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「選挙に行く時間があったら英語やプログラミングの勉強したほうが良い」は真だけど、それはそれとして理想の社会を語ろう

選挙に行く人 行かない人の深い溝

「選挙に行く時間があったら、英語やプログラミングや資産運用を学んで生きる力を高めたほうがいい」
こういった発想の人に選挙に行ってもらうのは難しい。
そして無意識的なものも含めれば、こういう人はかなり多い。多数派かもしれない。

選挙に行く人も、行かない人も、大半の人はナチュラルにその選択をしている。
選挙に行く人の大半は憲法の「国民主権」や「不断の努力」といった理念をわざわざ意識していない。
選挙に行かない人の大半は「選挙に行く時間を自己研鑽や娯楽や休息にあてたほうが有益である」といった判断を意識していない。
けれども両者は無意識下でそういった信念を当たり前のものとして持っており、無意識であるがゆえに両者の間の溝は見えにくく、そして深いように思える。

自分のために時間を使いたいだけ

個人の生存戦略の観点では、冒頭の命題は真だ。
現実的な話として自分の1票が候補者の当落に直接影響を与える可能性は非常に低い。もし自分の1票で誰かが当選したとして、多くの人にとってはそれが自身の生活や人生に好影響となるかは不明瞭である。

そんな不毛なことに時間をかけるくらいなら、英語やプログラミングの勉強をしたり、Netflixを観たり、ゆったりコーヒーを飲んだりしたほうがよほど有益ではないか。自分のために時間を使おう。

こうした考えは何も不自然ではない。個人の処世術・生存戦略としては正解とも言える。選挙には行くのが当たり前だ、それ以外考えられないという人は、こういった感覚にまず理解を示す必要がある。

猫も杓子も処世術

そうは言っても、皆が皆選挙に行く時間をケチって目の前の個人的な生活に閉じた選択をするような世の中を私は望まない。

特に最近は自分にとって理想の社会や政治のあり方を語るのが難しい世の中になってきていないだろうか。

大なり小なり皆生きづらさを抱えているはずなのに、それをマクロな視点で変えようという発想が忘れられたり、忌避される場面が多いと感じる。今に始まったことではないが、「与えられた状況を前提としていかにうまく立ち回るか」という処世術やハウツー的思考がSNSから職場、駅や電車の広告に溢れている(※1)。

そこでは現状の社会構造や政治や文化といった私たちが生きる上での大きな枠組みをより良いものにしようという発想は出てこない。自分のコントロールできないマクロな構造に不満を持ったり、変えようとしたりすることは不毛で時間の無駄であるとされる。さらには「自分を変えずに世の中に文句を言ったり変えようとしたりなんてのは怠惰で傲慢な態度だ」とまで言われることもある。あるいは「じゃああなたが政治家になって変えれば?」と茶化されることも私自身経験してきた。

Imagine

率直に問いたい。
与えられた環境や状況を変更不可能な前提と捉えて、その中で個人としていかにうまく立ち回り、いかに稼ぐかを探る生き方。
自分が生かされている現状の社会や政治や文化の理想像を思い描き、それを人に伝え、少しでも変えていこうとする生き方。
どちらが人としてカッコいいだろうか。
どちらを選んでも生きてはいける。だからこれは個々人がどういう人間でありたいか、どういう生き方をカッコいいと思うかの問題だ。

現代社会では誰もが多かれ少なかれ生きづらさを抱えている。
その生きづらさの原因の一端が社会環境や文化(たとえば異性恋愛至上主義的な空気)にあることも薄々分かっている。
国や政治が人々の暮らしや人生の質を大きく左右していることも知っている。特に子どもや外国人や障害者や性的マイノリティといった立場の弱い人が、既存の枠組みの中で不利益を受けたり理不尽な目にあっていることを知っている。
そして誰もが本当は今より良い社会や文化の中で生きていきたいと思っているし、自分以外の人にも理不尽なことで苦しんで欲しくないと願っている。

それなのに「自分のコントロールの及ばないことだし」と何となく諦めている。自分や他の誰かが理不尽な目に遭っても、仕方ないか、と無理やり納得しようとする。「世の中そんなに甘くないんだぞ」と言って、そんなクソな環境を甘んじて受け入れよと年少者に迫る人もいる。そんな人もかつてはより良い環境を求めていたのかもしれない。理想を持つことに疲れて、いつからか現状にただただ順応することが勤勉であると自分に言い聞かせてきたのかもしれない。

ちょっと隙を見せればマクロなものへの理想を捨てさせようとする風潮。
お前はお前の処世術に集中しろと迫られる世の中。
社会に文句を言っている暇があったらプログラミングの勉強でもして稼ぐ力をつけろ、そのほうが自分のためになるぞと言われる世の中。
そんな中でも理想を捨てず、「こんな世界にしたい」と語る人はカッコいいと私は思う。

あなたはどうだろうか。
実践として、私自身の理想の世界をまずは語ろうと思うが、文章が長くなってしまったので次の記事で。

政治家や宗教家やジョン・レノンじゃなくても、理想の世界を思い描き、語ればいいのだ。


※1;日経新聞の「365日分の差は大きい」という宣伝文句が象徴的だ。ここでの「差」とは(稼ぐ力としての)仕事のパフォーマンスを意味している。新聞とは社会や政治の状況を伝える媒体であるが、日経新聞の広告では新聞を読む目的が「稼ぐ力」を高めることであるということが前提となっている。下記の日経の動画広告でも、「社会は変わる。あなたの仕事の仕方もそれに応じて変えましょう」と徹底して個人の処世術に閉じた投げかけをしている。

日経電子版「365日分の差は大きい」社会は変わる 30秒篇


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