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2年越しの目標が再始動しました!


北海道に移住して約2年半。
最初は番組企画で呼ばれただけの縁もゆかりもなかったはずのこの町に、
いつの間にか住民票を移して移住して、自分のお店まで構えちゃって、商工会青年部とか入っちゃって。
すっかり大樹町に染まってしまった私です。
現在も東京と北海道を行き来しながら音楽活動と飲食店を両立していますが、
大樹町がすっかりホームです。


ホリエモンプロデュースのもとオープンした蝦夷マルシェ、開店当初いろんなお客さんが店を訪れました。
その中で、子連れのお母さん方が来店することが何度か。

蝦夷マルシェは元々ラーメン屋さんだった場所を居抜きで使わせてもらってることもあり、決して子連れの親御さんには親切な作りではなかった。
店の入り口の大きな段差。ベビーカーを置けるスペースがない小規模店内。椅子テーブル等ほとんどが貰い物やリメイクで出来た角の尖った家具ばかり。
不便な思いをしながらも通ってくださる親御さん達に申し訳なささえ感じた。

この出来事をきっかけに当時から私の心の片隅に
「いつかお母さん方がゆっくりしながら子供の心配をせず、お茶ができる場所を作りたいな…」
という漠然とした想いだけが湧き上がっていた。

大樹町には当時はまだ道の駅にわずかだが遊具があり子供が遊べるスペースがあった。
その横にはベンチもありお母さん方がそこに座り子供の遊ぶ姿を見守る風景をたびたび見かけていたのだが程なくして唯一あった小さな遊び場は取り壊され新しい施設が建設されてしまった。

またひとつ子供達が遊べる場が減ったのだ。

そんな中私は一階が昔理容室として店舗を構えていた一軒家をかり、2階を住居として住み始めた。

劇的な安さで借りた古民家は所々改装が必要なほど劣化していたのだが、
何故か私はその家に愛着が湧き、
理容室だった店舗の部分をカフェにする事に決めたのだ。
蝦夷マルシェでは叶わなかった「子連れの方々がくつろげる場所」を作るために。

2年前くらいに決意し、すぐさま改装に取り掛かろうとした事を覚えている。

当時、蝦夷マルシェは一緒に立ち上げたトシくんが経営者として動かし、私はカフェに専念する予定だった。

しかし、トシくんの仕事の都合で蝦夷マルシェの経営が私に引き継がれる事になると、
それに重なるようにコロナが猛威を振るい、
カフェ開業どころではなくなり
店舗部分が解体途中だったにもかかわらず、
カフェ開業の段取りはストップとなった。

それから天井も床も壁も剥がされた一階は放置されたまま冬を迎え、吹き抜ける風が水道管を凍らせ蛇口が壊れたりと、とても住んでいられるような場所では無いなかで時が過ぎていった。

続く…

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