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わたしのほしいものは

tonchikiさんと、金木犀の香る縁側で、あったかいお茶を飲みながら、この本の感想やらなんかをおしゃべりをしているようなつもりで、つながりノートを書きたいと思います。(※2022年6月で終了したShortNoteで書いた記事です。「つながり」のリンク先が存在しないのが寂しいのですが…)

思えば、ShortNoteは、縁側であったかいお茶を飲みながら、人の話を聞いたり、ボソリボソリとした私の下手なおしゃべりを聞いてもらいたい、というような気持ちで始めたのだった。

ただ、その人がどんなことを思っているのか、何を感じたのか、オチも教訓もなくてもいい、その瞬間その人がどんなだったかを聞き、語っていい場所が欲しかったのだ。(でも、実際の私は、リアクション欲しさに、オチをつけがち)

ここに投稿するとき、あたたかい縁側に、誰かしらがいて、ゆったりとお茶を飲んでいて、気まぐれにやってきた私の話をへえー、とか、ふうん、と聞いてくれている気がする。

何もネタがない日も、縁側に座って待っていると、誰かしらが話をしに来てくれて、それを聞く。ただそれでいい。そんな風に思う。

『ほしいものはなんですか?』 益田 ミリ( 著)

タイのバンコクで駐妻をしていた頃の私は、ミナ子のようだった。夫の転勤に帯同した専業主婦。暮らしに不便のないバンコクでの生活。お小遣いでランチや習い事などしながら、のんきに暮らしているイメージかもしれない。それでもわいてくる「足りない感じ」。私はバンコクで、ミナ子と同じ40歳を迎えた。社会人でなくなって、若くもなくなって自分が「薄まっていく感じ」。

『ほしいものはなんですか?』 益田 ミリ( 著)

奥様会でも旦那さんのことを「主人」と呼ぶ人が多かった。私は意地でも「夫」と言い続けたが、単なる意地でしかなかったし、深い意味もなく、「主人」って言っていた人もいたと思う。

『ほしいものはなんですか?』 益田 ミリ( 著)
『ほしいものはなんですか?』 益田 ミリ( 著)
『ほしいものはなんですか?』 益田 ミリ( 著)

バンコクに行く前の私は、タエ子のようであったと思う。当時、幼児の子育て中のパートタイマーの方が多い職場で働いていた。子なしの私は、仕事中心で生きる人、社員だから最終責任を取る人、という位置づけにあって、子育て中の方々の急な欠勤や早退をカバーすることが多かった。

子供の急な発熱、お迎えの時間に振り回されているのは、母親たちではなくて、私では?と思ったこともあった。彼女らの仕事を巻き取ることはあっても、私の仕事を巻き取ってもらうことはなかった。

女同士、よき理解者でいたいのに、心も身体もキャパオーバーで、心穏やかにはいられない。なんなら、自分も働く母親になりたかったのに、その番がまわってこない。

けれど、姉に子供が出来てから、幼児がいかに頻繁に熱を出すか、今日だけは、今だけはやめて、というときに限って、熱を出したり、ぐずったり、ごはんを食べなかったり。味方でいたい相手の子育ての困難を目の当たりにして、少し見えている世界が変わったかもしれない。

短時間だけ補佐的に働いて、「仕事に本気じゃない人」に見えていた彼女らの時間軸は、朝からカオスの連続で切羽詰まったものだったんだなあ、と思う。

『ほしいものはなんですか?』

専業主婦のミナ子は「存在感」。独身のタエ子は「保証」。

どっちも、うんうん、うなずける。きっと2人にも、あったかい縁側があるといいんじゃないかな、とも思う。

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