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電車が好き、ではなく、阪急電車が好きなのです。

当然のように、阪急電車。

生まれる前から、最寄り駅は、阪急神戸線武庫之荘。刷り込みのように、電車と言えば、阪急電車だった。
春には、沿線に咲く桜が、あずき色の車体とマッチして、綺麗に映える。
撮影スポット。撮り鉄たちが集まっている。
夏は、阪急神戸線には、三宮方面に行くまでに登山できる山がたくさんある。これぞ、本当のロッククライミングと言える風吹岩。素人には怖い荒地山の岩梯子。小学生でも簡単に登れる優しい山、甲山。阪神間の海を一望できる六甲山。
涼しくなる秋には、動物たちも動き出す。阪急神戸線に王子動物園。
ちょっと遠出して、阪急京都線に乗り換えて嵐山の紅葉。
寒い冬には、日本最大の駅を誇る大阪梅田駅に降り立って、阪急3番街で美味しく、温かく、そして、安い、出汁のきいたうどんを食べる。
それが、阪急沿線に住んだ人の使命である。と魂刻み込まれ育った。


小林 一三さん。

ドラマで知った一三さんの半生。それを見てより阪急電車が好きになった。
手堅く人生を歩みたかった一三さんなのに、生涯借金を背負う羽目になった。阪急電車を動かし続けたために。
戦争後、住民が困るからと、多額の借金をして、電車を動かしてくれた。
お客さんの声を元にして作った世界初のターミナルデパート、阪急百貨店。
そこの食堂での出来事が、印象に残っている。
ご飯、おかわり無料。
そこで働いている人が言った。「おかわり無料だから、それしか頼まない人が増えて、困る。これじゃやっていけない。」
でも、一三さんは言った。「今はお金がないから、食べるのに困っている。でも、ここでお腹いっぱい食べさせてもらったと将来お金を持てた時に恩返しに来てくれるから!」と。
その通りだった。潰れるどころか、どんどん大きくなっていった阪急百貨店。今では、ライバルだったはずの阪神を助けて、もっとでかくなったしまった。
今の時代には、無理かもしれない。未来に希望があったあの時代だから出来たことかもしれない。
今は、未来に希望を持ちにくいから。
未来を絶望に変えた経験したことがない大地震、阪神淡路大震災の時も、戦後の時のように、夜通し工事をして、納期を大幅に縮めて半年で壊滅状態だった阪急神戸線を開通してくれた。一三さんも生きていたらそうしたのでしょう。

そして、何とも言っても、関西エリア人気NO.1の沿線

阪急神戸線は、高級住宅地が並ぶ沿線に属しているため、街並みが綺麗で、
阪急沿線の街は、住みたい街ランキングで、上位にいつも位置し、阪急神戸線自体が、人気NO.1の沿線なのである。

ただ好きなだけ

阪急電鉄が、会社として、どういう働きをしているか、どのように地球のことを考えているか、なんて素人の私には分からない。
SDGsもいまいちよく分からない。「取り組んでいる」とは、阪急電車に乗った時に、窓にステッカーが貼ってあったので、それを見た。
ただ、電車が好きなんじゃなく、阪急電車が好きなだけ。ただそれだけ。


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