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「泣ける本」が嫌いな話



無趣味なので、休みの日何してるの?だとか趣味は?なんて聞かれると非常に困る。
強いて言うならTwitterで誰かが炎上しているさまをニヤニヤ眺めることだが、リアルでそんなこと言ったら人間性を疑われてしまう。


趣味と呼べるかはわからないが活字を追うのは好きなので「最近あんま読んでないけど読書かな」と答えることが多い。
そうすると結構な確率で「そうなんだ。なんかオススメある?」「泣ける本とかない?」と、とんでもない質問が飛んでくる。


私はこの「泣ける本」というキャッチフレーズが大嫌いだ。
読み進めるうちに心動かされて涙が溢れました…ならわかるが、ハナから「よし泣くぞ!ッシャ オラ」と意気込んで読書に取り掛かる意味がわからない。
映画も同じだ。「泣ける」から観に行こうとは思わない。全米が泣いたからどうした。



そもそも何が個々人の琴線に触れるかわからないんだから「これ泣けるよ〜マジ感動しちゃった〜」なんておいそれと言えないのだ。
自分の場合、これ泣けるよと紹介された本がそうでもなかったら「全く泣けずマジ感動しなかったしなんなら終始ムカついた…私おかしいのかしら」とモヤモヤしてしまうに違いない。

なので泣ける本を聞かれてしまうと
「オメーの琴線知らんがな!!!」と心の中で毒づきつつ「えーなんだろう…感動系ってあんま読まないんですよ」と毎回お茶を濁している。


会話のとっかかりとしてオススメを聞いているだけで、本気で私から何か有益な情報を引き出そうとしてるわけじゃないなんてことは百も承知だが、それでも「泣ける」という言い回しにモヤモヤしてしまうのだ。
めんどくさい奴という自覚はあるが、この歳までこれで生きてしまったため今更矯正は難しい。

もしどうしても泣ける本について知りたい場合は「泣いた本ある?」と聞いてくれればいいのだ。
これなら相手の琴線どうこうを気にせずスッと答えられる。私が読んで泣いたのは事実なんだから。




泣いた本は?と聞かれた場合を想定して答えてみる。『泣いた赤鬼』と『かわいそうなぞう』が泣いた本ツートップだ。

こんだけ引っ張ってなんだお前ふざけんなバカと思われそうだが、そもそも私は尋常じゃなく涙腺が弱いので基本的に感動系を読もうとしない。

この二つは子供の頃病院の待合室でうっかり読んでしまい酷い目に遭った。
成人してから「昔これ読んで大泣きしたけど今読んだらそうでもなかったりして」と再挑戦したが、案の定嗚咽する羽目となった。


「フーンどうせここで泣かす気満々でしょ…その手には乗らないぞ…」とヒネたこと考えてるくせに、製作者の想定しているオラここで泣けポイントに余す所なく引っかかるタイプなのだ。
すぐ感極まって泣いてしまうことがなんとなく悔しいため、あまり読む気になれないのだ。

うっかりそれ系の本を読んでしまうと九割方泣いてしまうし、前述の二つは思い浮かべただけで涙が出てきてしまう。今も若干スマホの画面がぼやけている。賢いトンキー、もう芸をしなくていいんだよ…アッもうだめだつらい



読書の秋もそろそろ終盤、懐かしい絵本を開いてみるのもいいかもしれない。
いくらなんでもこのまとめ方は雑すぎる。我ながら情けなくて涙が出そうだ。

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