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自分は無能でダメだと思い込んでしまうことについて(「逆選民思想」のふしぎ)


どうもどうも、ゆうすけです。


けっこう前にこんな質問をいただきまして、おもしろかったので答えていきます。
本に入れようと思ったけど、入らなかったので、マガジンで紹介するね。

「IT系企業で営業をしています。でも、私、ミスが本当に多くて……。
先月は、アポイントメントの時間を間違えてしまってクライアントに迷惑をかけてしまったんです。今月も、見積額を間違えて資料を提出してしまって。
連続でミスをした私を見て、上司や同僚は表面上は『あんまり気にしないほうがいいよ』と言ってくれています。でも、裏では『無能だ』って思われている気がして、職場に行くのが辛いです。どうしたらいいのでしょうか」


◆評価にギャップがあるとつらい
自分が思い描く姿になれないのは、とても辛いことで、頑張り屋で責任感が強い人(メランコリー親和型といいます)ほど、理想(自分に対する期待値)が高いので、現実(できていない自分)とのギャップに苦しんでしまうもの。

でも、本当にあなたは「ミスがとても多い」のか?
他に人にも「ミスが多い」と思われているのかな?

 
僕がよく患者さんにオススメしてる「insight」という名著があるんだけど、組織心理学者のユーリックさんによれば95%の人が「自分は自分のことがわかっている」と答えるにも関わらず、自己評価と他者評価にズレがないのはわずか10~15%だそう。


つまり「他者からこう思われているだろう」と正しく認識できている人は、ほんのわずかにすぎないのね。
自分自身が自分のことをどう見ているかを「内的自己認識」、他の人に自分がどう思われているかを「外的自己認識」というそうなんです。


つまり、あなたが今持っている「私は他の人よりミスが多い」という内的自己認識評価があり、「ミスが多い人だ」とみんなからも思われている、という外的自己認識がある状態。


でも、そもそも自己認識というものは、正しくない可能性のほうが圧倒的に高いんだよね。自分のことを正しく理解するのって本当にむずかしい。


「先月、アポイントメントの時間を間違えてしまった」
「今月も資料の見積額を間違えてしまった」
というのは事実だと思うんだけど、それがイコール「他の人より著しくミスが多い」ということにはならないかもしれない。もしくは、あなたの職場の声が大きい人にたまたま「ミスが多い」という印象を持たれてしまっただけなのかもしれない。

そもそも他人のミスを定量的に評価はできない。
人の仕事ぶりをずっと監視することもできないし、何をミスととらえるかは人によって違うしね。


何回かのミスをもってして、私は「ミスが多い人間だ」と決めつけてしまうのは、もしかしたらすこし雑な考え方なのかもしれないよ。


「自分はこれが苦手」「自分はダメなので」っていうのは「雑な自己否定」だと思っていて、「ここまではできていて、ここからは改善を要する課題である」というように切り分けたほうが、ネガティブな状態から抜け出しやすい。(なかなか難しいんだけどね)

自分のミスや欠点を特別に大きく捉え、「こんなミスをするなんて、自分は無能な人間だ」と決めつけてしまい、その評価が梃子でも動かない。
僕は、こうした現象を「逆選民思想」と呼んでいる。
「私は特別に優れた存在である!」という思想の逆ね。


他者からするとあまり大したことのない欠点を、虫めがねをのぞいているかのように拡大して「取り返しのつかない欠点」として捉えてしまう。そして、ついには「自分は特別にダメな人間」と思い込んでしまう。
これ、けっこう「不思議な現象」なのよね。

「私は特別にダメなのよね」の沼に陥ってしまうと、正当に自己理解をするのはとても難しくなってしまう。

そういう時、患者さんにこういう質問を投げる。

「あなたと同じ立場で、あなたの親友が同じミスをしたとしますよね。その時、あなたは何て声をかけますか? その親友のことを『無能だ』と思いますか?」

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Dr.ゆうすけとサクちゃんが「自己肯定感とはなんだろうね?」と語ります。(2018年3月分〜)

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