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ナンバーレス・ランドを聞く

「実在と無数」(ナンバーレス・ランド考)


数ならぬ身をも心のあり顔に浮かれては又帰り来にけり

西行

なんとなくフレーズやメロディの断片を思い出して、しばらくそれが頭からはなれなくなり、あとでユーチューブで聴いてみようかなと思う曲というのが、毎日の生活の中でぽこっと出現することがある。しかし、ほとんどはそこまで止まりであり、しばらくすると思い出したことすらすっかり忘れてしまっていたりする。だが、たまには思い出したことを忘れずに覚えていたりして、あとで本当にユーチューブで検索して聴いてみるというところまで行くこともある。そういう案件は、よく思い出して以前にも検索していたりする曲なので、探せばお目当ての曲はすぐに出てくる。わたしにとって、そんな定番のユーチューブ検索曲となっているもののひとつが、イル・ボーンの「ナンバーレス・ランド」である。それは、ナンバーレスランドと検索すればすぐに出てくる。もうすでに十年以上前に投稿された、元々の音源に歌詞と画像を合わせた独自編集の所謂非公式のミュージック・ビデオであるのだが、これがなかなかよい出来なのである。擦り切れて擦り切れてくぐもったようなモノクロの世界が、抑制の効いたトーンのサウンドと非常によくマッチしている。粗い編集の画面の連続から、突然に青い空と白い雲のただ中へと打ち上げられる展開も、素晴らしくドラマティックなのだ。しかし、これを聴いているその時が、それがはからずも十月の雨の日であったりすると、ちょっとどきっとする。特に意識してそうしたわけでもなかったし、何も気づいてはいなかったのだけれど、聴くべきときにちょうど聴くべき曲を聴いてしまったような気がして、なんだかよく分からない力に導かれて引き寄せられてしまったようにも思われてきて、ちょっと怖くなってしまうのだ。たぶん、すべてがすべて偶然の産物でしかないのだろうけれど。
イル・ボーン(Ill Bone)は、79年に造反医学として結成されたポスト・パンク〜オルタナティヴ・ロック・バンドである(後に改名した)。東京のアンダーグラウンド・ロック・シーン(所謂アングラ)(後にインディーズ・シーンと呼ばれることになる)で活動し、その独特のシリアスさをもつ歌とサウンドによって熱烈な支持を多く獲得した。85年に北村昌士によって設立されたばかりのトランスレコードより初のEP「死者」をリリース。この初めての作品の発表によって、バンドの音楽性はより注目を集め、さらに評価も高まる。そして、このトランスレコード期が、このバンドの活動におけるひとつの頂点を形成することになる。この時期にイル・ボーンは、バンドの確かな足跡となる楽曲の録音をわずかな曲数ながらも残している。正式な録音物の絶対的な稀少さから幻のバンドのような扱いをなされることもあるのだが、おそらく一曲でも作品を聴けばイル・ボーンとはどういうものであるのかがなんとなくでも伝わるはずではある。それくらいにこの時期のイル・ボーンは、明らかにイル・ボーンにしか生み出しえない、とても密度の濃いまさに入魂の作品を録音している。これは北村昌士とトランスレコードの偉大なる業績のひとつにも数えられるだろう。もしも、イル・ボーンがセルフ・リリース的な自主制作盤しか残していなかったとしたら、本当に今もなお幻のバンドのまま地下世界の深部に埋もれていたかもしれない(当時、一世を風靡していたとはいえやはりインディ・レーベルであったトランスレコードが、それほど大量のレコードをプレスして流通させてはいなかったとは思うが‥)。「ナンバーレス・ランド」は、86年にトランスレコードが制作したコンピレーション・アルバム「NG」に収録されていた楽曲である。YBO2、ZOA、ソドム、ボアダムス、アサイラム、ルインズ、A.N.P、リビドー、ツァイトリッヒ・ベルゲルターといったトランスレコードのオールスター・メンバー的な顔ぶれがそろった、そうそうたる収録バンドの中でイル・ボーンはレコードのB面のラスト、アルバムの締めとなる重要なポジションに名曲の「ナンバーレス・ランド」を提供している。通して聴けばわかるが、イル・ボーンは(当時、インディーズ界におけるオルタナティヴ方面の急先鋒であった)トランスレコードの枠の中にあっても十二分に異質で、最後に登場する「ナンバーレス・ランド」も完全に異彩を放っていることは聴けば明らかである。早い話が、イル・ボーンが築き上げていた音楽性というのはちょっと他に類を見ないものであったし、どこからどう聴いても基本的な形式はロックでありながらも叙情的かつ日本的な音楽であって、そこには妙な仄暗さや滑り感が常につきまとっていて、常にずっと聴いていたいようですぐに息苦しくなってきて聴きたくなくなるような奇妙にアンビヴァレントな魅力満ちあふれている。要するに、所謂それは紛うことなく唯一無二のものであった、ということなのである。
「ナンバーレス・ランド」は、何度聴いても常に新鮮で古びることのない実に興味深い楽曲である。もうすでに発表から三十年以上が経過しているが、その不可思議な魅力が色あせるような気配は毛頭ないのだ。それは、何度聴いても、この楽曲のすべてが手に取るようにわかるというようなことがまったくなさそうであるからなのかもしれない。「ナンバーレス・ランド」の歌詞には、どう捉えてよいのかわからないような部分がある。それは、逆に言えばどうとでも捉えられるような歌詞であるということでもある。いや、それ以前にここでは特定の何かについて一貫して歌われているのかどうかすらもわからない。あまりにも歌詞が断片的すぎるために、その歌詞の言葉から喚起されるイメージが、パート毎に様々な方面へ四方八方へと飛ばされることになる、ただしそれがもう正しい方向に飛ばされているのか、間違った方向へ飛ばされているのかもさっぱりわからず、ただただイメージだけが積み重ねられ膨らんでゆくことになる。だから、「ナンバーレス・ランド」は、何度聴いても聴き飽きるということがない。逆に、聴けば聴くほどに謎が深まってゆくようでもある。まず何よりも、楽曲のタイトルにもなっていて、曲中にも何度も登場するナンバーレス・ランドというものが、なんのことであるのかがまったくはっきりとは掴めない。ナンバーレスという国のことなのか、そういう名前の場所がどこかに実際にあるのか。しかし、なんとかレスという言葉の場合は、そのなんとかがないとかなんとかを欠いているという、レスの前に置かれた言葉を否定する意味の言葉になる。ということは、ナンバー(数)がなかったり、(何か数えられる)それを欠いている、不在の場所ということになるのだろうか。不在であるということは、ここで歌われているような国や場所は現実には存在しないということなのか。そもそもが、すべてはこの楽曲を構成するストーリーの語り手の頭の中だけにある空想の産物でしかないのだろうか。なにもよくわからない。どのような解釈も正解だとも不正解だとも確信をもっていえるほどの確実な何か(材料となるもの)がここにはほとんどない。だから、何度聴いても歌詞の言葉からどんどんとイメージの数々が浮かんでは消えてゆくが、それとともに自分は今何を聴いているのかだんだんとよくわからなくなってきてとても不安で心許ない気分にもなってくる。それでも、「ナンバーレス・ランド」という楽曲には、それを聴くものに様々な解釈を行うことを促すような不可思議で興味深い音楽的・詩的な深みや滋味がにじみ出してくるツボだらけのようなところがある。ゆえに、そこにはまるとなかなか抜け出すことができないのかもしれない。そうした(何かを確かに数えることもできなくなる)場所のことを「ナンバーレス・ランド」というのだろうか。もしかして。
あれこれと曲中で具体的な地名や物事を歌ってはいるが、直接的には何も示唆していないし、具体的に何がどうなるかとかいう因果関係やそれぞれの具体的な繋がりが明かされることはない。それゆえに、歌詞の内容の解釈の余地が聴く側に大きく残されているのである。「ナンバーレス・ランド」を最初に聴いたころには、それは数のない国や数なき土地というような意味だと思い、そこから楽曲の解釈を広げていっていた。数のない国や土地は、国や土地として(数そのものがないゆえに)数え入れられいないために、数や数字(番号)を割り振られてはいないのでナンバーレス・ランドなのであろうと。しかし、本来の意味からかんがえると、ナンバーレスとは数えきれないとか数えきれないほど多くという意味の言葉であるので、数えきれないほど多くの国ということになるだろうか。だが、肝心なところのランドが複数形ではなく単数形であることを考えると、そう単純に数えきれないほど多くの国という意味にもならないように思える。そこで少しばかりひねりを加えて、数えきれないほどに多いという意味でのナンバーレスとは、とにかく先ずはひとつひとつ数えてみたけれど、あまりにも数が多くてすべてを数えきることができなかったために、全部を数えて全てに数を与える(番号を振る)ことがかなわず、そのために数えきれなかった分が残り、その数えから漏れてしまったものは数や数字(番号)のないナンバーレスな状態になったナンバーレスなのだと考えることができないであろうか。これは積極的な意味でのナンバーレスである。これに対して、消極的なナンバーレスは、最初から(すべてを)数え(ようとし)ないのでナンバーレスな状態となってしまっているもののことをいう。数えるものは数えるけれど、数に入れないものは最初から数えない。それゆえに、数字や番号が与えられておらず、本来の数えきれないほどという数量の多さ少なさを示す意味とは関係のない消極的なナンバーレスがここに出現する。だが、どちらのナンバーレスも数や数字や番号をもっていないもしくは与えられていないナンバーレスであるということに変わりはない。数、数字、番号がある集団(ナンバーをもっている、あるいは与えられている=ナンバード)からは、それらは絶対的にあぶれてしまっている。そうした状況・状態にあるものたちの/ものたちによる特定の場所が、ナンバーレス・ランドなのである。
数に入れられていない忘れられた土地、あるいは忘れ去られることを宿命づけられた土地というと、世界地図上から消えてしまった空白地帯のことが真っ先に頭に思う浮かぶ。日本という極東の島国の周辺には、第二次世界大戦・太平洋戦争末期に日本がポツダム宣言の受諾をせずにもたもたしている間にソ連による対日参戦などの大きな混乱が生じたことにより、戦後の長きにわたりうやむやのままになってしまっている土地がいくつかある。朝鮮人民共和国(北朝鮮)と大韓民国というふたつの国に分断されてしまい、地球上から消され失われてしまったのが李氏朝鮮〜大韓帝国というかつて日韓併合以前に朝鮮半島に存在した朝鮮人による国がそれにあたる。樺太や千島群島もそうした帰属がはっきりしない(ソ連〜ロシアによって実効支配されている)空白地帯であり、数に入れられていないナンバーレス・ランドである。そして、そうした不幸な歴史をたどった土地には、歴史のうねりに翻弄された多くの人々がいたはずである。そうした人々もまた、忘れ去られてゆくのみである。数えきれないほど多くの人々が、数に入れられずに忘れ去られてゆく土地。それもまたナンバーレス・ランドとして称されるべきものであろう。朝鮮半島とナンバーレス・ランドの繋がりについて考えれば考えるほどに、この「数えきれないほど多くの人々が数に入れられずに忘れ去られてゆく土地」という意味にもとれるタイトルをもつ楽曲は、いまだ日本ではなぜか曖昧に受け止められ且つタブー視されている存在でもある在日朝鮮人(数に入れられない忘れられた人々)の視点から歌われている曲なのではないかとも思えてくる。そもそもの話が、イル・ボーンというバンドの名前とて、朝鮮語で日本を意味するイルボンに同じ発音となる英語のフレーズをあてたものなのである。そういう部分をふまえてゆくと、なおさらナンバーレス・ランドをまなざす視線というものが遠く離れた朝鮮半島のほうを向いているような気がして仕方がないのである。だから、この楽曲を聴くたびにわたしは鈍く深い痛みを感じてしまうのだろうか。そして、どういうわけか身が固まったようになって、じっと最後まで聴き続けるしかなくなってしまうのである。そうした痛みやこわばる感覚は、それぞれを分け隔てているもののこちらにもあちらにもあるものなのだろう。忘れ去られることを宿命づけられている国・土地が、決して忘れ去られることのない国・土地の記憶を呼び覚まし続ける。「ナンバーレス・ランド」は、それを聴くものの心を漣だてて忘れ去られそうになる記憶を呼び覚まし、それを人々の内面に刻印しつなぎ止め続ける契機となるような楽曲である。こうした痛や苦しさはなかなか見えてこないし、(今もまだ当事者のひとりであることを忘れ去ろうとする)他者がその痛みに触れようにもなかなかそうたやすく触れられるものではない。そんな、とても深く抉るようなディレンマの感情をそれを聴くものの側に惹き起こさせてくれる歌詞の表現の絶妙さには、軽く震えさえ起こさせるものがある。それでも曲自体の純粋な魅力そのものには相当に高度なものがあり、ふとした拍子に置き去りにしたままの記憶が呼び覚まされてこの曲の音が思い起こされるたびに衝動が抑えきれなくなってついつい耳にしてしまうということになる。演奏も歌も凄まじく研ぎ澄まされていて、純粋に聴く悦びにも浸ることができる。やはり特に箕輪(扇太郎)の繊細なタッチで太鼓の音の鳴りを操るドラムスが素晴らしい。のちに北村昌士のキャニス・ルーパスにも参加することになる太鼓の達人であるが、ただトコトコトコトコと抑制して打ち鳴らすだけで聴くものの背筋をぞわぞわとさせるような独特すぎる雰囲気を醸し出す。低く歌うようにたたずむベース、錆びた剃刀でぎりっと掻くように切り裂くギターも決して派手さはないが確実にイル・ボーン的なサウンドを構築するなくてはならぬパーツとして的確に機能している。そういう意味では、「ナンバーレス・ランド」には一分の隙間すらないのだ。歌われる詞は痛くも重苦しくもある興味深い内容をもち、バンドの演奏は音楽的な至高感にあふれていているという、実にアンビヴァレントな魅力をたたえた一曲でもある。
東京の片隅で暮らす在日朝鮮人の若者のささやかな(強烈な意識の下での)独白のようにも聞こえる「ナンバーレス・ランド」で、やはり最も印象に残る一節といえば「アパートの壁から/祖国の地図を描く」という部分ではなかろうか。いや、かなり強く印象に残る歌詞ばかりの楽曲なので、この部分は特に何も考えずに聴き流していたという人もいるかもしれない。そうこともあるだろう。間違いでは決してない。歌詞としては二番目のヴァースの歌い出しにあたるアパートの壁のくだりは、どちらかというと聴き流してしまいやすいパートではあるのかもしれない。しかし、ここには祖国という言葉が歌われていて、「ナンバーレス・ランド」という楽曲について考えるのであれば、これは決して見逃すことのできない重要な一節であるといえるだろう。しとしとと降り続く十月の長雨のせいで、古ぼけたアパートの部屋の壁にうっすらと黒いカビのシミができてくる。ぼんやりとひとりそのシミを眺めていると、その形がだんだんと地図上に描かれた祖国の形に見えてくる。壁に描かれた祖国とは、どういうことであろうか。それはおぼろげに見える朝鮮半島の輪郭のような壁にできたカビのシミなのである。はっきりとそれとは見えない、でもじっとそれを眺め続けているとそれらしきものの(地図に見える)図像がアパートの壁に浮かび上がってくる。だが、それは今はもう地図上にはどこにも描かれてはいない祖国の形である。現実の世界の中においては数に入れられていない忘れられた地、ナンバーレス・ランド。小さなインクのシミのようなアパートの壁に見える小さなカビの汚れからイメージがどこまでも広がってゆく。東京の片隅の古いアパートの一室から、イメージの力と空想の翼を借りてどこまでも遠くへ行けるのである。その多少くすんではいながらもファンタジックな開放感と、真逆の鬱屈した閉塞感に満ちた在日朝鮮人を取り巻く現実のギャップこそが、この曲の肝となる部分なのではないかとわたしは思う。多くの難民、多くの死者、多くの離散家族、多くの生活困窮者、多くの悲しみ、多くの涙、多くのため息。多くのナンバーレスが、この東アジアの地に出現した。数えきれないほどの過酷な運命に直面せざるをえなかった人々が、ひとつの地に、ひとつの半島に存在したのである。この世界の片隅の片隅で市民としての数にも入れられなかった、数えきれないほどなので実際には何人いたかも正確にはわからない、番号のない、ナンバーの欠如した人々。そうした、存在のない人々の、存在を失った人々の、祖国と呼ばれる地であるから、そこがナンバーレス・ランドということになるのではないか。
そして、唐突に問いかけの形式で歌われる「パリはお天気ですか?」という歌い出しにも狭いアパートの部屋の壁のシミが影を落としてくる。その歌い出しの問いかけの直後には、目の前に思い浮かぶ晴天の空気の澄みきった美しい秋の日となっているだろうパリの街の風景と現実の締め切った薄暗いアパートの部屋の内部のギャップの大きさに慄いたかのような、ぽつりと「東京は‥‥」とだけ言って口籠もってしまう歌詞がつづく。どんよりとした色合いの東京の空。「窓の外は十月の雨」が降り続いていて、この秋の長雨が建て付けの悪くなったおんぼろアパートの壁にカビを生えさせ黒いシミを作り出したのだ。歌い出しの問いかけは誰に向けられたものなのか。今はフランスのパリにいる友人もしくは恋人だろうか。親しい間柄の誰かは遠いパリの空の下にいるが、自分はそこに一緒にいることができていない。なぜか。日本から海外に渡航するためのパスポート(旅券)をもっていないからではなかろうか。朝鮮籍の在日朝鮮人のために発行されるパスポートというものはない。地球上・地図上に朝鮮という国は現在存在していないからだ。つまり、数に数え入れられていない忘れ去られることを宿命づけられた国、ナンバーレス・ランドである。太平洋戦争の終戦まで朝鮮半島出身者は日本国籍だった。日韓併合によって日本国が朝鮮半島を事実上の植民地化したことで、すべての朝鮮人は強制的に日本国籍をもたされたためだ。しかし、日本が戦争に敗れると、朝鮮半島とそこに住む朝鮮の人々は植民地支配から解放され、押しつけられた日本国籍も放棄された。それとともに日本国内で終戦を迎えた朝鮮半島出身者は、もはや日本人という扱いではなくなり昭和天皇による勅令で外国人登録をしなくてはならなくなった。このときの登録によって多くの朝鮮籍の在日朝鮮人が新たに生まれた。いまだ朝鮮人民共和国も大韓民国も建国はされておらず、登録時に国籍欄に書き込む帰属する国がなかったために、仕方なく朝鮮半島出身であることから朝鮮と書き込んだケースが非常に多かったようだ。その後、正式に在日朝鮮人の日本国籍は剥奪される。だが、日韓基本条約の締結によって国交が回復すると、大韓民国に国民登録(番号付け)し、朝鮮籍から韓国籍に書き換える在日朝鮮人の数も格段に増えていった。それでも、いまだ朝鮮籍の在日朝鮮人のままになっている人も少なからずいるのである。元々の先祖代々が暮らしてきた土地や一族の墓が現在は朝鮮人民共和国となっている地域にある場合は、そう易々と韓国籍に変更できてしまう道理などないだろう。そのため朝鮮籍の在日朝鮮人には、昭和天皇によって外国人と見なされてから以降ずっと正式な国籍というものがなく、いわば生来の難民のような状態で生まれも育ちもそこであっても決して自らの祖国にはならない日本の地で暮らし続けることになってしまったのだ。それゆえ、朝鮮籍のままであるとパスポートが取得できない。日本にも朝鮮人民共和国にも大韓民国にも国民として帰属していない(番号がない=ナンバーレス)ために、どこにも発行の申請ができないし発行する側もそれを受け付けて処理することができない。もしも、朝鮮籍の在日朝鮮人が皚々に渡航する場合には日本への再入国許可証だけをもって出発することになる。パスポートがないので渡航先で何かトラブルがあってもどこの大使館も領事館も身柄を保護してくれることはないし、何かの不手際で再入国許可証が失効するようなことがあれば、二度と日本の地にも戻れずに本当の難民となってしまうようなことも起こりかねない。よって、東京の片隅の狭いじめじめしたアパートの部屋の中で壁を見つめながら、今もうすでにパリにいる人とパリの天気について思いを馳せているのである。パリの空気は全ての人間が平等にもつ自由を象徴している。それに引き換え東京の空は十月の雨がいつ止むかもわからぬように降り続き、濁った鉛の色のような雲が低く頭上から圧するように重く立ちこめている。
元プロレスラーの長州力は、65歳で日本に帰化した。在日朝鮮人の二世として山口県に生まれ、65歳になるまで韓国籍の在日朝鮮人として日本で生活をしてきた。若い頃に日本に(日本国籍の日本人として)渡ってきた父親の出身地が、現在は大韓民国の中央部に位置する忠清北道であったことから、戦後生まれの長州力こと吉田光雄も自然な流れで大韓民国の国民登録を行い韓国籍となったのであろう。高校時代からレスリングの選手として高校総体や国体で好成績をおさめ、大学三年生の時にミュンヘン・オリンピックに出場する。日本国籍はもっていないため、韓国のレスリング・フリースタイル・オリンピック代表、カク・カンウンとして。西ドイツのミュンヘンには韓国政府の発行したパスポートで渡航したのであろう。新日本プロレスに所属するプロレスラーとなって若手時代には欧州や北米などの海外のマットを転戦してまわる武者修行を行なっているが、この際にも韓国のパスポートをもって旅をしていたのではなかろうか。ただし、韓国籍の在日朝鮮人であっても韓国のパスポートだけをもって自由に何の困難なく(日本に住む日本人と同じように)海外渡航がおこなえていたわけでは決してない。やはり、海外からの帰国時に再入国をする際には、前もって取得しておいた再入国許可証を提示しなくてはならなかったのである(現在はみなし再入国許可制度が導入されており、出国から二年以内であれば再入国許可証がなくても再入国が可能である)。長州力は65歳で帰化して日本人になることを、自分は生まれも育ちも日本で65年間ずっと日本人として生きてきたようなものなのだから、ただパスポートの色が変わるぐらいの変化でしかないと語っていた。だが、そうしたことをおそらく最も面倒くさいもののひとつであっただろうパスポートのことをもちだして、あまり大変なことではないのだと強調して語れば語るほどに、その裏側には人に言えない多くの苦労や困難があったのではないかと想像せざるをえなくなってしまうようなところもあるのである。たぶん、実際に大変なことは数えきれぬほどあったのであろう。もしかすると、パスポートの色が変わることは大変な大事であることを多くの日本人に知ってもらうことが長州力のあの発言の真意であったのかもしれない。

矢をつがえた弓をゆっくりぎりぎりと引き絞ってゆくような低く抑制されたテンションが延々と持続する息詰まるような流れで進行してきた「ナンバーレス・ランド」であるが、そののしかかり続ける重苦しさがふっと途切れる瞬間が楽曲の後半でついに訪れる。それが、ラストのギターのソロを軸とする長いアウトロの前の導入部分にあたる、鬼気迫る箕輪のドラミングが突然休止してハイハットとリムショットによってリズムが静かに刻まれるだけのブレイク/ブリッジのパートである。バンドの演奏は極力出力を抑えて文字通りブレイクをしているが、それに反してヴォーカルだけはぽっかりと口を開けた真空状態のような穏やかさの中でぐっと感情や想念を凝集したトーンとなり、バンドがこの歌の核心へとにじり寄るように近づいてゆく迫真のクライマックスを静かに迎える。ここでの歌詞は「火薬の香り/罪の印/空に現れ」と歌われる。火薬の匂いというのは、明らかに戦争を連想させる言葉である。だとすると、「空に現れ」る「罪の印」とはなんのことだろうか。それが戦争にまつわるものであるとすれば、やはり真っ先に思い浮かぶのは敗戦間際に広島と長崎の上空に立ちのぼった核爆弾による巨大なキノコ雲ではなかろうか。忌まわしき戦争の時代に軍国主義の帝国日本が犯してきた数えきれぬほどの罪が、紛れもなくそこにあるのだということをキノコ雲はひとつのまとまった(象徴的な)印として示していたと読み取ることもできる。ここに続くのが「終わらない昭和の歌を歌っているよ」という歌詞である。つまり「罪の印」が(時代や世代を越えて人々の)目に見える形であらわされた昭和はいつまでも終わらないのである。そこに刻印された罪の記憶が残り続ける限りは。すべての罪が許され、大地の記憶からも忘れ去られる日がくるまで、数えきれぬほどの悲しみと苦しみを生み出した昭和という時代の歌は終わることなく歌い続けられるのである。戦争の時代にもたらされた苦味や痛みが人々の中で決して忘れ去られることがないように。そもそもの話が昭和天皇によるポツダム宣言の受諾がスムーズに行われていれば、東アジア情勢の混乱も無駄に拡大することはなかっただろうし、戦後の新秩序を目の前にして焦って血迷った米国軍による核兵器の実戦使用もなかった可能性すらあるのだ。また、昭和天皇による朝鮮人や朝鮮出身者を外国人として登録させる勅命こそが、その後の朝鮮籍の在日朝鮮人の境遇を不幸極まりないものにした大本であったことも間違いないところであろう。だから、「終わらない昭和の歌」は歌い続けられることになるのである。今ここにまだ「罪の印」が微かにでも残り続けている限り、昭和は終わりを迎えることがない。そう宿命づけられてしまっている。平成も令和もただの昭和の続きでしかないのである。

ハ・ジョンウ監督の韓国映画「いつか家族に」の原作は、中国人作家・余華の小説「血を売る男」。病院などで使われる輸血用に自らの血を売って日銭を稼ぐ、いわゆる売血という(経済)行為は、近代以降の都市の貧困層においてはかなり日常的に見受けられる光景であった。それは中国でも朝鮮半島でも日本でもほとんど大差はなかったようだ。ゆえに、東アジアの国々では、この売血行為をベースとする物語を共有することができる。ほんの少し前まで売血はとても身近なところで日々行われていたのだから。日本では東京オリンピックが開催された60年代半ばごろまで売血は都市下層民の貧しい生活と密接に結びついていたようだ。おそらく多くの在日朝鮮人もろくな仕事に就くことができずにいて赤貧を洗う生活のなかで売血業者に自らの赤い血を売って、まさに自身の身を削るように命を繋いで生きていたであろうことは想像に難くない。「ナンバーレス・ランド」にも「今朝もう血は売り飛ばしたか」という歌詞がある。朝一で血を売りにゆき、それで手にしたもので何とかその日一日を凌ぎきる。そんなぎりぎりの生活が東京にも存在していたのだ。それもまた昭和の都市の片隅の風景の一部であった。トランプとバイデンが激しい選挙戦を繰り広げたアメリカ大統領選挙を全米各地の一般市民の目を通して追いかけたBS1スペシャル「市民が見たアメリカ大統領選挙」を見ていて最も強く衝撃を受けたのは、トランプ支持者のとんでもなさや社会に深く浸透している政治不信の根深さなどでは全くなく、現代のアメリカの一般市民の中に「血を売る男」が存在していることであった。将来のことを考えて大学で高等教育を受けるために奨学金を受け取って学校で学び、それでも卒業後には当初思い描いていたようなまともな仕事には就けず、結果としてずっと無職で奨学金返済のための借金に追われているミレニアル世代の若者が、朝一番で売血に行ってなけなしの現金収入を得る場面がカメラにおさめられていた。まさに東京オリンピック以前の東京のような状況なのである。社会の荒廃は、多くの不幸な人々を生む。「今朝もう血は売り飛ばしたか」という一節は、いまだに現実のことなのである。その事実に驚かされた。そして、格差社会はさらに進行し、より酷いものになってゆくことが予想される。もはや自分の血や臓器を売り飛ばすことでしか生きてゆけない市民の姿というものが一般的となり、日常的に見受けられるものになっていったとしても(もはや)なんらおかしくはないのである。
「今朝もう血は売り飛ばしたか」のパートの直前、第二ヴァースの歌い出しの歌詞は「歌いながら橋を渡ろう/何もかもが光の泡の中」というものである。この橋について考えていると、どういうわけか極楽浄土の光景が頭に思い浮かんでくる。なんの脈絡もなく唐突に。浄土がどんなところか実際に見てきたわけではないので、頭に思い浮かぶのは敦煌・莫高窟にある阿弥陀浄土変相図の壁画に描かれたような仏教的な極楽のイメージといったほうが良いだろうか。中央に大きく浄土を象徴する阿弥陀如来が蓮華の花の台の上に座している。虚空には飛天が優雅に舞い飛び、手にもった楽器を奏で、はらはらと色とりどりの花々が降りそそぐ。阿弥陀如来の周りには観音や勢至といったありがたい菩薩たちがわらわらと寄り集まり、明朗なる音楽が奏でられ、その傍らには舞いを踊っているものもいる。宝池がその周囲をぐるりと取り囲んでいて、一面に大輪の蓮の花が咲き誇っている。浄土へと至るには、その宝池にかかる橋を渡らなくてはならない。舞楽者たちの奏でる音楽の調べに合わせて歌いながらその橋を渡ってゆくと、眼前に大きく現れる阿弥陀如来によって浄土へと招き入れられる。そんなイメージである。この浄土への橋を渡るときに歌う歌が、「ナンバーレス・ランド」の曲中に何度も繰り返し登場する「ララランララララララン」というコーラスなのかもしれない。称名念仏を唱えて「ララランララララララン」と歌い踊りながら橋を渡るというのは、実に軽やかな感じがしてよい。そう考えてゆくと「ナンバーレス・ランド」とは、有限なる数えきることのできる世界(穢土)を超越した無数なる地=浄土ということになるだろうか。橋を渡り一度浄土の地に足を踏み入れると、何もかもが眩い光に包まれて、何もかもが有限なる人間の生の業から解き放たれて、光の泡の中でどこまでも軽やかになってゆく。まさにそれは往生の歌である。
「何もかもが光の泡の中」というと、眩いほどの激しい光の照射にすっぽりと包み込まれている状態が思い浮かぶ。そうした状態から連想されるのは、やはりあの敗戦の夏の日に広島と長崎で起きた核兵器の使用による悲劇のことなのである。2019年の夏にBS1スペシャル「ヒバクシャからの手紙」という番組が放送された。この番組では実際にあの日のことを体験した被爆者から寄せられた手紙をもとに幾本かの短編アニメーションが制作された。戦後七十年以上が過ぎ高齢化が進み少しずつ体験を語る声が小さく少なくなっていってしまう被爆者たちの戦争の記憶を何かの形で記録に残し後世へと伝え残してゆこうとする意図のもとに企画制作された番組である。その中のアニメ作品に「ヤマンへの手紙」というものがあった。あの日、広島の陸軍司令部で仕事をしていた同僚のヤマンを原爆で亡くした被爆者からの手紙をもとに制作された作品である。この物語の元となった手紙を書いた被爆者は、ちょうど陸軍司令部での仕事を病欠していて自宅待機(本人は敵前逃亡ともいっていた)中であったために市内中心部で被曝した人ほどの大きな被害は受けずに済んだ。しかし、よき理解者であり親友でもあったヤマンは、あの日もいつもと同じように陸軍司令部に出勤していた。当時、陸軍司令部は旧広島城の城内にあり、出勤時には城の周囲にめぐらされた堀にかかる橋を渡らなくてはならなかった。夏の日の朝、堀の水面には一面に蓮の花が咲き乱れていた。午前八時十五分、ちょうどヤマンは陸軍司令部の門のあたりを歩いていた。上空はるか彼方を飛行する朝日を浴びてきらっと光る敵機B29の存在を確認した次の瞬間、強烈な閃光が街を包み込んだ。猛烈な爆風が咲き誇る蓮の花を引きちぎり、襲いかかる灼熱が広島を焼き尽くした。そして、真っ黒で巨大なキノコ雲が一瞬のうちに焼け落ちて吹き飛んだ街の上空に不気味に湧き上がってゆく。きっと、ヤマンも「何もかもが光の泡の中」という一瞬を見て、見たこともないような眩さの中にいる自分を感覚したことだろう。しかし、橋を渡った先にあったのは阿弥陀如来の待つ極楽浄土ではなく、この世の終わりのような地獄絵図であった。はたしてヤマンは、あの橋を渡って往生したのだろうか。城の堀に咲いていた蓮の花がそのことを暗示しているようにも思えるが。ヤマンは歌いながら橋を渡った。巨大なキノコ雲の真下で一瞬の光の泡に包み込まれた数えきれぬほどの罪もなき衆生たちとともに。

阿弥陀如来は、無量寿仏や無量光仏という別の呼び名も存在する。無量寿とは、終わりなき時間のこと。無量光とは、すべを照らす光のこと。それは時間的にも空間的にも数えきれぬものであり、数などが追いつかぬものであって、時空を越えて超越している存在であることを言い表している。数えきれぬほどのものとは、無数であるもののことであり、すなわち無限ということになる。無量寿で無量光である阿弥陀に限界というものはない。それは無数なる呼び名をもち、それゆえに阿弥陀如来でもあるのである。
浄土とは、阿弥陀の本願によって大きく無限に開かれた地・場所である。それは時空を超えている。数が追いつかない、無数なる地である。すなわち、ナンバーレス・ランドである。
ナンバーレスとは、数えきれないもののことである。すべてを数えきれていないので、それを無数という。すべてのものに数(番号)があることはナンバーフルである。すべてを数えきれているので、すべてに数(番号)があるということで、これを有数という。
数えきれないほど無数にある状態を無限という。数えようとしても限りが無いので、数えきれないのである。そこには数えられることのない、数(番号)をもたぬ無数なるものが、数えきれぬほどにある。すべてを数えきれていて、すべてに数が有る有数な状態を有限という。すべてを数えきれる限界・限度は、もうすでにそこに有るものとしてある。有数であることは有限である。
有限なるものが、数限りなく数えきれぬほど無数に集合して存在しているとき、それは無限となる。有限のなかに無限は存在しないが、無限のなかに有限は存在する。有数が無数なるとき、それは無限である。有数は無限のごく一部でしかない。有数が数えきれないものに超出をするとき、それは無限となる。
無数なる地は、有数なる地のその先にあるものなのか。浄土は穢土ににあり、穢土は浄土にある。ならば、無数は有数であり、有数は無数なのか。すべてが数えられていて、すべてに数(番号)が与えられている地であっても、それが有限なる世界として完全に静止しているのでなければ、有数なる地のままでいることは可能でないかもしれない。有限なるものが静止せず、そこでまだ生成や運動が続けられているとき、有数なる地は無数なる地へと限りなく近くであろう。
有数なる地は、ありとあらゆる瞬間に数えきられていなくてはならない。それがまだ絶えず生成を続けているのであれば、それはすべての瞬間に数えきられてはいないということになるだろう。そして、そのときそれは有数なる地を超出して、もはや無数なる地となっているのではないだろうか。
無限の中の有限。有限が無数にあることが無限。すべては生成する無数の中にある。だが、それを覆い隠し、すべては数えきられているとすることで、この世界のすべては(本当は成り立っていないはずのものなのに)成り立っている(ことにされている)。いや、世界というものはない。幻想の世界がある。いや、世界の幻想だけがある。
すべてが数えきられている有数なる地は、どこに存在するのだろうか。数は存在するのか。数えられているものは存在する。すべてが数えきられていることは持続するのか。すべてがすべて数えきられていて、すべてがすべて把握されていて、すべてがすべて番号づけられている、まったく隙なくぴっしりと物質化され構造化されている、ひとつの世界として確定されている世界。揺るぎなく固定されている世界。
自然にあるものは、すべてがすべて数字化・数値化できるのだろうか。ピュシスとは生成するものである。自然は動いている。世界は自然に更新される。揺るぎなく固定化されている自然というものはない。アルゴリズムを使って動的な世界を計算可能なものに変換しようとしても、すべての世界の内部の動きを捉えて数えきることができるとは考えづらい。おそらく計算は永遠(無限の時間=無量寿、無数なる時)に終了しない。そうした、終わることのない試みがとこしなえに繰り返され続く場所が、ナンバーレス・ランドだ。
世界は無数なる地だ。無数なる地であるところの、この世界は無限。すべてが数えきられていて、すべてに番号がある、有数なる地としての世界というものは存在しない。指すや西を/どことて西なる。

2019年の夏、香港の民主化運動が大きな盛り上がりを見せた。中国の習近平政権による強権的な政策の押し出しによって(47年までは維持されるはずの)一国二制度の下にある香港の自治権が根幹からおびやかされているとして、多くの市民が街頭や公園や広場に集まり民主主義を守る立場を表明する声をあげた。この大規模なデモンストレーションの際に市民が口ずさむようになった歌がある。それが「香港に栄光あれ」である。自由な香港を希求する時代革命への強い決意を歌ったこの歌は、民主化運動のテーマ曲のような楽曲となり様々な集会で歌われ合唱された。だが、多くの市民によって歌われたがために、後には香港独立を目指した新国歌という性質を帯びたものへとゆるやかに変質してゆき、香港警察当局による取り締まりと規制の対象にもなってゆくようになる。この曲の歌詞には、わたしたちの時代の革命を意味する時代革命という言葉がしっかりと歌い込まれている。そして、溢れでるほどの香港への愛情と自由のためには戦いさえ辞さないという覚悟が全編にみなぎっている。まさに聴きようによっては香港の独立運動を扇動し鼓舞するような歌でもあるのだ。この歌が民衆に広く親しまれているということは、当局としてもあまりよい気分がするものではなかったのだろう。すべてがすべて数に数え入れられている有数なる地(穢土)が、莫大なる力を顕示しながら法をねじ曲げてでも小さな香港を飲み込もうとしている。そうした理不尽な動きを前にして、香港は積極的に数に数え入れられない忘れ去られる運命にある無数なる地(ナンバーレス・ランド)になろうとしているようにも見える。
「ナンバーレス・ランド」の歌詞に「人々に自由と愛と革命を」という一節がある。アパートの部屋の壁のシミを眺めていて何か思いついたのか、その直後に自由と愛と革命についてを歌い出す。祖国の形に似たシミを見て、そのすぐ直後にこの一節が歌われるので、分断された半島の統一を成し遂げる革命が起こり地図上から消えて忘れ去られてしまった祖国が回復することを夢に見て、この一節がここで歌われているのではないかと、漠然とずっとそう思い込んでいた。しかし、どうもなにかしっくりこないところがあるのが、ずっと気になってはいた。少しばかり、この「人々に自由と愛と革命を」という一節は唐突すぎるのである。前後とのつながりもあまりはっきりしないし、ちょっと流れの中で浮いてもいる。だが、よくよく考えてみると、ここでいう革命とは、曲の冒頭で現在の天気が気にされているパリと関連しているのではないかと思い当たった。狭い東京の街の片隅で、なんの自由も感じられない境遇にある。国籍もない、番号もない、パスポートもない。ここから十八世紀に市民革命を起こし、近代民主主義の幕開けを飾ったパリの街は、とてもとても遠くに感じられる。ここには自由も愛もない。はたして近代民主主義の幕は本当に開いたのだろうか。パリとくらべてしまうと、ここは‥‥。この曲の中で祖国と革命というと、朝鮮人民共和国(北朝鮮)のことを頭に思い描いてしまいがちである。実際にかつては、半島の北の革命の地への思いが馳せられた一節なのではないかと考えてしまうこともあった。だがしかし、よく考えてみれば、そうとは思えなくなる。北朝鮮は、日帝植民地時代を戦い抜いた抗日パルチザンの残党である金日成(になりすました金成柱)によって樹立された革命政権であるが、その地に本当に自由と愛があるのだろうか。疑問は尽きない。日本の地で生まれ育った在日朝鮮人の自分にとっては、北朝鮮の革命も自由も愛もとてもとても遠い。ただし、有数であることは本当に自由なのかという問いを前に立てると、世界の見え方はすっかりと変わってくるようになる。数に数え入れられていることで愛が生じるというのだろうか。香港の民主化運動・時代革命は、中国共産党によって(あちら側の)数に数え入れられないでいることを(強く)求めている。無数なる地にこそ、本当の自由への希望があるのではないか。その地に向かって歌いながら橋を渡ってゆくことが、わたしたちの時代の革命なのではないのか。
そして、「人々に自由と愛と革命を」と歌われる際に念頭に置かれている「人々」とは、どこのどの人々のことであるのかも気になってくる。曲冒頭でパリと東京の天気が比べられていたことを考えれば、ここは東京ないしは日本の人々ということになるのであろうか。有数なる地の外側にいるものから眺めると、ここにある自由と愛は共同の幻想のようなものでしかなく、人々はそれにどっぷりととらわれているだけの空っぽな人間のように見える。本当の自由はそこにあるのだろうか。数に数え入れられている人々の群れが、革命の夢をみることはあるだろうか。そんな人々の群れが、胸の内に後生大事にたずさえているのが「崇高な日本人史観」という意識であるらしい。はたして、人類の歴史の中で日本人だけが特別に崇高であったことがあるのだろうか。そもそもその崇高なものとされる日本人の歴史というのは、どこのどの日本人のことをいっているのだろうか。いつの時代のどういった日本人なのか。海を渡ってさまざまな人や物がひっきりなしに渡来してくる島国において揺るぎなく固定されたものとしての「日本人」の崇高さというものは確立しうるものなのであろうか。日本人というのは、ずっと外部からの刺激に大きく開かれていて変化しつづけてきたものたちのことをいうのではないか。そんなゆらゆらと揺らぎ漂いつづける生成変化する日本人をすべて数に数え入れて有数なる(国民国家の民である)日本人としてしまったところに「崇高な日本人史観」という意識が生ずるようになってきているのであろう。そういう意味では、その意識ははじまりからしてかなり歪んでいる。そういった意識からはこぼれ落ちてしまっている日本人が(有史以来、どの時代にも)必ずいるだろうから。数に数え入れられない、数えきれないほどの、無数なる地にある無数なる民としての日本人がそれである。そして、数に数え入れられている人々の群れは、必ずといってよいほど(本質を)見誤る。本当の自由や愛というものを見つめる目が曇って(曇らされて)しまっているがために、そうした基本の部分から見誤った崇高感をもつにいたるといったほうがよいであろうか。ただし、そうした自らを自らの見誤りによって一段高いところにおく感覚の心地よさ((曇った)崇高感)ゆえに、それを心の奥底にまで浸透させ、それを土台にして有数なるせまい世界を見回してしまう。狭い固定された数えきられた世界しか見ていないために、その目はさらに曇り、世界というものを見誤ったうえでさらに見誤る。有数という有限の外の世界をしらないことにより、そことは遠く隔たったたくさんの数えきれないほどのものの考えかたやものの見かたがあることに目がむかない。せまい世界の中で満足しきってしまっても、せまい世界の中でだけならばそれでもなんとかやってゆけてしまう。まやかしの自由と愛とでも充足できてしまえる、数に数え入れられた人々として。それでも、歌いながら橋を渡るときというのは(実はいつでもどこでも)無限にめぐってくる。無数なる地では、何もかもが光の泡の中にある。美しく(本当の意味で)崇高なるものをその目で見るためには、その橋を渡らなくてはならない。それは崇高さとは無縁の取るに足らない凡夫たる日本人であっても渡れる橋である。歌いながら(踊りながら)渡る橋である。無数なる地には、無数なる橋がある。それは無数なる可能性へと開かれた橋である。無数なる地にあるということは、それは内と外の両方でコスモポリタンであるということだ。無数であるということは、何ももたないということではない。それは軽やかで朗らかなものである。無限に橋を渡り、有数であることから逃れつづける可能性をもつ。アモルファティ。いくつもの橋のその先で、それは静かに息をしはじめるだろう。無数であれ。ただただ数に数え入れられぬものであるために。そのときニセモノたちは握りつぶされるだろう。ナンバーレス・ランドと革命。終わらない昭和の歌をまだ歌っている人々よ。その橋をまず怯まずにどこまでも渡れ。そろそろそこから(ここから)はなれるときだろう。ところで、パリはお天気ですか?

あとがき

二〇二三年一二月一八日、作家の徐京植(ソ・ギョンシク)が急逝した。享年七十二。突然のことで、とても驚いた。まだまだ元気に執筆や発言をしている印象があったので。そしてまた、徐京植の書く言葉には常に生のエナジーがみなぎっているように感じられ、そういう人物と死というものがイメージ的にあまりダイレクトに結びついていない印象があったことも確かである。心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
そして、その死をきっかけにというと何だかちょっと烏滸がましいような言い方になってしまうが、徐京植の死去が報じられた一二月二〇日から、あるひとつの文章のことが気になりはじめた。それが、この「ナンバーレス・ランドを聞く」という文章である。ある程度まで書き上げたものの、ずっと発表することなく、寝かせたまになっていた一文であった。書いたのは、一〇年代の終わりごろ。新型コロナ・ウィルスのことなどは文中に一切でてきていないので、二〇年の頭ごろまでにはほとんど書き終えていたのではなかろうか。そのころつけていたタイトルは「実在と無数」というものであった。
その「実在と無数」を書く際に大いに参考にさせていただいたのが、徐京植の「ディアスポラ紀行」であった。在日朝鮮人の旅券のことなどは、ほとんどこの本の内容を参考書として使って書いている。そして、徐京植の「ディアスポラ紀行」や「私の西洋美術巡礼」からは、さまざまな在日朝鮮人についてのことを教わり、そして非常に多くのことを学ばせてもらった。いつしか、徐京植はわたしにとってとても重要な作家のひとりになっていた。そうした経緯もあり、何か今このタイミングで「実在と無数」を仕上げなくてはならないのではないかという気分になってきた、ということなのである。
ざっと長いこと放置してしまった文章を読み返し、もう少しわかりやすい文章になるようにと細かい部分に少し手を入れたりした。全体の内容と構成は、ほとんど「実在と無数」のときのままである。このあとがき以外にあらたに追加した文章はない。だが、あまりにタイトルが堅いのでこれはどうなのだろうと思い、この機に「ナンバーレス・ランドを聞く」というちょっとやわらかめでシンプルなものに変更した。ただし、タイトルにあるナンバーレス・ランドは、括弧付きの「ナンバーレス・ランド」ではないナンバーレス・ランドとしてあるというところに多少の意味は込めてあるつもりである。
最後に、岩波新書の「ディアスポラ紀行」は現在品切れとなっている。もはや重版重刷がされていないということなのだろうか。非常にさみしいことである。できれば少しでも多くの日本の人たちに徐京植の本を読んでもらいたいと思う。決して読んで損のない書物であることは保証する。


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