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2人でしかわからないこと

私は父の余命をほとんど知った。
仕方のないことだと思っていた。
それなのに、大切なことに気付いてしまった。





私は世間一般でいう母子家庭で育ちました。でも、母が母であったので、父ともよく会わせてもらったし、母と父と出かけた思い出もたくさんあります。二人は離れたけれど、私のために多くの時間一緒にいてくれました。

私の父は生粋の自由な人です。その自由さは"父"として生かされることに不向きであったけれど、父の良いところは自由で柔らかいところだと、個人的には思っています。父と母は真逆の人で、母は責任感が強く、私のために"母"として生き抜いてくれました。私は二人によく似ています。私は、私が思う二人の一番良いところをもらって生きているので、両親が両親で良かったと心から思います。今思うと、二人はきっと私のためにぶつかって離れたけれど、私のために繋がってくれていたと思えることが嬉しいです。

父の柔軟なところが好きです。「人がどう言っても、やりたいことを頑張りなさい」と教えられました。幼い頃からピアノ、書道、水泳、陸上、勉強、すべて本気で頑張って結果を残しました。今思うと特別にやり続けたいことではなかったのかもしれないけれど、その時は、二人が喜んでくれるからという理由で自分にとって一番やりたいことでした。
父はマイナスなことを一度も言いませんでした。
「負けてもいい」「やりたいならまた頑張ればいい」。
手洗いうがい、挨拶、笑顔、健康でいること、それがなによりも大事だといつも言われました。
父には良い報告ばかりしていたので、私が初めて人生に挫折した十四歳のとき、逃げるように一人地元を離れることを父に報告するのが怖かったです。でも父は優しかった。そして、悲しそうだった。元気でいればそれでいい、と言われて、生きる希望を失くしていた私は、本当に申し訳なくて泣きました。
環境が変わって幸せであることを伝えた時はとても嬉しそうにしてくれました。

何かあったら連絡しなさいと言われて、何もなかったのでほとんど連絡をしなかったけれど、父からは庭と言う大きな畑で新しい野菜が収穫できるたびに「野菜を送った」という連絡が来ました。冬は野菜がほとんどないので、「餅を送った」という連絡が来ました。一年に出来る野菜の数しか話をしてあげなかったことを今更後悔しています。

大学に進学したいと思ったとき、初めて父に"私の父として"ひとつお願いをしました。記憶の上では父にはわがままを言ったことがなかったし、お願いもしたことがなかったので緊張したけれど、「頑張る」と言ってくれました。そして四年間、父は父らしく支えてくれました。生まれて初めて本当にやりたいことを見つけ、役者になりたいと言ったとき、父はやっぱり前向きな言葉をくれました。
(今これを書いていて、四年間大学に通い卒業して二年、支えてくれた父と母に仕送りの一つも出来ずにもがいていることがかなしくなっている)
卒業してからも父との電話では他愛ない話しかせず、苦しいことがあっても、順調だよ、元気だよ、結構稼いでるよ(笑)そう言ってきました。「ほうか、まぁ、無理せず頑張れよ」終わりの言葉はいつもこれでした。
嫌なことがあった、今苦しい、仕事全然うまくいかない、全部言えばよかった。

未曾有の災禍に、地元で話題になっていたマスクを何度も何度も朝から並びに行って、買えずに帰って、やっと買えたものを全て私に送ってくれました。話を聞いて調べたらオンラインショップがあることを知ったけれど、父はネットが使えないので知らずに、何度もチャレンジして買ってきてくれました。電話で、全然元気だけど最近マスクで気分が悪くなってしまう、とつぶやいた私への、父の愛でした。
父は"父"として生かされることに不向きであったと思っていたけれど、思い返せば父は父なりに父だったんだと、今更気付いてしまいました。そして私は、父が私の父であるから大好きだったんだと、思い知らされてしまいました。

父はネットが使えないので、私の活動を何も、本当に何も知りません。たまに電話するたびに、仕事どうだ、順調なのか、と聞かれて、順調だよ、楽しいよ、幸せだよ、と終わらせないで、どんな撮影をしたとか、どんな舞台に出たとか、どんな役をやらせてもらったとか、どんなことが大変だったとか、教えてあげればよかった。私を応援してくれる人がどんな人だとか、好きな人たちの名前とか、教えてあげればよかった。お世話になってる人がすごいこととか、友達がみんな面白くて優しいこととか、好きな音楽の話とか、中島みゆきさんの話とか、ちゃんと、沢山、話せばよかった。

素直さ、自由さ、やさしさ、柔らかさ、寛容さ
私が父にもらったもの。



失うのが、怖くてたまらない。
だから父が生きている間、出来なかったことを出来る限りしようと思います。今このタイミングでそう思わせてくれたのは、今までで一番大きな父の愛かもしれません。父から教わったこと、母と比べたら少ないなんて思ったこともあったけど、生まれ落ちたあの日からすでにもらったものが沢山あったのです。父のさいごまで、父と私は今生きている唯一の血の繋がった父娘です。父のこと、私にしかわからないこともあった。父しかわかってくれないと思うこともあった。もしかしたら父は、私が話さなくてもわかってくれているのかもしれないけれど、"やりたいと思ったから"、今まで父にしてあげられなかったことをやります。そして母にも、いつも同じようにしたいと思います。大切に、大切にしたい。
教えてくれてありがとう。

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