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節分、立春、獅子座満月、そして癒し

自己肯定感、自分大好き、自己表現
アート、お楽しみ、好きなことの
獅子座で満月でした。
これらのエネルギーが満ちていました。

我の強さや目立ちたがり、自己中心性も
獅子座のマイナス面としてありますので
そこが感じられた人もいるかもしれません。

どちらにしても自分らしさをはっきりと
自覚する力が働いています。
欠点を見つけても誤魔化さずに自分を
ただ認識しておけばいいだけです。
自分を恥じたりきまり悪くならなくていい
と思いますよ。優しくね。


ウリアという診断サイト

ちょうど、こんなのをシェアしたくなりました。
情報を抜くための危ない診断系ではないので
ご安心を。

こういう診断系は自分のいいところや
悪いところをアーキタイプに当てはめて
どういう傾向があるのかを見せてくれます。

改めてわたしの傾向を認識しました。

良いところ、悪いところ。

「笑顔でちゃぶ台返し」
意図しないわたしの発言が
誰かの痛いところを突いてしまい感情を
刺激してしまうことはかなりあって
↑これ、かなり気をつけているんだけど
この診断で2つも出てしまったのだ。
あきらめるしかないのかしらね。

「天の声を聞く能力」とか「解釈力」
「知恵の泉」など必要な答えを与えることが
できる力があるのは自覚があったのだけど
このちゃぶ台返しもあるから
求められていない時には能力を出すのは
やめておく方がいいのだなと思ったり、
ただ思いや考えを書くのは好きなことだから
このウェブ上では自分を出していこうと
思ったり。

ただ、それが求められているのならば
わたしが気をつけてもそれは起こるのだ。
誰かの本当の痛みを取り除くために
気が付かないといけないことを指摘する
役割りとして使われることもある。
まさに「世直し地蔵」


そもそもご縁があって、その人の魂が
それを求めてなければ、聴いたり見たり
する機会は起きないはず。
自分だと思っている自分ってなに?
背後にはご先祖とかガイドとか主護霊や
天使や宇宙人や精霊やらカルマやら
憑依した存在や人類の集合意識やらの
意図が働いて起こることばかりだ。


自分では困っているけれど直らない
ものってそれがあることで潜在的に
メリットがあるのだと思う。
問題がなかったら得られないもの
を与えてくれるのだ。


わたしは長年のアトピーが感情に向き合う
ことから逃げる口実になっていたと思う。
痒いという我慢のできない衝動に逃げて
どうにもならないことへの苛立ちや不安
に苛まれることから解放されていた。
わたし的にはアトピーはかなり辛かった
のだが、自己嫌悪や厳しいアラ探しや怒り
恨みつらみや劣等感、罪悪感が激しい
感情の波を生み出すことに気がつき
変わらない間は良くならなかった。

アトピーを治したいことがきっかけで
自分の内側に向かったわけで
だからそれも意味があったと思う。
他人や自分への厳しいジャッジや
自責のふりをした甘え、犯人探し癖
人のせいにしたり親のせいにしたり
逆恨みをしていることも分かった。


そもそも物事を理解する解釈の前提が
悲観的で否定的で厳しかったくせに
実際に満たされない愛情への要求レベル
は幼稚で依存的で甘ったれていたのだ。
この矛盾した二つの傾向を認めるのは
とても難しかった。
けれど認めたことで大きく何かが
変化して楽になった。


指摘されると図星なことって
すごくきまり悪く恥ずかしくて傷つく。
誰だって自分は優秀で常識的な大人で
愛のある人のふりをして格好をつけたい
んだと思う。
だから怒りになる。

若い頃には「自分に向かいなよ」
みたいな年上の方々の忠告を
「わたしはわたしなりにやってます!」
みたいに逆ギレして
「あの人はひどい!」みたいに
悪者にして泣いたりして
これ以上突っ込まれないようにして
痛いところは見ないようにしてた。
↑かなりクズよね。


優秀な人でなくては価値がなくて
愛されないように思い込んでいて
自分へのダメ出しが止まらないことが
自分を苦しめていたのだ。

優秀で役に立たないと愛されないって
子どもが勝手に自らかかった親からの
呪いだよね。


親から欲しい愛の形が得れなかった
悲しみと恨みや自己否定、自分責め
それが拗れるほど怒りと仲良く
なってしまう。
世界中の色んなものに対してけしからん
けしからんと怒っていたと思う。

外からやってくるものはきっかけに
すぎない。
それが分かっていても逆ギレするし(笑)
そして傷つく(笑)
役割りだと分かっていても悲しいし
怒りを向けられると怖い。
だから嫌われないように鋭さを出さず
言葉を選び敵を作らず無難に面白く可愛く
思われるようにと努力して生きてきた。


けれど節分あたりから切り替えを
感じている。


恒例のグループワークを開催した時、
もういい年だし空気を読んで可愛い子
ぶったり小物ぶるのもやめようと思った。
嫌なやつだと思われてもいいと思った。

だって本来の持ち味を薄めるとしたら
役割も果たせなくなるよね。

わたしは聖人君子ではなくて普通の
短所もあるおばちゃんなんだから
合う合わないは当然あるだろう。

自己肯定感増えたのかな。
まずは自分の成長だけを最近は
考えるように変わってきている。


わたしは基本は人に対して親切だし
愛情深いし悪意は無い。
ただ優しく仲良く相手の気持ちに
寄り添っていることが本当には
誰のためになるのだろう?と思う。


あなたはそのままで良い
今は無理しなくていいって言って
痛みから逃れる麻薬のような言葉を
与え甘やかして依存させると商売と
しては成り立つんだけどね、わたしは
それはつまらないから嫌い。

愛と共感、優しさ、注目、関心、労り。
簡単に手に入ったものには人は
感謝ができない。
こちらが同情や好意から歩み寄り
親切にしていても気が付かない。

愛や自尊心に飢えていた人ほど
お金やおやつと一緒で適量が分からず
いずれそれは次からも努力しないで
手に入る権利だと思われてしまう。

権利が奪われたと思った時に
人は当然の権利ように怒りを感じて
報復しようとしてくるのよな。
優しく同情的に接してきた人にほど
攻撃されることが多々あった。

結局わたしが親切だと思ってしていた
ことは感謝がなく努力をしないで
人の好意をただ期待するだけの甘えを
育てただけだったと理解して
とうとうわたしもうんざりした。
 

誰のためにもならない同情や特別扱い
はやめよう。
そして理解したことはこれは過去の
わたしもしていたということ。
同情され優しくされ特別扱いを求め
得られない時には怒り狂い
与えられることで感情は満たされたが
わたしの魂や深い傷は根本的には
癒されなかったから何も人生が
変わらなかったのだ。

心が飢えていたからお金をたくさん
使って満たそうとしていたなあ。
前夫はどこまでも優しくて甘くて
全部与えてくれようとしたの。
だからわたしは自分で学んだり
変わろうとしなかった。
彼が与え尽くしてもわたしは甘えて
人任せで自分を省みず変わろうとせず
ハッピーにはならなかったから
心が折れたんだろうな。↑クズよね。

1人にならないと自立出来なかったよ。
だから彼の魂はわたしのために別れを
選んでくれたんだと思う。
本当の愛だね。有り難いね。


やる側やられる側とどちらも
体験してそういうのはもう終わろう。


そしてね、親切や愛は当然の権利では
ないから慣れないで小さなことでも
1回ごとにちゃんと感謝しようと思う。
そこに心が動いていることに対して
繊細でありたいと思う。

そんなことを考えた満月でした。



次回のグループワークは怒りについて
分析し、解放するワークをします。











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