私のユートピアを語ろう - あらゆる困難からいつでも逃避し、新しい環境で衣食住が保障されている社会

前回記事で、自分の立場に関わらずもっと理想の世の中のあり方を語ろうという話をした。
今回は私自身の理想を語ろうと思う。

個人が無条件に安心して生存できる社会

「個人が無条件に安心して生存できる社会」。
一言で言えばそれが私の望む社会である。
これが一部地域ではなく、日本中、世界中で実現されている状態こそが、私が心の底から望んでいる未来像だ。
「個人」というのは文字通り一人ひとりの人間ということだ。
国や組織、家族といった集団ではなく、命と尊厳を備えた個人が何の留保もなく生きていける状態を望む。命からがら生きながらえている、という状態では不十分だ。明日明後日、さらにその先まで自分の生存をほとんど完全に信じられなければいけない。
「〇〇をすれば生きられる」とか、「xxした場合は生きられない可能性がある(生きられなくても仕方がない)」といった生存への条件は全て排除する。人の命は何よりも重く、そこに条件がつけられることがおかしい。

自分ではコントロールできない苦境や困難

個人の生存が無条件に確保された社会とは、具体的にどのようなものなのか。
それは、「自分をとりまくあらゆる困難、理不尽、悪環境からいつでも逃避し、新しい環境で衣食住が保障されている社会」だと私は考える。
具体的に「困難、理不尽、悪環境」にはどのようなものがあるか。私が想定しているのは例えば下記のようなものだ。

  • 親から虐待を受けている子ども

  • 親や親戚から自分の進路へのプレッシャーを受け、追い詰められた子ども

  • 学校でイジメを受けている子ども

  • 精神疾患や発達の問題で、学校に馴染めない子ども

  • 地域で村八分にされ、嫌がらせを受けたり住民としての福利にアクセスできない家庭

  • 経済的・身体的・精神的にどうしても育児が立ち行かなくなってしまった親

  • 貧困が原因で劣悪な労働環境から抜けられない人

  • 職場でのハラスメントに遭っている人

  • 友人や恋人その他の人間関係で問題を抱え、生きるのも辛くなってしまった人

  • 脅された結果として犯罪に手を染めてしまった人

  • DVやストーカーの被害に遭っている人

  • 暴力団や半グレ集団、カルト団体から抜けられなくなった人

  • (本人が望まない)路上生活者

  • 就労が認められず、生活に生き詰まった外国人

  • (性別、障害、人種、出生といった)自身の属性を理由に様々な場面で差別を受けている人

  • 人生に行き詰まったが、天涯孤独で誰にも頼れない人

  • 病気や事故などで思考能力や認知機能が低下してしまった人

  • 自身の容姿その他の特徴に堪え難いコンプレックスがある人

  • (たとえば性的マイノリティを排斥するような)政治体制や宗教的集団の中で、自分の存在ごと攻撃されている人

挙げればキリがない。
ひとたび苦しい状況に陥ってしまうと自力ではリカバリーできず、体力も精神力もお金もどんどんすり減らしていく。状況を打開するための思考力や判断力も奪われ、最悪の場合は重大犯罪や自殺といった極端な選択に行き着いてしまう。
今このとき「成功」を手にしていて安定した立場にある人でさえ、ささいなきっかけでこうした苦境に陥る可能性がある。人生で遭遇する様々な問題は、自分の努力でコントロールできないもののほうが多い。災害大国の日本に住む私たちは痛いほどそれを実感しているはずだ。

今、逃げ場所は保障されているか

「日本は生活保護があるから恵まれている」という人がいるが、それは本当だろうか。
確かに同制度は現在進行形で多くの人の生存と暮らしを支えている。
しかし、貧困問題に限ってみても同制度は十分に機能しているとは言えない。
申請窓口での不合理な水際作戦は、これだけ知られるようになった今も十分に改善されていない(※1)。
制度面のみならず、官民一体となって形成してきた「生活保護受給は怠け者のフリーライド」というスティグマは、実際に人の命を脅かしてきた(※2)。
生活保護だけの問題でもない。
上で羅列したような様々な苦境は現状の生活保護制度だけでカバーできるものではない。私たちが抱えている(もしくは今後抱える可能性のある)問題は複雑で多岐にわたる。
今現在、私たちには十分な逃げ場所は保障されていないのだ。

なぜ逃げ場所にこだわるのか

では、なぜ生存のために「逃げ場所」にこだわるのか。

まず、あらゆる困難に対して自助努力で打開せよと迫るのは論外だ。それができれば苦労はしない。自力解決できず、泥沼化して先述のような不幸な選択に行き着いてしまう例を私たちはすでにたくさん見てきたはずだ。

次に、苦境を作っている根本原因の解決の困難さと、救済に迅速性が求められることが挙げられる。
イジメやハラスメントの問題を考えれば分かりやすい。根本原因=加害者や環境の変容を実現するのは残念ながら難しい。特に家庭や学校、職場といった閉鎖的な環境を変容させるのは多大な努力と時間が必要だ。
一方でそうした理不尽な状況が長引けば長引くほど苦境にある人はすり減っていき、解決から遠のいてしまう。だからこそまず迅速に逃避できることが必要なのだ。
根本原因を放置してよいということではない。ミクロでもマクロでも、理不尽や困難は少しずつでもなくす努力をすべきだ。ただ、その努力を苦境の渦中にある当事者に求めるべきではない。

大事なのは何よりも一人ひとりの生を継続することだ。今自分を脅かしている状況から迅速に離れて、新しい環境で再スタートできることだ。

逃げ場所が保障されるとどうなるか

では、上記のような逃げ場所が保障されるとどうなるか。

一言で言えば、皆が今よりずっと安心して生きていけるようになる。
自力解決できない困難に遭遇してしまったら逃げればいいのだ、と心を楽に構えて生きていくことができる。今まさに困難の中にある人だけでなく、すべての人にとって生きやすい世界になる。

また、困難を避けることに使うリソースが減り、様々な挑戦がしやすくなる。特に社会的に立場の弱い人にとっての行動選択の幅が広がると考えられる。なぜなら、そういった不安定な立場にある人は、小さな困難が降りかかるだけでも即目の前の生活に大きな影響が出る場合が多いからである。そのためリスクを取ることができず、苦しい中でも現状維持を選んでしまう。リスクが顕在化した際に、逃げ場所が確保されていれば、現状を変える選択肢を取りやすくなる。

次に、人々の流動性が高まることで、より適材適所が実現しやすくなる。これまで苦しい状況を堪え忍んで消耗していくばかりだった人が、自分にとってベターな環境を見つけやすくなる。新しい環境に移ることで、それまでの閉塞感から脱出し、意欲や想像力を発揮することができるようになる。
住む地域(国)も、学校も、職場も、今いる場所が絶対ではない。自分に合っている場所がある。

最後に、こうして人生における困難が致命的なものでなくなったとき、私たちは今以上に自分の人生を自分でコントロールしているという実感を持つことができる。自己決定の感覚は幸福度に直結するとされる(※3)。

逃げ場所の保障とはいかなるものか

では、逃げ場所が保障されているとはどのような状態なのか。
これは社会制度の話になるため、簡単に答えを出すのは難しい。
また、いくら社会制度が整っていても、誰もが必要なときに安心して制度にアクセスできなければ意味がない。その意味では「逃げ=卑怯、負け」という人々の意識の変化も同時に必要になる。

やはり、とっかかりは現状の生活保護制度を含む公的福祉にあるのではと思う。生活保護を含む救済と支援の制度のハードルを徹底的に下げ、カバー範囲を押し広げる。外国人や難民を制度から排除することは当然しない。住まいのない人の生活保護申請に際し、相部屋での生活を強制されるケースがあるが(※4)、論外だ。個人のプライバシーが守られた十分なスペースが確保されていない状態は、衣食住が適正に確保されているとはいえない。

また、今民間企業が担っているような「〇〇保険」のようないざというときの備えを公的保険化し、人々が人生で遭遇する困難の救済の幅を大きく広げる(※5)。民事での当事者間の争いをまたずに、イジメやハラスメント、犯罪被害等の一定の救済を得られるようにする。

居住地の変更も容易に行えるようにする。現状で、屋根の下で暮らすこと自体にこれほどまでのコストがかかっているのがそもそもおかしい。住居へのアクセスのハードルを徹底的に下げるべきであり、また困難を居住地の変更によって回避できるのであれば、積極的にサポートすべきだ。

ここまで、逃げ場所へのアクセスの障壁を下げるべきということを言ってきた。実際のところ、苦境にある人は自分にある選択肢を認識し、吟味することも難しい場合が少なくない。よって、人々の生活や心の状態を継続して把握し、適切なタイミングで助言やサポートのできるソーシャルワーカー的な存在が必要だ。たしかに一歩間違えばパターナリズムや行き過ぎた管理主義に陥る可能性があるが、閉鎖的な環境で起こる理不尽や困難に介入していくうえではやはり踏み込んだやり方が必要だと考える。
また、逃げ場所制度の濫用を防止し、安定的に運用するという意味でも一人ひとりの状況を把握し、困難な状態を伝達・認定できる存在がいることが望ましい。

ここまでHowの部分を述べてきたが、内容的にはかなり粗く、飛躍や無理が含まれていることも承知である。まずは理想像を多くの人で共有し、そこからは様々な知恵の出し合いと議論を重ねて進んでいけばよい。とはいえ、現状とは大きく異なる社会を構想している以上、既存の発想や制約にとらわれず、多少の飛躍は許容して考える必要があるのではないだろうか。

さいごに

本記事では、私の思い描く理想の社会像をストレートに書いた。
様々な突っ込みどころについては、今後勉強したり、他の方の意見を聞く中でブラッシュアップしていければと思う。
まずは自分の中のユートピア像を語る。みんなが語る。それによって前進するものがあると考えている。

逃げ場所があればすべてが解決するわけではもちろんない。
誰もが最後には死を迎えるように、どうしても避けられない事柄があるのも承知している。だからこそ、味わわなくてよい苦境の中で堪え忍んですり減っていく必要などない。
誰もが安心して生存していける世界に一歩ずつでも近づいていこう。


※1:みわよしこ「生活保護の申請をよしとしない役所の「水際作戦」に、立ち向かう手立て -ダイヤモンド・オンライン
※2:雨宮処凛「生活保護を受けるのは「他人に迷惑をかける」と姉を殺害。フランス人から見て「行政虐待」に映るこの国の福祉
※3:神戸大学 社会システムイノベーションセンター「所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査
※4:東洋経済ONLINE「相部屋施設への入居を強要、歪んだ生活保護の現場
※5:たとえば、法的トラブルの際の弁護士費用等を補償する「弁護士保険」というものがあるが、これを公的保険化するのはどうか。司法制度への円滑なアクセスが保障されるだけでもトラブル時のレジリエンスが大きく変わってくる。










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