「つかまって!」と手を伸ばす。


しかし、非力な私には助ける事は出来ない。

かといって見捨てる事も出来ない。


友人は、必死にしがみつく。
非力な私には負担が重過ぎた。

気付けば、助けるどころか、私共々崖から落ちていく。むしろ、初めから私も落ちそうだったのかもしれない。


そこから私が逃げようとする素振りを見せようものなら、友人は『見捨てられた』と嘆く。

そして、もう一度、手を伸ばしてくれそうな言葉を吐く。
それはまるで脅しだ。

「死んでやる!」
「もう関係ないなら、死んでもいいって事だよね。」「今までありがとう」などなど
そんなことを数えられない程体験した。




私は、強くて優しい人間でいたかった。

でも、なりたくてなれるものでもなく、
私は見栄をはるかのように演じていただけなのかもしれない。

見せかけの強さは、何の役にも立たない所か、
むしろ状況を悪化させた。




私には、小学からの付き合いの友人がいました。

彼女は、私を親友と呼び「親友だから気使わない」と、距離を縮めた。


私は彼女の事が苦手でした。
情緒不安定で、人に当たる所が特に嫌でした…

波長が合わないなら、性格が苦手なら、
離れたら良いのに、そうする事もせず一緒にいました。

なぜなら私は、強くて優しい人でいたかったからだ。彼女を見捨てる事が出来なかった。

(書いてて気付いたけど、彼女を利用する事で、強くて優しい人間なんだと自分の事を思いたかったんだな〜。)



そうして、苦手なのに、
我慢してずっとそばにいる事で、いつしか彼女のアレもコレも嫌になり、しまいには大嫌いな人になりました。


〝強くて優しい〟にあこがれていた私は、
大嫌いな人であろうが、「可哀想だから」一緒にいるという選択をした。


いつもそうだった。
可哀想だからという同情で誰かのそばにいた。
(怖くて言えないから。とかもある…)



この行動は、斎藤一人さんいわく
(昔よく自己啓発本を読んでいました。)


相手に〝そのままで良いんだ〟と思わせ、
相手の変わるチャンスを奪う、

相手にも、その周りの人にも迷惑な行為だそう。

はい。今ならその意味がよく分かります。

私はずっと、「自分は良い事をしている」と思っていたし、なんなら「自分は被害者だ」とも思っていました。



彼女は「一緒にいない時でも、いつでも私の事を考えていて欲しい。」と言った。

洗脳されたかのように、私は彼女の望む事をした。

彼女がいない所で、笑っている自分に気付くと、彼女の事を忘れていた事に罪悪感が生まれた。
それは、彼女をさしおいて、私だけ幸せになってはいけないという想い。



彼女の事が怖かった。
いつも不満を口にして、私が少しでも期待とは違う反応をすると、彼女の感情は爆発した。
キレたり泣いたり、そんな彼女にいつもビクビクしていた。


何度か彼女の自殺未遂の様な事があり、その度呼び出され眠れない彼女に付き合った事もあった。

彼女は、私の家庭事情にも「私が言ってあげる。親友だから!」と、首を突っ込んでくる事があった。

父の機嫌が悪くなれば被害が出るのは、私の家庭なので本当にほっといて欲しかった。

そんな私の気持ちとは裏腹に、彼女の図々しさが嫌過ぎて泣いた事があった。
まさか、嫌過ぎて泣いてるなんて夢にも思っていないだろうな。



彼女との付き合いは、15年程続いたが、
ある日突然どうでもよくなり関係を切った。

(私がバックれたような形…
突然、彼女にどう思われようがどうでもよくなった。ずっと握りしめていた〝強くて優しい〟に、こだわるのを捨てた。
周波数が変わった事で、周波数の重い彼女に構う事が鬱陶しく思うようになったのだと思う。)


ずっと、私は彼女に怯えながら、頭の中はいつも彼女の事を優先に考えていた。
そんなこんな、離れてからは、その「何十年分を返せ」というような恨みを持った。
憎しみを持つようになってしまったのだ。

更に、彼女の事がトラウマの様になり、似たような人を見たり、彼女が好きだと言った物を見たり聞いたりすると、拒否反応が出て、「思い出したくない」「もう関わりたくない」と逃げたくなった。

(現在は、トラウマ解消ワークで緩和している。)



さて、彼女と私の関係は、依存だったと思う。
実は依存の関係は、彼女とだけではない。

当時付き合っていた彼氏に
「YUANAの周りって、YUANAがいないと死んじゃうような人ばっかだよね。」と言われた事がある。

意味が分からなかった。

この頃の私は、
〝人は皆、苦しんでいる〟と本気で思っていたからだ。皆ギリギリでなんとか生きていると思っていた。


顔が笑ってる人だって、人前だからとかで無理していて、本当は苦しんでいる。
家に帰って1人になった時には、どうしよもない闇に飲みこまれるんだろうと思っていた。



私がそうだったからだ。

人は、助けるべき存在で、人は皆、自分の力でなんて生きていけないと本気で思っていた。


まさしく、私自身が救われたかったし、1人で生きて行くなんて無理だと思っていたのだ。


私は人を救うつもりで手を貸した。


被害者だとずっと思っていたけれど、
人の変わるチャンスを奪い、
自分で立つ力を奪い、そうやって自ら依存させていたのだ。



それが、
私の周りに依存体質の人を集めた理由であり、
私こそが依存体質製造機でもあった。






この負のループから脱出するには、自分が精神的に自立する事。


自分が自分の足で立てたら、相手の事も信じられる。


信じられないからこそ、無駄な手や口を出してしまうんだ。
そして、相手をそれに依存させる。
期待させ、時には嫉妬が生まれる。
つまりコントロールだ。





人は、自分の力で生きていける。

そう思えるようになったのは、

自分が生きたい道へ踏み出す事が出来たからだ。
出来るんだって知ったから。
だから、〝皆にも出来る〟と自然に思うようになった。
(スピリットに繋がったからってのもある。)



強くて優しいは、手や口を出す事じゃない。


自分の道を突き進んで得た自信
人をも信じる事が出来るそれこそが、
強さと優しさなんだと今は思う。






(昔はとても悩んでいたし、トラウマになる程濃い経験だったけど、今は、スピリットがそれを体験したかったんだなーくらいにしか思っていません。)




☆ナマケモノ仙人(Jacky Len)さんの記事が面白かったので、貼らせて頂きます。↓

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