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社会人留学0日目-1 今までのこと

0日目:成田空港出発

22:30発のカタール航空。これに乗ったら私はもう、一人の世界だ。大好きな家族と友達がいる国、日本。便利で清潔で安全な日本。しばらくさようなら。そう思うだけで涙が止まらなかった。

東京生まれ東京育ち。心配性な両親のもとにいたかなりの箱入り娘。東京以外に住んだことはないし、両親や友達とこんなに離れて暮らしたことはない。困ったら実家にすぐ帰れる距離に住んでいたし、15年来の友達もすぐに会える距離にいた。空港にくるちょっと前まで、山手線沿線の持ち家にやさしい旦那さんと甘えん坊な猫2匹と一緒に暮らしていた。今思えば、これ以上ないってくらい幸せで恵まれた人生を生きてきた。どうしてそんな私が突然会社を退職して、30過ぎのいい年の女がで単身でハンガリーに?

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2021年の春くらい、仕事で躓いた。今の私なら、当時の自分はただ大げさに受けとらえすぎていただけだな、と思えるけれど、その時は自分の評価がどうされるかが自分の価値すべてのような気がしていた。仕事を評価されたくて、自分なりにがんばったつもりだった。私が手を挙げていたポジションは、候補者の中で一番経験年数が長く、経験した仕事の幅も大きいはずだと思っていた。社内選考から漏れて、社外の未経験の候補者が選ばれたと聞いた。ショックを受けたあと、「今に見てろ」と心の中でつぶやいた。ただ、これだけでは終わらなかった。人生の悪い時というのは続くもので、その後も、自分より高いポジションで、似た背景の人が新しくチームに雇用された。上司から新メンバーの紹介があったとき、「●さん(私の苗字)とほとんど(経験が)同じ人だよね?」とみんなの目の前で言われた。「同じなら、なんで違う待遇なの?」と思ったけれど、正直消えてなくなりたかった。私なんて、その辺にいるだれかと同じだよね。

ずっと仕事のトラブルが続いていて、びくびくと上司の機嫌を伺いながら、「お前、馬鹿なの?」という態度にも耐えて。上司とのオンライン1on1の後、家で泣いているところが旦那さんに見つかり、心配されたこともあった。能力としては足りなかったかもしれない、でも自分なりにまじめに前向きに頑張ってきたのに。この扱われ方は、あんまりだ。

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それから少しして、適応障害という診断が出た。朝起きて、ノートパソコンを見るだけで吐き気がして、胸がつまっていく感じがした。自分で自分の様子がおかしいと思った。これ以上、この仕事を続けたら、私は私でなくなってしまうと思った。朝、駅に向かう階段をのぼりながら、「きっとここが、私の限界だ。もうがんばれない。」と思った。この時の私は、一番底まで落ちていた。

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2021年の秋くらい、英語と海外についてのとある動画をYouTubeで見た。この動画がすべての始まりで、inspiringという感じ、心の底からワクワクした。日本を出て、海外留学に行ってみたい。その時、「今に見てろ」と呟いた私がもう一度目を覚ました。

そこからIELTSの勉強を始めて、できる日は朝勉強してから出社、土日の休みは図書館に一日中いてずっと勉強していた。漠然と留学行きたいというところから、色々調べて、足を運んで、Computer Scienceという専攻に決めた。モノづくりが好きだというところと、デザインに関わる仕事ができそうだということ、今後は物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを提供するサービスが伸びていきそうだと思ったこと、成長している業界だということ、エンジニアになれば移民歓迎リストにも結構のっているから、海外で働きたくなったら働けるかもしれないし。そんな感じの理由だった。

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2022年の春、やっぱり変わらず私はプロモーションされず、自分の今の仕事にあきらめがついたところで、思い切って海外大学にアプライした。半分くらいヤケクソだった。アプライした後で、数学のテストがあることを知り、ゴールデンウィークは高校の数学を泣きながらずっと勉強していた。必死に準備を進める一方で、まあ、落ちたとしても、アプライの流れを体験できるからいいじゃん、と捉えている自分もいた。

一通りの試験を無事終えて、数週間たったある日。仕事を終えてバスに乗り込むと、英文のメールが来ていた。
「We are glad to inform you, that you have received an accepted offer from Eötvös Loránd University regarding [BSc] Computer Science.」と書かれていた。「えっえっえっえっ…」と一瞬喜んだあと、「accepted」って受け取ったって意味か?いやここだと合格って意味だよな??とものすごく確認した。これから私に起こることが想像できて、その日の帰り道は胸がざわざわしていた。

合格の速報が来てから2週間以内に正式な合格通知書が届くとのことだった。会社を退職するなら、正式な合格通知書が来てから退職願を出そう。そう決めて、その2週間で本当に行くかどうか考えよう。仲の良い友達、旦那さん、家族みんなと話してみよう。Twitter通じて、詳しそうな人に話を聞いて、相談してみよう。

仲の良い友人は「絶対行ったほうがいいよ!!チャンスだよ!!」と全力応援してくれた。なんだかんだ家族も、さびしい気持ちや不安も感じながらも否定はしなかった。

でもやっぱり最後に気になったのは両親のことだった。自分がこの家に生まれた意味みたいなところを私はすごく大切にしていて、家族の中で自分がどう振る舞うとみんなが幸せかとか気にする方だったりする。悩んだあげく、旦那さんに話した。「やっぱり留学やめる。両親が心配だから。それにオンラインでも学位とる方法はあるし。」この判断の背景には留学の期間がそれなりに長いことが挙げられた。大学なので3年だが、それは最短で卒業した場合で、プレコースから入った場合や、単位を落とした場合は4年以上かかる場合だってあるのだ。

旦那さんが「えーそっかー」と残念そうに言ったあと、少し沈黙した。そして、こう続けた。「いや、行った方がいいと思う。今あるチャンスを活かすべきだよ。ここ1年の様子を見てて、このために英語の勉強とか頑張ってきたじゃん。絶対今、行ったほうがいいよ。」「3年と考えると長いけど、1年で途中で辞めることだってできるし、なんかあったら休学もできるでしょ。無理だと思ったら、帰ってくればいい。」

そうか、途中でやめることも確かにできる。何かあれば帰ってこれる。それより何より、今行った方がいい。この考え方は目から鱗だった。大学は半年が1セメスターだから、半年ごとにこの留学を続けるかどうかを決めるタイミングにもなる。そうか、なるほど。

もし私が学位をまだ持っていなかったらこういう考え方はできなかっただろうけど、今回の留学はセカンドバチェラーになるので、自己啓発として捉えることができる。自分のペースで頑張れる道を色々試すこともできる。

こうして私は留学に行くことに決めたのだった。


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