4日目*不信と初心

「おはようございます。お名前言えますか?」

このくだりを書こうか、もうやめようか迷ったが、やはり書くことにした。

起床時、3食の「いただきます」前、薬を飲む前、検査前、診察前、就寝前、、とにかくあらゆる場面で生年月日と名前を報告する。
この作業が病院という場所においてはすごく大切なのだろうと思う。
しかし、正直4日目ともなると「またか」を通り越して「もう良くない?」と思えてくる。
私はかなりの面倒くさがりである。
自分の名前を言うとき、頑張って言わないと聞き取ってもらえないことが多々あるし、生年月日は西暦で述べるか和暦で述べるか迷う。
たったそれだけのこと、たったそれだけのことが繰り返されるので大変面倒くさかった。
というわけで(?)せっかくなので残しておくことにした。


「失礼します」
例の御一行様が人数を増やしてやって来た。
「おはようございます。退院傾向だそうで」
真ん中で白衣を着て堂々としている白髪のDr.に言われた。
「あ、本当に退院できるんですか」と返すと、Dr.は困ったような顔で後ろにいた違う役割の人を見た。
その人は、少し慌てた様子で今日そういう話を渡邉先生とする予定ですとDr.に伝えた。
そんな情報も曖昧なのに何しに来たんだろうと思った。
Dr.はこちらに向き直り私の顔を見ると、「あれ?斜視気味ですか?」と言った。
「え?一度も言われたことないですけど」
「ちょっとこのボールペンを目だけで追ってみてください。」
言われた通りにする。
「ああ、大丈夫そうですね。それじゃあ」
御一行様は退室した。

私は低血圧なので朝はなかなかテンションが上がらない。しかし今日は上がらないどころか、下がった。
なんでこっちはこんなに名乗っているのにあの人たちは名乗らないんだろう。一体誰なのか知らないのに入ってきて好き勝手(ではないのだろうけど)言うから私は「襲来」と認識してしまった。

「失礼します」
また誰か来た、と少しうんざりするような気持ちで目をやると、看護師さんがカートを押して入ってきた。
「看護師の舘です。身体拭きましょう。」
テンションが下がったと言っていたのは誰だと思うほど今度はテンションが急に上がった。
「やったー!」
何を隠そう昨日私は元気が出てきて全身がかゆいことに気がついてしまったのだ(この前も書いた)。もう頭はベタベタだった。
「ありがとうございます!もうここ(集中治療室)にいる限りお風呂には入れないのかと思ってました!良かった!」
「お風呂入れないとつらいですよね」
舘さんはにこやかに共感しながらテキパキと手を動かし、私に泡をのせたペーパータオルのようなものを手渡した。
「これで拭いてください。泡は拭いたら消えます」
サッと拭いて軽くこすってみると泡が消えた。
「えー!なんで!なんで泡が消えるんだ!すごい!」
「ふふふ。不思議ですよね。あの、カルテに少し書いてあったんですけど、あの専門職なんですか?」
"あの専門職"とは、私の仕事に関することで、伏せる意味があるのか無いのかわからなかったので一旦伏せておくことにした。

「いえ、まだ違うんですけど、目指してます。」
「あ、それで来週その試験が?」
「そうなんです、もう今週ですけど」
「あ」
「あれ?!ピンクシールだ!」
私は話の途中だったが衝動的に舘さんの名札のシールを指さした。
「あ、はい、1年目の看護師が貼ってるシールです」
「昨日高橋さんから聞きました!舘さんも1年目ですか?!見えない、、手際が良すぎる」
「そんな、私なんてまだまだです。頭洗うので寝転びましょうか。」
「え?!寝転ぶ?!ここで?!ベッドの上で頭を洗うんですか?!」
「そうです」
「すごい!私は何をしたら?」
「ふふふ、寝転がってるだけで大丈夫ですよ。」
「すごい、、」
「なんであの専門職になろうと思ったか聞いてもいいですか?」
「あー、きっかけはたくさんあるんですけど、まあ前の職場で色々あって。それと、祖父が『俺は人生に何も後悔してない』って言って亡くなったそうで、私はどうかな?後悔することあるかな?って考えて。」
「へー!すごいですね」
「いやいや、舘さんはなんで看護師さんに?」
「私はおじいちゃんが優しい看護師さんにお世話になって、っていうありがちなやつです」
「ありがちなんだ」
「超ありがちです。つまりなんとなくです。」
「なんとなくで看護師さんになれるのすごいと思うけどなあ」
「でも私、この仕事向いてないなーってよく思うんです。」
「え?こんなに上手に頭洗ってくれるのに?」
「本当は頭洗うのも苦手です」
「えー、美容師さんみたいに気持ちいいけどなあ」
「ありがとうございます」舘さんは、素直に受け取れないけど悪い気はしないといった微妙な表情で微笑んだ。
「結構大変なんで、もっと話きいてほしいです」
「やー、看護師さんって本当大変なお仕事ですよね。入院してると改めて思います。」
頭を洗い終えて、舘さんが少しドライヤーをしてくれた。しかし途中で「あ、やりたい髪型とかありますよね?」と、ドライヤーを私に渡した。
「えー、寝てるだけだし髪型は何でもいいけどなあ」と言いながら自分で乾かした。鏡を見て乾かしたが結局ボサボサに仕上がった。
それでも私はさっぱりしたことが嬉しかった。
「わー!さっぱりした!ありがとうございます!本当にうれしい〜!」
「良かったです。今日は診察もあるので、担当は変わりますけどまた呼びに来ますね。それまでゆっくりしていてください。」
「ありがとうございます!」
舘さんは今度は少し照れたような表情で、嬉しそうに微笑んで退室した。

私は久しぶりのさっぱり感が嬉しくて何度も髪をばさばさ振った(短いのに)。

そしてさっぱりした気持ちで、自分がある専門職を目指す理由を反芻していた。
舘さんは「なんとなく」って言ってたけど、私もなんとなくと言えばなんとなくなんだよなあ。
いやはやしかし試験を受けられるかもしれないこのタイミングで原点を思い出す機会をもらえて良かった。
それと同時に、1年目に見えない手際の良さで何度も驚かされる看護師さんたちに感謝の気持ちでいっぱいになってきた。
以前にも書いたことがあるが、私は病院が苦手だ。なぜ苦手なのかはわからない。思えばどことなく器具も働く人も冷たいように感じるからかもしれない。忙しすぎて流れ作業のように思えるので、自分もそのように流れなくてはいけない気持ちになるというのもあるかもしれない。もともと苦手意識があるので根本に何があるのかまだわからないが、そんなことを考えた。
でもこうして何気ない会話を挟みながら、患者のことを知ろうとしながら頑張ってお仕事している看護師さんたちを見ていると、癒されるような励まされるような、自然と気持ちが前向きになっていった。
私も、ある専門職に関する仕事に就いて1年目。ピンクシール仲間である。何年目でも初心を忘れず一生懸命でありたいな。温かい人でありたいな。

そこへ母が入ってきた。そうだった、渡邉先生との話し合いをするんだった。
「ちょっと待っててだって〜」と、のんびり入ってきた母に「今日身体拭いてもらったの!それでね、ここで頭を洗ったんだよ!ベッドの上で寝転がって!」私は矢継ぎ早に話した。
「へー、すごいね。どうやって洗ったの?」
「寝転がってたからわかんない!」
「なんだそれ」

そんな話をしていると、高橋さんが入ってきた。
「失礼します、渡邉先生のところに一緒に行きましょう。車椅子使いますか?」
「あ、いえいえ、歩いていけます」
外来まで母と高橋さんと私の3人で歩いて行った。

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