人はなぜ生きるか

人間ってなんで生きているんだろう
私は何のために生きているんだろう、
皆さんもこれまでの人生の中で少なくとも一度は疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。
しかし、この問いは非常に難しくてすぐに解を出せるものではないので、
忙しい日常の中ですぐにこの疑問は忘れてしまいます。

私も小さい頃からこれを疑問に感じていました。
一番ひどかったのが小学3年生の頃で、寝る時とか一人っきりになるといつもこんなことを考えていました。
そして解も見つからないままうだうだずっと考えていました。

その後、部活に忙しくなり、受験に忙しくなり、となってこんなことを考えることはなかったのですが、
社会人4年目の時に再度この感覚がフラッシュバックしてきて、それから
大体少なくとも週に1度は考えるようになりました。

何度も何度もうなされながら考えた結果、私なりの解が見えてきたので、本稿ではそれを紹介したいと思います。

生きる目的は大きく分けて2つ

人は死にます。誰一人として例外はありません。絶対に死にます。
どんなに幸せな人生を歩んだとしてもどんなに立派なことをしても必ず死にます。
これは否定できない悲しい事実です。

そうであれば、自分が死んだ後に残る何かを残していかなければならないと考えます。
「残す」こと、これが生きる目的の一つであり、最も優先度が高いことと私は考えています。

一方で、人間の死は免れないといえども、80年くらいは生きなければなりません。
「残す」ことばかりに集中してこの80年間の生きている間に幸せな思いをできなかったら辛いです。

このため、生きる目的の二つ目は「幸せになる」だと考えています。
ただし、これは上記の「残す」よりは優先度が劣後します。

私は、この「残す」「幸せになる」を生きることの目的として考えています。

生きる目的1:自分が死んだ後に残るものを「残す」(優先度高)
生きる目的2:自分が生きている間は「幸せになる」

ということになります。
では、この人生の目的2つについて詳細にみていきたいと思います。

「残す」こと

まずは、「残す」ことについてです。
私は「残す」ものについて下記の2点に分解しています。

1-①. 自分自身の遺伝子を残す
1-②. 後世に受け継がれる資産を残す

自分自身の遺伝子を残す

まず、自分自身の遺伝子を残すことを目的としています。

前提として、「残す」という目的の達成のためには、なるべく長い間残るものを残す必要があると考えています。

人間をはじめとする生物は遺伝子を残すように進化してきました。
遺伝子を残す(子孫を残す)と、子孫も遺伝子を残すので、半永続的に遺伝子は生き続けます。
これほど長い間残るものは他にありません。

このため、私は遺伝子を残すことを人生の一番の目的としています。

ちなみに、「半永続的」とあえて書いたのは、遺伝子は「永続的」には存続しないだろうということが知られているからです。
下記サイトでのも述べられているように、地球の属する太陽系は130億年後には無くなってしまうであろうことが言われています。

(ちなみに、太陽系がなくなると言えども、遺伝子を残し続けていれば、どこかのタイミングで3次元よりも高い次元へトランスファーする、電脳世界に行く、パラレルワールドに行くなどの手段によって遺伝子を存続させられる可能性はなくはないと思っています(何を言っているか分からないかもですが)。)

話を戻すと、「遺伝子を残す」ための具体的なアクションとしては、
なるべく多くの子どもを残し
子供が子供を残せるように(私にとっての孫を残せるように)、順調に育て可能な限り支援することです。
(孫が子供を産む(私にとってのひ孫ができる)頃には私は死んでいると思うので、この辺までが私のミッションだと考えています。)

子供には十分な教育を受けさせ、自立心を育み、自立するための支援を全力でします。
また、結婚できるような実力をつけさせるために、最低限のコミュニケーション能力も育みたいと思います。
(このように書くと親のエゴで子供を制御するように見えてしまいますが、もちろん子供の希望や自主性を尊重しつつ、私は裏方として支援する次第です。)

また、少し別の論点ですが、遺伝子を残すことのメリットとして死ぬことに対する恐怖が和らぐと言うことがあります。
上記のように小さい頃生きる目的を考えていたのは、死とはなんだろう、死んだらどうなってしまうのだろうという死の恐怖から生まれたものでもありました。
自分自身がなくなってしまう恐怖は、自分という生物の製造源となる遺伝子が半永続的にこの世界に生き続けるという事実が緩和してくれるはずです。
この感覚を持ってから少し死が怖くなくなりました。

後世に受け継がれる資産を残す

もう一つ、「残す」ということについては、後世に受け継がれる資産を残すことです。
これは金融資産や実物資産というよりは、知的資産です。
あらゆる資産の形がありますが、自分自身が生きている間に築いたものでより永続的に続くのは、自分の打ち出した実績・ノウハウ・発見などの「知的資産」です
相対性理論を発見したニュートンや地動説を発見したガリレオガリレイのおかげでその後の人間社会において科学が発展したので、彼らの生きた意味はここにあったと言えるでしょう。

私のような凡人が彼らのような偉人になれる可能性は限りなく低いですが、
小さな発見はできるかと思います。
そのために、私はなるべく自分にしかできない経験を大切にして、そこから得られた知見・考えを言語化して残すことを意識しています。

私は今労働者ですが、ある程度の資産が貯まったら大学に行ってとある研究活動をやりたいと企んでおります。
また、こうしてnoteに自分の考えを残しているのも知的資産を残す、という生きる目的を達成するための手段です。
現代ではインターネットを使えば、自分の知的資産を残しやすくなっていると思います。

「幸せになる」こと

上記のように、「人間は必ず死ぬ」ことを前提として、
死んだ後に何かを残すことを最も優先度の高いことと述べてきました。

ただし、人間はいつか死ぬといえども、80年くらいは生きなければなりません。
上記では、死んだ後の話をしましたが、次に生きている間の話をします。

単純に生きている間は誰しも幸せに生きたいですよね。
これが生きる目的の2つ目です。
ただし、これだとざっくりとし過ぎているので、これをもっと細かく切ってみていきます。

有名なフレームワークですが、マズローの欲求5段階説というものがあります。「マズローの欲求5段階説」とは、心理学者アブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階に理論化したものです。人間には5段階の「欲求」があり、1つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動を表しています。
生理的欲求→安全欲求→社会的欲求→承認欲求→自己実現欲求の順番に公示なものになっていきます。

なので、生きる目的のうち「幸せになる」とはこの5段階の欲求を下層のものから満たして行くこととなります。
一番下層の生理的欲求とその他で大きく異なるので、そこで分断して考えてみたいと思います。

したがって、私は、「幸せになること」を下記の2点に分解しています。

生きる目的2-①:生理的欲求を満たす
生きる目的2-②:より上位の欲求を満たす

生理的欲求を満たす

まずは生理的欲求を満たして幸せになることです。

生理的欲求の大部分を占めるのがいわゆる三大欲求です。
食欲・睡眠欲・性欲を指します。

これらの生理的欲求は、他のどんな欲求にも優先されます。
会社で出世して偉くなりたい、Twitterでフォロワーを増やしたい、甲子園に出場して崇められたい、会社で怒られたくない、などなどの高次な欲求よりも生理的欲求が優先されています。

まずは、食欲。現代日本でこの欲求が満たされないことはあまりないのであんまり意識しなくても良いかもしれません。
たまに仕事が忙しくて昼飯を食べない人とか、朝時間がなくて朝食を食べない人とかがいるみたいですが、私は絶対にそんなことはしません。
仕事の品質を落としてでも絶対に1日3食は摂取するようにしています。

次に睡眠欲です。これは現代日本では不足している人が多いです。
私は基本毎日7時間の睡眠を確保するようにしています。
たまに仕事や飲み会で少なくなってしまうことはありますが、その場合は翌日にその分多く寝るなどして、3日で21時間くらいの水準は下回らないようにしています。
睡眠を取れないと日中気持ち悪いし、仕事の効率も落ちてしまい逆に自分の時間を圧迫してしまうことになります。
絶対にこれは確保するようにしています。
少し余談ですが、私がこれを達成できているのは今の仕事がコアタイムなしなのが大きいと思っています。
労働時間が多少多くても休日にやるとか、深夜残業したら翌朝は遅く起きるとかして睡眠時間を確保しています。
労働時間自体は普通の仕事より少し長いですが、コアタイムがなく裁量で働けることが私の睡眠時間確保に一役を買っています。

性欲については割愛します。

総じて、現代日本人にとって食欲と性欲はほとんど満たされており、足りていないのは睡眠欲です。
私の場合も油断すると満たされないのは睡眠欲です。
この睡眠欲をちゃんと満たせるよう日々行動しています。

より上位の欲求を満たす

生理的欲求について述べたのでここからはより高次な欲求です。
これは単純に自分自身が何をしたら幸せを感じるか、になります。

私の場合は、家族で団欒する、pop punkを聴く、海外サッカーを観戦する、洋画を観る、Twitterを眺める、YouTubeで好きな動画を観る、物思いに耽りながら散歩する、あたりです。

私の場合、金のかかる欲求はほとんどありません。
一方で、どれもある程度は時間のかかるものです。
なので、これらの欲求を満たすための時間を確保するように頑張っています。

まとめ

以上が私の生きる目的です。
私たちは気づいたら生まれており、その役割は何も定義されておらず、誰からも生きる意味を教えてもらえません。
自分なりに納得できる生きる意味を考える必要があります。
私なりの生きる意味を本稿で書きましたが、皆様の参考になれば幸いです。

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