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SNSと日本人の国民性

エックス(ツイッター)やインスタグラムは、自分で発信せずに、ただ見たいものだけを見るようにしていると、手軽に情報がアップデートされて助かることがある。

でも、自分で発信し、自分自身を晒し、さらにコメントやら引用やらで絡み始めると、日本人の陰湿な国民性が現れてくるように思う。エックスは、発祥の地アメリカよりも、日本の方がはるかに利用時間が長いと報道されていた。日本人の精神構造にマッチしているのだろう。しかし、マッチしているというのは、だからといって有意義な使い方がなされているということでもないと思う。

陰湿というのはネガティヴな表現だが、実際には慎重さ、控えめ、穏便さなどの裏返しでもある。全体の雰囲気に合わせる圧力を強く感じる国民性のため、現実の会話では、日本人があっけらかんと意見をぶつけるということは少ないように思う。だから、表向きにはにこやかで和やかに過ごしているように見える。しかし、その違和感が納得して受け止められていない場合、もやもやはどこかで噴出することになる。現実の人間関係で発散するならそれは陰口・悪口となる。仲間外れ、嫌がらせは、学校でも会社でもサークル活動でも、場所を選ばない。

一方でこれがSNSだと、直接知り合いのいない匿名の媒体となるので、その影響力を考えずに毒が吐けるということになる。

個人的に誰かを傷つけたいわけではなく、ただ自分がされたことを理解し、自分の気持ちを整理し、そして自分のこれからの選択のために役立てようとして、このような匿名の媒体を活用するのは有意義なことだと思う。

けれども、匿名であっても(匿名だからこそ)、そこで人間関係が生まれると、現実とは別の形の陰湿さが現れるように思う。匿名なのに、陰湿な争いが始まる。

おそらく、その原因は「人の発言を自分に当てはめて反応」しすぎているからだと思う。

例えば、僕が「お腹が痛かったので、正露丸を飲みました。くさいけど、効きました!」と書くとする。
これを批判しようとすると、こんなふうになる。

→あなたの腹痛は正露丸で治る痛みだったのですね。私の深刻な腹痛とは違いますね。なんだか悲しくなりました。
→せっかく痛みが治ったのに、くさいなんて文句を言うのですね。いやな性格ですね。
→あなたのお腹が痛いなんて、どうしてわざわざそんなことまで発信するのですか。そんなに承認して欲しいのですか。

書いていてとても馬鹿らしいのだけれど、実際にこんなやり取りを、大の大人が真剣に時間と知恵を使って交わしているのではないだろうか。

そのような心の動きが生まれる流れは、わかると言えばわかるのだけれど、「言わなくてもいいこと」に溢れていると思う。言わなくてもいいことを言ってしまうのは、過剰に「これは私の(関係する)ことではないか」と思うからじゃないか。

実際には、みんな、ほかの人の考えていることなんてそれほど関わる必要がないのだと思う。「そんなことを感じたんだね」で素通りするので十分だ。現実で黙っていれば聞こえるはずのない心の声は、そのほとんどがただ眺めていればよくて、為になると思えば参考にすればいいのじゃないだろうか。だって、あの人もこの人も、他人なんだから。

繋がる嬉しさもあるけれど、「つながった気がするけれど実際には繋がってはいないよね」と眺める冷静さも必要なんじゃないかな。あなたはあなた。私は私。互いに役立てることはあっても、全く別の人生を送っているのですから。

もし、役立ったなという感謝の気持ちが湧いたなら、それはとても素敵なことですね。

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