タブーな話題『生と死』
あなたは、死について考えた事はありますか?
死とはなんでしょう。
死はどんな人にでも必ず訪れる一大イベントです。
みな平等に生まれた瞬間からカウントダウンが始まる。
では何故?人は悲しみ恐れるのだろう?
会えなくなるから?
会話ができなくなるから?
理由は様々あるだろう。
現在は過去のデータ(写真や動画)がネットやデェバイス上にある。それを見たら意思の疎通は図れないが生前の姿には会える。
私は次のような死生観をもっている。
たとえ物理的に会えなくても、その方との思い出は僕達の記憶の中に生きています。
いつでも想像したら頭の中に現れる。
残された記憶と記録が残り続ける限り魂や意識は不滅である。
目を閉じて話しかければいつでも僕達のハートと意識の中で逢える。それは自分の思考や感情が作り出す幻影と感じるかもしれません。
それでも目を閉じて想像したらその方は現れるでしょう。人によっては話もできる。
死は終わりではなく、幼虫が蛹になり蝶になるのと同じです。人の肉体は滅びても魂や意識は別な次元空間で永遠に残る。
PCに例えるとデェバイスが壊れても中にあるデータはクラウドに上げられていればバックアップできる。それと似たような感じです。
これからの未来では、意識と肉体の分化なども研究されています。たとえば内閣府のホームページにもあるムーンショット計画
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html
ムーンショット目標1
2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
これからの未来では、肉体の死という概念は薄れます。脳や意識が別のクラウドに転写されロボットの肉体にインストールされたりする技術の研究が進んでるからです。
これより数十年後、死という足枷がなくなるかもしれません。そーなると逆に死ぬ事が特別な事になるかもしれません。
もともと、この3次元世界は高次元世界が作り出した箱=空間に過ぎないのです。
私たちは、高次元の世界からインストールされこの空間にやってきた。高次元の記憶は、この有限な世界を最大限に楽しむため削除される。
その事はカタチを変えながら宗教や神話などとして伝わっている。さらには、その記憶が残り生前の記憶を持つものもいる。
この世界を現世という言葉でいうのも、それを物語っている。
現世の現とは、うつしと読む。
つまり『現世とはうつし世』である。
映画『マトリックス』などは、その世界観をベースに創られた作品である。
現世に対してあの世の事を、常世の国という。
常世の国(とこよのくに)とは
古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界である。一種の理想郷として観想され、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられた、日本神話の他界観をあらわす代表的な概念である。
またの名を霊界という。
レイカイとは0階であり、霊とは、すなわちエネルギーやデータである。僕たちの元は霊的な波動であり粒子であり波のような振動である。
素粒子の根源が揺らいだ紐であるように
人の生も死も、スタートでありゴールであるという考え方は、宇宙の原理ではなく人が勝手に創り出した妄想である‼️
この宇宙は不変的であり、いつまでも広がり続けるエネルギーフィールドである。
私はそのように考える。
肉体が滅び会えない寂しさを体験するかもしれない。しかし思えばいつでも逢えるのだ。意識と魂は不変である。
僕らもいつの日か、時が来れば、また来た場所に帰る。その瞬間を楽しみに、限りある3次元空間=地球旅行を楽しもう✈️🌏
この瞬間を心と体=全身全霊で楽しむ❤️
この世界で起きる全ての事象が、私たちの宇宙進化のためのエネルギーである。
それが私の死生観‼️
【11.5追記】
カタカムナの真ん中にある鏡
この世界は写鏡🪞
こちらの世界 現世=うつし世
あちらの世界 常世の国 根の国 黄泉の国
あちらのコピペ=うつし世である。
あちらの世界が『常の世』であり
元を示す『根の国』である。
僕らは、大きな勘違いをしている。
この世界には表と裏がある。
それは世界だけでなく人にもある。
表が強い人は裏に弱い自分がいる。
表が弱い人は裏に強い自分がいる。
常に表裏一体である。
さらに人と世界も写鏡 フラクタル構造
ブロッコリー🥦と🧠が似てる。
にんにく🧄の断面は血管の内部構造に似ている。
肉体は亡くなっても
魂や意識、記憶や思い出はなくならない。
僕たちの心と意識の中に宿る。
永遠の別れはなくそれぞれの中に生きている。
自分が死んだ時も同じである。
僕らは、表面上だけしか見ていない‼️
物事を広い視点でみる。
視野を広げ
心の器を広くする。
すると、多くのことを赦し抱きしめられる❤️
私たちは地球の⭕️・ぞ❤️
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