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マイノリティのサバイバル術

ウエストランドがM-1で優勝した。

その二日前の金曜日に三四郎のオールナイトニッポンを聴いていて
冒頭から小宮が「ウエストランドが優勝するわけだが・・・」と
ウエストランド優勝を前提に話し始めるボケのくだりがあったので
予言が当たるのを目の当たりにしたような気分でもあった。

とはいえ、ウエストランドの漫才を以前からよく見ていたわけではない。
二年前に決勝進出したときのネタも、正直思い出せなかった。

だが、あちこちの番組を優勝行脚する彼らの漫才を見るにつけ
「毒舌漫才」と称されるその作風に触れるたびに
スカッとするよりも深く腑に落ちていく感覚を味わった。

「毒舌」とされるのは、井口が圧倒的弱者の立場から繰り出す
本音、不平、不満である。
たとえ心の中で思っていても口には出さないようなことを
あまりにもあからさまにぶちまけるので
人間味にあふれているようにも見える。

もちろんそれは「芸」であり、
技術があってこそ面白さに変えることができる。
だから素直に笑ってしまう反面、
芸としてこれを面白いと思わない人はどれぐらいいるのだろうかと
複雑な気持ちになった。

漫才の中での井口の言い分は、ごく真っ当な正論に聞こえる。
それを弱者の負け惜しみや屁理屈のように見せかけているからこそ
笑いとして成立しているのだろうとは思いつつ、
心の奥では「こっちが正しい」と思っている。

ただ、「よくぞ言ってくれた!」ではなく
やはり言うしかないよな、というあきらめに近い。

20代の頃、大勢が集まるような飲み会の場で、
よくケンカをしていた。
みんながいいと言うものをいいと思えず、
それを正直に口にすると反発を受け
また反論し・・・というやり取りの結果だった。

もしみんながいいと言うものを自分もいいと思えていたら
「そうだよねー」と相槌を打って、ただニコニコ座っていればいい。
わざわざ否定的な意見を述べる必要などないし、
愛想がよく、共感力が高く、場の空気を乱さない可愛い子でいられる。
それは何の疑問もなくマジョリティに属している者にしか許されないことだ。

一方、負け惜しみや屁理屈、文句ばかり言う人は可愛くない。
何かにつけて楯突き、いちいち波風を立てる厄介な奴でしかない。
上司には嫌われ、同僚からは疎まれ、部下からは煙たがられる。
どこへ行っても鼻つまみものだ。

私だって可愛い子でいたかった。
できれば嫌われたくないし、好かれたい。

でも、マイノリティが自分の存在や主張を世の中に証明するためには、
どんな屁理屈を並べてでも声をあげなければならない。
それをスマートにやってのけ、論理的に相手を説得できるならば、
論破王や識者としてポジションを確立することもできるかもしれない。

だけどそんな人ばかりではない。
たいていは理屈っぽく、やな奴になる。
それでもなりふり構わず、みっともなく、やかましく、
人の嫌がることでも叫ぶしかない。
そうしないと生きていけないのだ。

世の中的にはウエストランドの芸風を快く思わない人のほうが
多いのではないかと思っている。
芸であっても悪口のようなものは聞きたくない、
少なくとも自分がそのようなものを面白がる人間ではありたくない、
よってそれが面白くないのは当然だと信じて疑わない人たちが。
なぜならそれがマジョリティだから。

そんなことはウエストランド自身が誰よりも承知でやっている。

彼らの優勝によって私は試されている。
お前は嫌われ者になることを厭わない覚悟と勇気があるのかと。



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