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あなたの倫理的態度を試す「タイムトラベルテスト」とは

1分で考えるタイムトラベルテスト

あなたは18世紀の奴隷制真っただ中のある国に、タイムトラベルした。タイムトラベルの際、あなたの身体は維持されず、とある白人の若者に意識が乗り移った。あなたは大家族の一員であり、一家は黒人奴隷を利用して作物を生産している。あなたは自分たちが奴隷を使うこと、ひいては奴隷制度そのものをおかしいと感じている。

あなたはどうするか。

1. 声をあげる。少なくとも自分たち一家が奴隷を使うことを止める努力をする。

2. モヤモヤを抱えながらも黙って日々を送る。

3. 「この時代で生きていくためには仕方ないのだ」と自分で自分を納得させる。考えることをやめ、社会に順応して生きていく。

倫理を実践する難しさ

倫理を実践するのは難しい。

奴隷利用のような、今の私たちが明らかに間違っていると判断できることでさえ、周りの環境によっては私たちはすんなりと正しい行動をとることができない。現代も同じである。職場でセクハラやパワハラ、あるいは犯罪になるような不正を目撃したとき、私たちは即座にそれを止められるだろうか。ずっとお世話になっている人が何か人として間違っていることをしようとしているとき、私たちはどうするだろうか。

倫理は実践されて初めて意味をもつ。頭の中で思っているだけでは現実の人権侵害や不正は止められない。

しかし私たちは皆、職場や学校、家族や友人関係といった様々な関係性の中で生きている。自分の生活や人間関係が壊れることに対する恐怖を誰もが持っている。そんな中、自分の利益にならないような場面で倫理的な実践をするのは本当に難しい。「めんどくさい奴と思われるんじゃないか」、「職場で不利益を受けるんじゃないか」とためらってしまう。私自身そうしたモヤモヤや葛藤にずっと悩んできた。だからこそ机上で「正義論」をぶることとそれを実践することとの大きな差は理解できるつもりだ。

奴隷を利用している一家であなたは「もうやめよう」と言えるだろうか。単なる個人の習慣ではなく、奴隷の利用が制度として根付いてしまっている社会で行動を起こすことのリスクは想像に難くない。家族から見放され、社会的にも生きにくくなるかもしれない。机上のテストで1番の選択肢を選ぶことは簡単だが、実際の状況に置かれたら、私たちの多くが2番のようにモヤモヤの中で日々を過ごすことを選ぶのではないだろうか。私自身、正直なところ自信を持って1番を選ぶことはできない。そんな自分にふがいなさを感じる。

だが、進行形で人権を侵害され、被害者であることを余儀なくされている人々がいることを忘れてはいけない。そのうえで自分にできる実践とは何かをあきらめずに考え続けることこそが人として誠実な態度だと私は思う。

倫理感を殺して「クレバーに」生きる

タイムトラベルテストは単に倫理の実践の難しさを実感するためのものではない。私の個人的な感覚では、今の日本社会の状況からして3番の選択肢を選ぶ人が相当数いるように思えるのだ。

自分のおかしいと思うことに向き合いながら生きるのは苦しい。自分自身が不利益を受けるような場合でさえ、しばしば私たちはそれが間違っていることだと気づきたくないと感じる。自分ではどうしようもない現実なら、片眼を閉じて、受け入れたフリをして生きていこう、と考える。

世の中でうまく生きていくには、倫理観はときに邪魔になる。物事の正しさを考えることをやめ、「自分にとって利益になるか否か」だけを行動の指針にしている人もたくさんいる。そして実際にそんな人間が社会的な成功を収めている現実をみればみるほど、ああやっぱり倫理や正しさなんてクソだ、そんなものに縛られている間に損するのは自分じゃないか、深く考えずに自分の得だけ考えて生きていこう、となってしまう。

だが、私たちは自分自身を完全に欺くことはできない。いくら押し殺そうとしても、一度生じたモヤモヤは澱のように残り続け、ふとした時に私たちに声を投げつけてくる。「本当にそれでいいのか」、と。

私たちはどう生きるか

タイムトラベルテストは私が勝手に考えたオリジナルのテストである。これまで友人と話す中で、「机上の正しさと現実の行動は別」、「自分の利益だけ考えてたらいい。正しさなんて考えるだけ無駄」、「倫理なんて時代や社会による」、などなど様々な考え方の人がいると感じてきた。倫理に対するそれらの態度をまとめて扱えるようなたとえ話はないものかと思い、奴隷利用という誰もが不正義と認識できるような題材でテストを考えた。

倫理の実践は難しい。そして倫理観を持つのも難しい。だけど、どのみち私たちは正しさを考えることから逃げられない。両目をしっかり開けて、自分自身に胸を張れるような生き方を実践しよう。

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