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有名大修士卒のエリート学芸員さんは仕事辞めて医学部を受験するらしい。

われわれは、いわばこの世に2度生まれる。
一度目は生きるために、2度目は存在するために。

「休憩中にごめんね、私ね医学部うけようと思うんだ」

バイトの休憩中にこう呟いたのは同期の高校生…ではなく、この美術館で働いている学芸員。年齢は25歳。

鳥肌が立った。

人は二度生まれるは本当だったのだ。

話を聞くと、医学部出身の友達が多く、あと身近の不幸もあり学生時代から心に秘めていた「人を助けたい」に向き合おうと思ったそう。あと、サラリーマンとしての日常に飽きて、これを何十年もやれるビジョンが浮かばなかったとか。

ちなみに彼女は国公立の大学を卒業し、そして大学院で修士を修め、学芸員資格もとったスーパーエリート。

しかし、抱いてしまった野望、見えてしまった「なりたいもの」には勝てなかったようだ。

「ということで明日から実家に帰って受験生やります!普通にニートで無職です!!」

そう話す彼女はただただかっこよかった。自信でいっぱいで、なんか僕なんかよりよっぽど若く見えた。

そして何故か、がんばれより先に「おめでとう」な気持ちになった。

人は二度生まれる。

これはルソーの言葉。一回目は物理的な誕生。二回目は自我の誕生。

物理的な誕生とは、母親から生み出されて時に身を任せて生きていくこと。
○歳などで表記される年齢とは物理的な誕生から何年目かを表している。

一方、自我の誕生は残念ながら「誕生しない人」のほうが多い。なぜなら物理的な誕生と違って、自らが引っ張り出さなきゃいけない。

母からではなく、自分が生み出す必要があるのだ。

そして僕はこの自我とは「将来の夢」だと考える。

改めて、将来の夢。

将来の夢ってのはだいぶぼやっとした言葉で子供の時から違和感があった。

小学校とかで使う「将来の夢」って言葉は「職業」のことを指す。

ただ大人になったみなさんならわかると思うが、大人ってのは案外ちっぽけだ。世は転職だの副業だの、そして鬱だのHSPだの、生きていくにあたって選択肢とか落とし穴が多すぎる。

子供の頃は、大人になるってことをポケモンの進化みたいなノリで考えていたのかもしれない。実はただレベルが上がるだけで進化しない、イーブイみたいなもんだった。

話を戻そう。僕が言いたい「将来の夢」はそういったもろもろの現実を踏まえて「自分がどう生きたいか」という叫びのこと。

友情、恋愛、仕事、家族、趣味、思考、いろんな自分とその他を知った上で「俺はこう生きて死にたい」と思えた瞬間に、あなたが生まれる。

これが「将来の夢」の考え方であって、二回目の誕生ではないだろうか。

盛大に人生をやろうぜ。

これに気づいたらあとは体が勝手に動くらしい。どんなに忙しくても、どんなに後回しにしてもだ。

逆にそれでも動かないのだったらそれはあなたの自我ではない可能性が高い。きままに待つのだ。いつか出会えるさ。

全部のかけらが揃った時、あなたは生まれる。

そこまでのんびり待とう。でも幸せになるためには?みたいなことは常に置いといたほうがいいかな。

そして生まれたらあとはそれに従おう。上司とかルールとかそんなことぶっ飛ばしてしまえ。

あなたが生まれたんだ。盛大に人生をやろうぜ。

おれはどう生きる?

こうして学芸員さんは受験生となりこれからお医者さんになっていくわけだが、僕も僕でいい経験をさせてもらった。

夢ってのはまっすぐに叶えにいくことが一番楽しくて素早いっぽい。

彼女も学生時代から医学部目指しとけばよかったと思っているそうでさ。

とりあえず僕の将来の夢は自分のエッセイ本の出版、そして本屋さんをすること。

ストレートに叶えにいく。俺もつい最近生まれたばっかだ。

俺は俺の人生をやる。

お前もお前の人生をやってくれ。








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