「シャンゼリゼ」を目指すのはやめよう

まちづくりの本などを読んでいると、その町の大通りを活性化するコンセプトとして「シャンゼリゼ通りのように」といったキーワードが出てくることがある。

シャンゼリゼを目指しても

確かに、フランス・パリのシャンゼリゼ通りは綺麗だし、その街並みを目指す気持ちはわかる。

でも「シャンゼリゼ通り」をベンチマークにした時点で負けではないだろうか。

どうがんばっても「シャンゼリゼ」の二番煎じにしかならない。

もちろん、シャンゼリゼのようになれば、それはそれですごいのかもしれないけれど、それでも「○○のシャンゼリゼ」と呼ばれるだけだ。

そもそも、あんな広くてまっすぐな道、日本の文化にはあっていない。日本では、木造2階建ての瓦の建物(町家)に、地形に合わせたクネクネと曲がりくねった道がしっくりくるのだ。

「○○みたい」がない京都

ぼくの住む京都には、素晴らしい景観が残っている場所がたくさんある。そして何よりも誇らしいのは、それらすべてが「○○みたい」と言われることがないことだ。

祇園、寧々の道、二年坂、先斗町。

全て何かの二番煎じではなく、オリジナルのものだからだ。他の都市の景観が、京都の景観に例えられることはあっても、京都の景観が、他の都市の景観に例えられることはまずない。

京都は、先の大戦(ここでは、第二次世界大戦)で、大規模な空襲を受けなかった唯一の大都市であり、条件がいいのはわかっている。

でも、他の都市でまちづくりをするときは、ぜひ「○○のような」というコンセプトは捨てて欲しい。

その町が本来持っていた本当の姿を一度掘り返してみるべきだと思う。きっとその姿が、最もその街を輝かせてくれるものだと思うから。


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