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本物の活字中毒ってやつを教えてやるよ

最近、ちょいちょいXで「本読まないと文章力が育たない」とか否とかいう議論を見かける。
私の意見としては
「まあたくさん読めば、ちったぁ上がるんじゃないの」というところだ。
そもそも本(それも小説!)で勉強しようとするのがあんまり好きじゃないので、こんな斜に構えた感じになる。

文章をたくさん読んだだけ、文章力は上がるだろう。
私の文章力も多分、たくさん文章に触れて自然と上がったものだ。
ただ、それはかなり効率の悪い手段だということは知っておいたほうがいいと思う。
少なくともライターとしての「読みやすい文章」を書く上では
文章をたくさん読んで豊かな文章力を身に着けるより
文章の型をいくつか学んで、相手のことをとことん考えて書いた方が
はるかに良い記事が書ける。

「文章をたくさん読む」の「たくさん」が問題なのだ。
私は本というキレイにおさめられた文章以外にもあらゆる文章をインプットしたからこそ、さまざまなところで通用する文章力を身に着けた。
「たくさん」読んだ。ただその「たくさん」は真似できるレベルじゃない。

文章を読まずにいられないビョーキの人しかなしえない量である。

活字中毒というと「読書が超好きです」の別の言い方くらいに思っている人がいるが、全然違う。
「文章読んでないと生活がままならない」
それが活字中毒者である。

私の話をしよう。
汚い話で申し訳ないが、まずはトイレだ。

私の実家のトイレには小さな本棚があった。

母は私を超えるレベルの活字中毒者であった。
文章を読まないと「出ない」のだという。
子どもの頃はそんな母を笑ってみてた。

しかしそんな実家で20年弱過ごした私は、当然母と同じになっていた。

そもそも文章を読まないとおとなしく座ってられないのだ。
とにかく、落ち着かない。
当然出先なんかだと本などないので、必死に目につく限りの注意書きや説明文を読む。芳香剤の成分表示などでも読んでしまう。
そうじゃないと落ち着いて座っていられない。し、「出ない」。

説明会なども苦手である。
おとなしく座っておかなきゃいけない時間のわりに資料はうすっぺらなことが多いからだ。
途中で資料を読み終わったら目につくものを読む。
文房具の注意書きや成分である。
それでも間に合わなかったらひたすらメモを取る。読むための文章を作っては読み作っては読みすることで何とか座っていられる。

電車などの移動時間に本を忘れたら致命傷だ。
広告を隅から隅まで読む羽目になる。

テレビや動画も退屈だ。読むもんがないから。
結局スマホでニュースなどを読んでる。
映画はスマホが見られないので極力字幕を選ぶ。
背景の看板やポスターなどを読んでいることもある。

子どもと公園に行ってブランコを押してるときも
目は自然とブランコの対象年齢の注意書きを追ってる。
しかも何回も読んでるやつを。

ここまで読んだら、わかっていただけたんじゃないだろうか?
活字中毒は結構ちゃんと、ビョーキだ。
どこでも通用する文章を書けるレベルまで文章を読むことで文章力を鍛えたいと思ったらこんな生活が待っている。

文章を読むのは、基本的には労力を使う行為で、
必要がなければ、おもしろくなければ、文章を読まないのが人だ。
でも、活字中毒者は無為に文章を読む。中毒だからだ。

文章力が鍛えられるかも、くらいの軽い気持ちで
人間やめちゃダメなのよ。

その時間があったらそれだけ読む人のことを考える時間にあててみてほしい。たぶん、ずっと簡単に短時間で、劇的に文章変わるよ。




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