連載小説【フリーランス】#16:かろうじて戦争ではなく

 子供たちが帰った後、図書館の職員たちが、幸代たちのためにささやかなお祝いの席を設けてくれた。数え切れないほどの乾杯を交わし、さらに駄目押しの祝福の言葉とともに送り出されて、二人は図書館を後にした。

 帰りの車中、いつものようにハンドルを握りながら、幸代は言った。

「みんなに報告できてよかったね」
「ありがたいよね。急な報告だったのにお祝いの会までしてくれて。俺ボランティアやってて本当によかったよ」

 運転のある幸代はアルコールを飲まなかったが、正和はビールや焼酎の杯を重ねて、受け応えがややふわふわしている。前方の丸い明かりが黄色から赤にスライドし、ラジオの番組が交通情報に切り替わった。と、フロントガラスの表面に音もなく細い水跡が走って、「あ、雨」と幸代の声がつぶやいた。それの続きみたいに幸代は言葉を重ねた。

「結婚したらどうするの?」
「どうするって?」
「ボランティア。続けるの?」
「もちろん。さっちゃんだってそうでしょ?」
「私のは仕事の一環でもあるから……」

 特にはっきりとした何かを求めて尋ねたわけではなかった。窓をかすめた水滴を見て、雨、と口に出してみたのと同じように、ただ何となく頭の中をよぎったイメージを、そのままに発音してみただけだった。でも正和の答えを聞くと、イメージはにわかに現実味を帯びてきて、引っ込みがつかなくなった。

「いつまでやるつもり?」
「いつまでって?」
「続ける上での目標とか、この先どうしていきたいとかの見通しはあるのかってこと」
「それは、たとえば復興するまでだよ」

 幸代はいつかの山梨からの帰り道で、ユエナちゃんの名前の由来を正和にも話していた。その前も後も、正和は被災地ばかりに行っているわけではないが、ボランティアという名のもとで少なからずそういうことは意識しているようだった。

「たとえば復興したらどうするの?」
「まだ復興なんて全然してないし、復興に終わりなんてないよ」
「じゃあ、マサ君は一生を復興に捧げるつもりなの?」
「もうちょっと言葉に気をつけなよ」

 幸代は黙った。表向きは運転に戻ったが、心はまったく別のところに向かっていた。

 復興は終わらない。もし終わることがあったとしても、いずれまた次の災難がやってくるだろう。洪水、噴火、大雨、土砂崩れ、異常気象、伝染病、新たな地震。経済危機や紛争だってあり得る。世界はいつだって脅威にさらされていて、生きている限り、そのリスクと心中するしかない。平和とは本来あるべき姿でも、取り戻すべきものでもなく、かろうじて戦争ではない状態のことを、暫定の「平和」と呼んでいるにすぎないのだ。そしてカギ括弧つきの平和を維持するために人ができるのは、その状態を一日でも長く引き延ばすことしかない。では果たして今は「平和」と言えるのだろうか。

 思考が停止してもカーナビがあれば車はいずれ家にたどり着く。でも幸代には自分が正和とどこに帰ろうとしているのかわからなかった。⏩#17


⏪#15:ユエナは虹の子
⏪#14:白でも黒でもない
⏪#13:ムーンボウの娘
⏪#12:沈丁花の夜
⏪#11:ミスター模範解答
⏪#10:完璧な仏像に似た
⏪#9:割れた風船の中には
⏪#8:マッチ&デートツアー
⏪#7:人生はレディメイド
⏪#6:残されたまばたき
⏪#5:マスゲーム襲来
⏪#4:風の強い日
⏪#3:渋滞のハイウェイ
⏪#2:神々の大量虐殺
⏪#1:夜の教室

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