見出し画像

わたしは矛盾していて、わたしは光っている

わたしはこんどの公式政治活動のメッセージテーマを
一緒にいる、一緒に生きる。」
に決めている。
これは前回の記事でも書いた、映画「カンタ!ティモール」のアレックスの歌からもらった心を表現したものだ。
それに、結局自分ができることって、
一緒にいること、
一緒にこの同じ時代を生きること、くらいなんじゃないかと思ってるから。

わたしはこの町に生まれて育ってきた。
今の自分が、ん?まあまあいい奴だな?と思えるようになったんだけど、
それは今までの自分が努力した結果というより、
この町の風土や景色、まわりの人がくれたいろんなこと、
そういう経験から自分になってったんだ、ってことを実感できたときがあったから。
だからこの町からもらったものを返していきたいと思うし、残していきたいと思ってる。
とは言え、年に5回くらいは「あ~西予市いやだな~どっか行きたいな~」って思ってる。行ってないけど。
めちゃくちゃ矛盾している。


あと、超個人的なことだけど、今年の春に離婚をした。
元配偶者とは特に政治的な考え方がちがっていて、討論するような関係性だった。
そのたびにわたしは、
家庭がいちばん小さな社会なら、
考え方がちがっても一緒に暮らしていける、
一緒に生きていける、
そんな可能性を、自分の家庭に見ていた。
でも17年で壊れて、そうはならなかった。

自分の足元のことさえ実現できなくて、
このメッセージ「一緒にいる、一緒に生きる。」って言うの?
おこがましくない?
と自分に何度も問いかけてる。
でもこの矛盾したわたしも、
恥を晒しても挫折しても今もまだそう信じるわたしも、
しょうがない、今のわたしだ。
それでもこれを言おうと思うくらいの覚悟みたいな強い気持ちが、
わたしの中にあることも事実だ。

ほかにもたくさん、わたしは矛盾している。


愛媛県庁に政治団体設立届を出しに行って、職員さんが概要説明してくれるんだけど、そこに政治活動はじめるといろんな自由が制限されるというものがあって、それを聞きながら「あ~やっぱ政治家なんていやだな~やめたいな~」とそのとき思った。早っ!笑

わたしは自由が好きで、自分が今、自由権のある憲法の下で生きていられることに心の底から感謝している。
自由が好きなことは自覚していたけど、自由が制限されることについて、こんなにも嫌悪感を感じるとは思ってなかった。
でも今回は政治の場面に立ちたい。これも本心。
でもときどき◯◯すべき、みたいなわたしも現れる。
今はそういう自分があんまり好きじゃないから自由の自分を選ぶようにしてるけど、
矛盾というか、相反する心が同時にわたしの中にある、そんな感じ。


わたしは立派な人間でも強い人間でもなくて、
ほんとうにただの人間だ。
弱いし飽きっぽいしめんどくさがりやだしダメなとこ山ほどある。
それでも自分がなんとなくいい奴だと思う。
最近は何者かになりたくて、他人とちがう自分になりたくてもがく人が増えたように見えるときがあるけど、
元々生まれたときにもうみんな他人とはちがう自分だけの自分だ。
目や口や鼻のからだのかたちも、肌の色も、声も手も、なにもかもほかの人とはちがう。

だけど同じこともある。

人間ということ、息をするということ、心があるということ。
ちがっていて同じ。
同じようでちがう。
ちがうことと、同じことがある。
矛盾しているけど両立している。
この世はそういうことなのかもしれない。


今回、公式に政治活動をはじめることを表明したとき、
すごいねと言ってもらうこともあるのだけど、(純粋にありがとう)
なんにもすごくなくて、いろんな職業がある中の一つの職業を選択しようとしているだけのことと言えるんじゃないかなと思う。
わたしから見ると、社会の中で仕事をしている人はみんなすごいもんな。
この7年半、いやな思いをするときもあったけど、それでもずっと西予市政を見ることをやめなかった。
きっと好きでやってるんだと思う。
だからこれからは責任をとる立場になってやってみたい。
書いてみると、とてもシンプルな理由だな。

あと、わたしにできることは誰にでもできる、というか、
ほかの人にもできることだと思っている。
わたしは別に特別じゃない。
だから2020年の市長選挙に出たいと言ったときに、ほかに立候補する人がいるのならそれでもいいと思っていた。
とにかく何年も首長(市長)選挙がないことがいやだった。
でもそう言うと「ポリシーがない」とか「そんなんだったら応援できない」とか「それじゃ勝てないし勝たないと選挙は意味がない」とか言われた。
今だったらもう落ち込まないんだけど、そのときはそう言われてとてもつらかった。
まだ今より心がキマってなかったんだなw

わたしは、わたしみたいな人がいっぱい立候補してくれるといいなと思っている。
自分の思いと近い人が出たらライバルだからいや、なんて思わない。
わたしにもきっとできるし、あなたにもできるし、もしよかったらみんなもやろうよ!と思ってるし、それくらいのことにしたいと思ってる。
むしろほんとうはわたしは人のサポートするのがめちゃくちゃうまい。
自分も目立っていけるし自分のやりたいことも山ほどある人だけど、裏方で動くのもめちゃくちゃ好きだしめちゃくちゃうまいの。
だからどっちが上とか下とかないよ。
今まで一人でやると決めてやってきたSHOESだって、結局いろんな人がその都度サポートしてくれた。
そうじゃなきゃできないことを知っているから、わたしは誰かのサポートもすごく好きだしやりたいと思ってきて、やってる。
どっちしかできないこともないし、どっちでもいい。
誰かに決められることじゃないし永久どっちってわけじゃないしそのときによって変わっていいし、もっと自由でいい。
理由なんてないことだっていっぱいある。
ほんとうに、もっと自由でいいの。


それともういっちょ超個人的なことだけど、
わたしは26歳のとき運良く結婚できたから、
その当時はいつか子どもを持てて、いい母ちゃんになるのが夢だった。
返していきたい、って話を冒頭でもしたけど、
わたしは自分の父ちゃんも母ちゃんもいい奴で、
だから自分にしてもらったことを子どもができたら返していきたかった。
お弁当持って山に行ってそこからの景色を絵に描いたり、
一緒に田んぼで農作業したり、
音楽をかけてダンスしたり💃、
あと自転車も好きだから、かっこいい自転車を買って、子どもを乗せてブンブン乗り回すのも夢だった。
学校のPTAなんかも自分の子どもやほかの保護者が引くくらい全力でやりまくりたかったし、飼ってた犬とみんなで散歩するのも夢だったな。

でもその夢は叶わなくて、しかも離婚になって、
引っ越しのとき、タンスの奥から、大好きな古着屋さんで「いつか」と思って買っといた子ども服が出てきたときはさすがに涙が出たな。

細胞という意味では何かを残すことはできなかったけど、
自分の人生を生きるその道のりで、一緒に生きた人の誰かの中に、なにかを残せたなら。
そのために生きられるだけ、全力で自分の人生を生き切るしかない。
そういう意味でも、自分のなかに芽生えたやりたいことはやるっきゃない。
大好きな東田直樹くんもそう言ってたもんな。


「政治」という言葉を出すと、やっぱり変な空気になったり、
そんなことより今をたのしく生きようよとか言われたり、
もしかしたら疎遠になっちゃう人もいるかもしれない。悲しいけど。

でもわたしにとって政治は、今をたのしく生きるためのひとつの方法なんだよな~。
音楽をきくこと、映画を観ること、友だちと遊ぶこと、犬や猫をさわること、おいしいものを食べること、政治について考えること、同列なかんじです。これはわたしにとって、です。

政治って、ときにはきびしい言葉で批判したり、追求したりすることもあるから、そういうのを見るといやだし、ネガティブな印象がある人もいるかもしれない。
すごくわかる。
わたしもときどき見てていやになることあるし、
自分が批判的に議論するときは、めちゃくちゃ性格が悪い人になった気分になって、自分がいやになる。(ほんとうに性格が悪いとこもあるんだけどw)
でも大事なことなんだよね。
いやだな、って目をそむけられるのは、
自分が関係ないって顔をしていられる場所にいる、ってことだから。
現実にはそこで、しんどい思いをしている人がいることだから。

映画「カンタ!ティモール」で、
牧師さんがこう言うんです。

Peace is something.......we can not buy,
平和というものは、お金で買えるものじゃない
Peace is not a speech,
平和は演説でもない
Peace is not a program,
平和は政策でもない
Peace is life.
平和とは暮らしそのもの

映画「カンタ!ティモール」より

しあわせのために、平和のために、政治があるとしたら、
しあわせは、平和は、暮らしそのものなのだから、
暮らしそのものを見つめるのが政治なんだと思う。
政治の中にいると、それがずれていくことがあるかもしれないから、
このチャレンジをする上で特に、
「カンタ!ティモール」はわたしの心の灯火なんです。

自分の中にある光を信じて光っていくしかない!
みんなの中にも必ず光はあるよ

矛盾したわたしを知ってくれていて、
それでもわたしを応援してくれる人もいっぱいいる。
いつもありがとう。

👇yurinasiaが光るときで踊ってるこれ観るとなんか涙が出てくるよ


坂村真民先生も言ってたもんな、すべては光るって。


そしてどうか今世界で起きている戦火が少しでも早くおさまりますように。
自分が安全な場所にいて、ここから言えることなんてかぎられているけど、
一日でも早い停戦を望んでいます。
戦火がやんで、どちらの人々にも、安心して眠れる夜がきてほしい。
どちらかを支持して武器や戦力を送って戦争を持続させるのではなく、停戦合意に向けて努力し続けることが、世界の、わたしたちの、本来の態度だと考えているし、それを支持したいです。

この長い長い文章を読んでくれたあなたにも、
ほっとできるようないいことがありますように。
またね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?