富士山頂に気象観測所を。「芙蓉の人」

「芙蓉の人」は新田次郎さんの小説で、富士山頂に恒久的な気象観測所を設けるために奮闘する野中到と、その妻・千代子を描いた小説です。

21世紀こども百科

野中到の存在を知ったのは小学生のとき。21世紀こども百科に見開きで特集されていたことを覚えています。「芙蓉の人」の背表紙のあらすじに野中到の文字を見て、「あ、21世紀こども百科に載っていた人か」とビビッときました。21世紀こども百科を読んでいなかったら、「芙蓉の人」は読まなかったかもしれません。私が歴史に興味を持ったのを察して21世紀こども百科を買い与えてくれた両親に感謝です。私はこの21世紀こども百科が小学生のころ本当に大好きで、手垢で真っ黒になるまで読みました。作者は荒俣宏さんです。この本で荒俣宏さんを知ったため、てっきり歴史家なのだと思っていました。のちにテレビで妖怪について熱く語っているのを見て衝撃を受けた覚えがあります。

主人公は千代子

「芙蓉」とは花の名前であり、しとやかで美しい女性の例えに用いられます。このことからわかるように、「芙蓉の人」の主人公は野中到の妻千代子です。
時は明治半ば。まだまだ封建時代の風習が色濃く残る時代です。冬の富士山頂に一人で籠る夫を心配して、自らも富士山に行こうとする千代子には「女性であること」が枷になります。周囲の人に大反対されます。冬期の富士山頂に女性が長期滞在するなんて分不相応である、というわけです。それでも千代子はあるときは説き伏せ、あるときは強行突破して、ついに富士山頂の夫のところに辿り着き、気象観測を始めるのです。夫を想う気持ちにきっと心が打たれることでしょう。

明治人の気高い精神ここにあり

私が他に印象に残ったのは、野中夫妻の気高い精神です。
野中到は、富士山頂気象観測所の設立を功名心や私利私欲のためにやっているのではありません。設立のための資金を私費で捻出しているのです。資金捻出のため到の父は女中と書生をやめさせて倹約をしていますし、千代子の父に至っては家を売り払っています。
磯田道史さんは著書「『司馬遼太郎』で学ぶ日本史」で「庶民や技術者まで格調の高いリアリズムが浸透していたことが、明治期に国が発展したひとつの理由ではないでしょうか」と述べています。磯田さんの著書によると、からくり儀右衛門こと田中久重は、佐賀藩や久留米藩に協力を依頼されると、一銭にもならないにも関わらず、協力を厭わなかったそうです。彼は「別に金儲けのためにやっているのではない、国をよくするためにやっているのであって、もうからくりはやらない」と言ったそうです。野中到の一族にも、この「格調高いリアリズム」を濃厚に感じます。本書で引用されている日本気象学会の機関誌『気象集誌』に掲載された到の声明文には以下の文章があります。

予、富士山頂気象観測所の設けなきを憂ひ、斯学の為に遺憾となすこと茲に年あり(中略)斯学に於ける万一の裨補たらんことを、これ不肖至、国治の為に切望する所なり。

新装版 芙蓉の人 60ページ

野中到の「世のため人のため」という気魄を感じます。明治の気高い精神ここにあり、といったところです。世のため人のため、という精神は個の時代の今だからこそ忘れないようにしたいものです。

先人からの贈与に感謝を

今や天気予報は生活になくてはならないものです。そして多くの人が天気予報を信頼して活動していると思います。信頼しているからこそ、たまに外れると文句を言いたくなってしまいます。しかし、今の精度良い天気予報の確立までには、野中夫妻を始め多くの先人の努力があったことを改めて痛感しました。先日「世界は贈与でできている」を読みましたが、今の天気予報も先人からの贈与と言えるのではないでしょうか。もし先達の力がなければ・・・。そんなことに想像を巡らせると、予報が外れて雨に濡れてしまったときでも心穏やかに過ごせるかもしれません。


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