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実は誰も悪くない

最近、ふと思うところがあったので、基本的なところを一つ文章にまとめてみる。

1.人が見ているもの

人はそれぞれ異なる現実を見ている。

一人として同じ現実を見ている者はいない。

社会問題や問題意識という言葉があるが、問題というものは人間の意識が生み出している。

誰もが問題だと意識していなければ、それは最早問題ではない。

社会問題というものは人がそれぞれに社会に対して見ている問題と言える。

そのため、その捉え方は人によって異なる。

人が社会を見るとき、個人ごとに何らかのバイアスが掛かるのは避けられない。

それは感情や感性、価値観から来る認知の偏りであり、ドギツイ色眼鏡として機能し、視界を歪める。

2.社会的概念

善悪という概念がある。

これは個人や社会において物事を測るものさしや道具として使われるが、特別に実体があるわけではない。

善悪は人々の信用によって支えられていて、その意味では本質的に社会に流通する通貨と同質のものと言える。

この性質は善悪のみならず、他の多くの社会的通念とされる概念に共通している。

その一つに人権というものがある。

そもそも、自然界には人権というものは存在しない。

人は生まれながらに人権を持っているというのは、その言葉だけでは正確ではない。

人は生まれながらに社会によって人権が保障されるというのが、より正確な表現となる。

ただし、この人権というものは上記の社会的概念と同様、信用によって成り立っている。

したがって、社会における人権意識が低ければ、人々の人権は当然のように保障されない。

3.調和

自然のシステムは調和が取れている。

翻って人間社会を考えてみると、その構造は自然のものと類似していて、本質的には自然の摂理と変わらない。

つまり、人間社会は常に未来に向かってその形状を変化させているが、その時々においては調和とバランスが取れている。

そこに矛盾や歪みを見つけるとしたら、それは人間の意識が生み出している。

端的に言えば、人々の信用が社会というものを歪めて見せている。

社会の実像をなるべく正確に捉えるには、一旦その信用を排して考えてみると分かりやすい。

信用を排した後に見られるのは、自然界と同じ、力学の世界だ。

その根底には宇宙の物理法則があるが、そこから様々なシステムやメカニズムが派生している。

人間社会に見られるそのような関係性を把握した後で、あらためて信用というものの影響を考慮すると、より正確に社会の実像が見えてくる。

4.視点

社会を観測するのであれば、観測者はまず自身の感情や価値観といったバイアスを可能な限り取り除いた方が良い。

バイアスの掛かったレンズを通してみる社会の矛盾や歪みは、社会の問題というよりは自身の問題である。

その自身の問題を社会の問題と取り違えて考えるのであれば、その問題の解決は望めない。

以上は、この社会のあらゆる立場の人々について言える傾向である。

あくまで傾向であるので、個人差があったり、例外があることについて、最後に言い訳をしておく。

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