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♠名場面集♠1「伊豆の踊子」川端康成


『伊豆の踊子』(1926) 

(場面) 旅芸人の一団と道中を共にする「私」は、後方から聞こえてくる踊子たちのひそひそ話が気になっている。

・・・暫く低い声が続いてから踊子の言うのが聞こえた。
 「いい人ね」
 「それはそう。いい人らしい」
 「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
 この物言いは単純で開けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることが出来た。瞼の裏が微かに傷んだ。二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。 (P38)
               

 私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。(中略)何もかもが一つに融け合って感じられた。(p45)

※暫く→しばらく


川端康成(1899-1972~大阪・小説家)
幼くして孤児となり、叔父のもとで育った。大学在学時の1921年にデビュー、菊池寛の知遇を得て「文藝春秋」同人となった。卒業後、横光利一ら当時の新進作家たちとともに「文芸時代」を創刊し,新感覚派の運動を始めた。初期の代表作は「伊豆の踊子」(1926)。
第二次世界大戦後の作品では、精緻な詩的表現によって東洋的人工美の世界を築いた。1968年ノーベル文学賞受賞。1972年に自殺した。他にも「禽獣」(1933)、「雪国」(1948)など多くの名作を残した。


2023.12.30
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