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言いたければ言えば?

基本的に素直なわたしでございます。
自然のものがいいと言われれば「そうだ」と同意するし、人間の工夫は素晴らしいと言われれば「本当に」と同意します。

自分らしく内側の幸せが大切だと言われると「わたしもそう思う!」と興奮し、お金を稼ぐのも自己表現と言われれば「確かに」と納得し、鼻息荒く握り拳を握りビジネス系のグループに入ろうとしては友人に「あなたは違う違う」と止められます。

ぶれぶれぶれ太郎です。

だってみんな良いこと言いますよね。
うーん、すごいなと素直に感心して素直に受け取ってしまいます。
エスニックもヨーロピアンも和風もそれぞれ好き。みんな好き。ブレブレです。
中華も和食もイタリアンも大好き(違う

整体師の人には正しく戻そうとするとすぐ効くとも言われます。身体も素直。
怖い総務の人からお昼に来るように言われたら怖くてお腹が下りそうになります。

騙されるんじゃないかと心配されますが、騙されても良いとも思っています。
好きな人には甘いのです。
そこを心配してわたしにイライラする人もいます。


大丈夫です。必ず止めてくれる人が現れます。「彼女はそんな良い人じゃないから気をつけないといけないよ」と忠告してくれる人も現れます。


耳に痛いこと、ぐうの音も出ないことも全部ちゃんと受け止めます。右の意見も左の意見も受け入れます。
責める意見、宥める意見、褒める意見もあるので
結局なんとなくの場所に最後は収まります。

わたしが頑張っていなくても見ている人、教えてくれる人がいます。
わたしとは違う見方や捉え方があります。
素直に聴く耳だけ意識していればちゃんと助けてくれる人がやってきます。
だからあんまりポリシーないんですよね。


でも、ぶれ太郎のくせにたまに何を言われようと動じないで決定してしまう時があります。

前のグルを離れた後にすぐにこの人だと思うグルが現れました。

こういうのグルのショッピングとかね、ウィンドーショッパーとかセミナージプシーとか言われがちでね
ラジオやるよのお知らせを何人かにした時に「まだやるの?(懲りないの)」も言われました。
でも、全然なんとも思わないです。
そこに少し、蔑むエネルギーも感じましたが、その人はそういう考えなのだというだけ。

わたしは悟るために生まれて来ていますし、ずっと道を求めていますから、人に何かを言われるからってやめてしまうのはとてもアホらしいと思います。

洋服をね、張り切り過ぎて若作りしようとした時に娘に「母さん、それは頑張り過ぎ」と指摘されるとその服を買うのはやめますけれど。
客観的に見て違和感のある服装をするほどファッションにポリシーはありません。
むしろ見苦しくないようにマナーとして綺麗にしたいです。


これまで人生で2度ほどこんなことがありました。
一つはスピリチュアルを仕事にした時。
もう一つは離婚を決めた時。

母親に最初に話した時に「それは宗教じゃないの?」とか「子どもがいるのに無責任だ」とか言われましたので
2度と話さず、ただ実行しました。
別に迷惑かけなきゃ問題ないし、なんなら成功して幸せになって見せてやろうと思っていました。

セッションルームを借り、ある程度稼げるようになった時に母は「あんたはこういうの向いてると思ってた」と言いましたよ。(笑)
うちのママンなんてそんなもんですよ。(笑)

離婚しても孫たちが母に会いに行ってたし、わたしも再婚して幸せにしていたのでそっちも最後には「良い人に会えて良かったね」と言っていました。

こっちが成功してしまえば、人の意見なんて変わりますからね。
そこは確信がありました。


わたしが覚醒してしまえばいいだけの話。
目の前にやってきた流れを信じていますし、それを全力で受け取るだけです。
騙されるとか心配していません。
もし騙されるとしてもちゃんと必要があるんです。

無理に自分の道を曲げて誰かと仲良くする必要もないと思います。
(基本的には情の強い人間なので人とは仲良くしたいし、好きな人には甘い人間ですけれど)
北島さんがセッションの時にその情の部分を取り除いてくれました。
やはりね、とちょっと思いました。(笑)

わたしが作っている現実なので、わたしが変わることやわたしが進むことによって人間関係が変わるのも仕方ないよね、素直に受け入れていきます。


という感じです。
なんとでも言ってくれていいです。
わたしは次に進んでいます。
全てはプログラム通り。
楽になっています。

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