3日目*兆し

「おはようございます。お名前言えますか?」
今日も名乗ることから始まった。
「今日の午前中担当します、高橋です。よろしくお願いします」
高橋さんは名札を見せながら丁寧に挨拶をしてくれた。
「よろしくお願いします。あ、そのシール」
高橋さんのネームホルダーには、看護師さんのイラスト入りの可愛らしいピンク色のシールが貼られていた。そのシールを貼っている看護師さんと、貼っていない看護師さんとがいて、同じイラストで青色のシールを貼っている看護師さんもいた。何のシールか気になっていたのでつい「そのシール」と指をさしてしまった。
「あ、これは1年目のシールなんです」と高橋さんはにこやかに教えてくれた。
「そうなんですね、それ、青色の方もいらっしゃいましたよね」
「はい、ピンクが1年目で、青は2年目の看護師です。」
「へー!」
私はシールの意味することを知って納得すると同時に、これまで私のお世話をしてくれていた看護師さんたちがほとんど1年目2年目だったことに驚いた。
「1年目に見えませんね!」と言うと、「いえいえそんな、」と高橋さんは謙遜した。
私は質問ついでに自分の病気について聞いてみることにした。
「高橋さんは、私の病気がどんな病気か知ってますか?」
「あ、はい。えっと、頭頂葉っていう脳の部分に血の塊ができてしまって、そこで流れが止まってしまって詰まったことが原因で出血したみたいです。」
「それで痙攣して倒れたってこと?」
「そうです。その出血の部分が、えーっと、てんかん、って言ってわかりますかね?」
「てんかん、わかります」
「てんかんに関係する神経の近くで出血があったので痙攣を起こしちゃったみたいで、だから昨日から痙攣止めのお薬が追加になってます。」
「あー、そういうことかー。薬増えたけどなんだろうって思って、でも聞けずにいたんです。やっと少し繋がってきました。ところでこの病気って死ぬんですか?」
「あ、いえいえ、人それぞれなんですけど、今これだけ元気、に、見えてるんですけど、」「あ、元気です」「なので、すぐ死ぬってことではなくって、えーっと、もう少し経過をみましょうというか。出血の範囲が小さかったみたいなので。」
「はー、なんだか少し自分の病気がわかってきたぞ。お仕事中に引きとめてすみません。わかりやすく教えてくださってありがとうございます。」
「今スマホ触らないから調べられないですもんね。不安ですよね。」
「そう!そうなんですよ!自分に何が起きてるのかなって。でも今教えてもらえたのでちょっとそれだけで元気が出てきました。」
「よかったです。またわからないことがあったらいつでも聞いてくださいね。」
「ありがとうございます。助かります。」
「いえいえ、じゃあまた後で朝ご飯持ってきますね。」

高橋さんが部屋を出てから、私はなんとなくホクホクした気持ちだった。
やっぱり見えないことって不安なんだ。ほんの少しだけど見えるようになったらなんだか、とてもスッキリした。
そしてやや上から目線かもしれないが、1年目でこんなにしっかり対応できるなんて、看護師さんってすごいな!と思った。
もう少しこの部屋に居られる気がしてきた。

その日、朝ご飯にパックの豆乳がついていた。
私は豆乳を飲んだことがない。
飲んだことはないが苦手意識があった。飲もうか、残そうか。
朝ご飯のお肉に甘く味付けされた豆が添えられていた。そう、私の苦手なものだ。
豆も豆乳も残していいものか、、いや、豆は残そう。これは無理だ。でも豆乳は、飲んだことがないのだから、飲んでみよう。それで、口に合わなければ残そう。
心に決めて豆乳を口に含んだ。
わー!美味しいぞー!
これは美味しい。最後に取っておこう。
私は好きな食べ物は最後に食べたい派である。

「失礼します」
歯磨きを終え、のんびりしていると渡邉先生がやってきた。
「どうですか?」

「あ、とっても元気です」
「元気ですかー」渡邉先生は少し頭をポリポリとするような雰囲気でこちらを見ている。
「うーんと、ちょっと考えたんですけどね、まあ元気そうだし、麻痺とかね、そういうことも出てないみたいなんでー、まあ外来で経過観察するってことでも良いかなと」
「え!それって、、」
「うん、退院でもいいかなーと思って、明日お父さんかお母さん呼んで話しましょうかね。」
「え!いいんですか!試験も?」
「いやまあ、ただ安心して行ってらっしゃいってことではなくて、やっぱりいつ何が起きてもおかしくない状況なんでね、県外行くなら必ず付き添いは要りますよ。」
「ありがとうございます!」
「じゃあ明日ご家族呼んでもらうようにするんで。でも変だなと思うことがあったら無理せず、看護師か誰かにちゃんと言ってくださいね。」
「わかりました!」
「それで今日は一応採血の結果を聞きにね、血液内科の方を受診してもらいますね。看護師に連れて行ってもらってね。」
「はい。あ、えっと、えっと、何か気をつけることはありますか?」
「まあ前言ったみたいに、寝不足は厳禁。あと無理しないってこととー、運転とか、1人での入浴ぐらいかな。」
「ああ良かった。ありがとうございます!」
「じゃあまた明日話しましょう。」
私はまるで初めて外に出られるかのように喜んだ。入院してからこの集中治療室の外には一度も出ていないので間違ってはいないのだが。
先生から手放しで退院おめでとうではないことは何度も釘を刺されたが、私はそれでも嬉しかった。

やっと自分の周りが明るくなってきて、あ、それは良いことに囲まれてきて、ということではなく、視界が開けたようなそんな感じがしてきて、いつもの自分に戻りつつあった。
あれ、そういえばもう3日もお風呂に入っていない、頭がかゆい!そんなことにも気づく余裕が出てきた。しかし気づいてしまったのでかゆくて仕方なかった。

「失礼します」
黒髪ボブの身長が150㎝台前半くらいの女性が部屋に入ろうとして看護師さんに「あ、今から診察なんです」と止められていた。
昨日言ってたリハビリの先生かな?と思った。
ボブの女性は「すみません、また来ます」と言って、代わりに看護師さんが車椅子を押して入ってきた。
「私が血液内科までお連れしますね」高橋さんではなかったが、ピンクシールの看護師さんだった。
「車椅子で行くんですか?」
「はい、念のために。」
看護師さんは私を車椅子に乗せて、慣れた手つきで移動を始めた。
私は車椅子に乗るのは小学生のときの福祉の授業以来だった。
「わー!大冒険ですね!」
「えっ、そうですか」と戸惑われながら、ガタガタと揺られて血液内科に到着した。
血液内科では、特に検査結果に異常はみられず、自己免疫系には問題ないということが話された。
また車椅子に揺られて部屋に戻った。
「ありがとうございました、あの、私って勉強してもいいんですかね?」と看護師さんに聞くと、「あ、全然大丈夫だと思います。」と言ってもらえたので、母に勉強道具を持ってきてもらおうと考えた。

昼食をとり、少しうとうとしていると、「失礼します」と朝のボブの女性が部屋に入ってきた。「朝はすみませんでした。理学療法士の持田です。」
「あ、持田さん!」
持田さんはキョトンとした。
「あ、ごめんなさい、昨日来てくださった方が、多分持田さんが来るって仰ってたから、どんな人かな?って思ってて」
持田さんはにこっと笑って「そうだったんですね。」と言った。
「今日は、病棟の中を歩いてみましょうか。」
持田さんと歩きながら色んな話をした。"癒し系"という言葉がピッタリだと思った。
「最後に少し、バランス見させてください。」
私はバランスには自信がなかった。姿勢が悪いし、筋力も弱いからである。
「不安だなあ」と言いながら、目を開けた片足立ち、目を瞑った片足立ちをそれぞれ実施した。
「心配されてましたけど、大丈夫ですよ、平均的です。」「おー、良かった!」
「今日久しぶりに歩いて疲れたと思うので、ゆっくり休んでくださいね。また明日来ます。」

確かにたくさん歩いて疲れたが、なんだかとても楽しい時間だった。気分転換、とはこういうことかと体感した。

疲れもあって再びうとうとしていると、「失礼しまーす」と、1000年に1人の逸材と言われている芸能人に似た女性が入ってきた。
「こんにちは。リハビリ担当の佐藤です。」
「あ、こんにちは、」
「寝てました?」
「さっきもリハビリしたところで」
「あー、じゃあお疲れですか?」
「今日は久しぶりにたくさんの人と話して、少し歩いてちょっと疲れてます」
「疲れてるところ悪いんですけど、脳の検査しますね」
佐藤さんはマイペースにリハビリを始めた。
「作業療法士さんですか?」
「あ、そうですそうですー、さっき来た持田先生が理学療法士で、私は作業療法士ですー」
と、言いながら昨日と同じ認知症の検査が始まった。最初の数問答えてしまったが、このまま続けていいのか?という思いが強くなった。
昨日の結果と比べるのか?いや、そんな直近で実施する検査じゃないよな?何より、遅延再生の課題(単語を覚えて、他の課題に取り組んだのち思い出せるか確認する課題)で用いられた単語をまだ覚えている。今やっても意味ないよな?
「あ、あ、あの、この検査、昨日もやりました」
「あれ?そうでしたか、すみません、じゃあ、違う検査にしますね」
と言って佐藤さんは紙とペンを机に置いた。
「えっと、出血の部位が"コウセイ"に関するところなので、その検査です」
「コウセイ?」
「えーっと、物の形とか、立体を認識できるかとか、そういう」
「あ、構成?空間認知とか?」
「あー、そうです、そういうのです」
「なるほど」
そして佐藤さんに指示された絵を2枚描いた。
「うん、問題なさそうですね。」
「良かった。」
「あとじゃあ、暗算のテストしましょうか」
「え、暗算ですか、、」
「あれ」
「あのー、とても苦手です。昨日も全然できませんでした。多分脳出血じゃなくてもできないです。」
「あら。頑張りましょう。」
暗算のテストからは逃れられないようだった。
暗算のテストと、数字を覚えるテストをした。
「うんうん、平均的ですね」
「わあ、良かった。」
「明日も来ますね」
「暗算しますか?」
「んー、明日はしないかな?」
「良かった。」
「そんなに?」
「はい、そんなに」
「ふふ、じゃあ疲れさせちゃったかな、起こしちゃったし、休んでくださいね。」
「ありがとうございます。人と話せるの嬉しいので、明日も待ってます。」
「頑張ります」
「頑張らなくてもいいです。笑」
「ふふ、じゃあまた明日。」
「はい、ありがとうございました。」
佐藤さんは、持田さんとは少し違うタイプの癒し系だった。文字にするとかなり淡々としているように見えてくるが、淡々としているというよりはサバサバしているという感じで、とにかくマイペースなので、私もマイペースでいられた。

夕飯前に母がノートとテレビカードを持ってきてくれた。「看護師さんが、勉強してもいいって」と言うと、明日は勉強道具を差し入れてくれることになった。
初めてのテレビカードにテンションが上がった。1,000円分だから、大事に使おう。
「明日退院の話をしましょうって先生が言ってたよ」
「うん、看護師さんから聞いたよ。良かったね。明日朝来るね。」

母が帰った1時間後くらいに、父と妹がやってきた。
「退院してもいいって」と私が父に言うと、
「でもそれで安心ってことじゃない。県外に試験受けに行くのも、旅行じゃないからサッと行って、サッと帰る。それだけ。付き添いもいるし、遊びじゃない。」先生から釘を刺されたが、父はさらに釘を刺す。
「わかってるよ〜」と私はぶんぶんと頭を振った。
「頭を振るな」
「明日退院の話お母さんと聞くの」
「先生も困った患者さんだと思ってるだろう。明日ちゃんと話聞かなきゃだめだぞ。わからないことは質問しないと」
「わかってるって〜」私はまた頭をぶんぶん振る。
「だから、頭を振るな」
「はいはい」
神経質な父は釘を何本も刺す。しかし私には想定内。
妹は、「今日の夜ご飯はねー、鮭だと思う」相変わらずあっけらかんとしている。
「なんで?」
「なんとなく。だって肉ばっかりでしょ?」
「まあ今のところそう。」
「だからねー、今日は鮭。」
「そうかなあ。魚は鮭以外にもいるよ?」
すると父が「あ!スマホ渡すの忘れた!」と言って慌てて私にスマホを渡した。
「昨日見たから今日は持ってこなかったのかと思った」
「違う!忘れてた!スマホは?って聞かないとだめじゃないか!」
「えっ、私が悪いの?」
父はばつが悪いといった表情で少し笑った。
スマホを見ると、彼からのLINEと、昨日は気づかなかったが妹からLINEがきていた。
そこには「さみしいと思うけど泣かなくても大丈夫だよ。お見舞い行くからね。こんなこと言ったら余計泣けちゃうか」と書かれていた。

私たちはあまり仲の良い姉妹ではないと思う。性格も雰囲気もあまり似ていないし、喧嘩も多い。気が合わないので2人で出かけることもない。妹は私のことが嫌いだと少し思っていた。

それを読んで泣きそうになりつつもこらえた。目の前に妹がいたが、その場で変な顔のスタンプを送り返しておいた。

「あ!もう15分経っちゃった!」
時間に厳しく細かい父が5分もオーバーして慌てているのが私には面白かった。
「じゃあもう帰らなきゃだー、ばいばーい、今日は鮭だよー」と妹はのんびり手を振り、父は「ほな」とだけ言って慌てて退室した。

夜ご飯は、鱈だった。うーん、惜しい。と思いながら食べた。

テレビカードを使い、テレビを見ていると21時に看護師さんがやってきた。
「夜間担当します、よろしくお願いします。電気消してもいいですか?」
そこで初めて消灯時間があることを知った。
21時消灯か、早いな、、と思ったが、「あ、消しても大丈夫です」と言ってテレビを消した。

今日はたくさん人と話して楽しかったな。
明日先生の診察緊張するけど、疑問は聞いたらいいんだ。なんか、病院嫌いだと思ってたけどみんな優しいな。
高橋さんに病気のことを聞いた後のような、ホクホクした気持ちを抱いて眠りについた。

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