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まほぴの話と、コミュニティの互助について考えたこと


ハローハロー。

ともだちであるまほぴの短歌のツイートがこないだすごいことになっていて、めちゃめちゃテンションが上がったのね。

いいよねいいよね。

犬の短歌もちょー素敵。


まほぴの一連の出来事について感じたことをきっかけに、運営としても関わっているコルクラボ、そして、コミュニティというものをあらためて考えてみた。


そもそも、こんなふうに同じコミュニティのひとの真価がみんなに認められることが素直に嬉しい、という気持ちが湧いてくる事自体が、とても心地のいい体験でもある。
社会的動物である人間が感じるべくして感じる「共同体感覚」というものであろう、ほんのりとした多幸感。

この感情は、「家族が表彰されたら嬉しい」っていうのと若干似ているけど、血縁とかがないぶん、余計な期待値も執着もなくて済むから健全だ。

のび太の結婚前夜のときに、しずかちゃんのパパの言う


「のび太くんを信じなさい。
 のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。
 あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。
 それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。
 彼なら、まちがいなくきみをしあわせにしてくれるとぼくは信じているよ」

という言葉。

「その人のしあわせをよろこび、そのひとの不幸を悲しむことができる」人間関係に囲まれていれば、幸福度はものすごく高まる。


そういう、あたらしい「かぞく」的なあたたかくゆるいつながりっていうのが、これからの時代の幸福観に深く関わっていくんだろうと確信している。


■変化の連鎖

もうひとつ感じたのは、メンバーの大きな変化を間近で見れることで、大きな刺激や希望をもらえる、ということ。

「ひとが大きく変わるには、ひとの変化を間近で見るのが一番いいよ」
「熱狂っていうのは『成長することか、成長を見守ること』で生じるからね。」

とサディはいう。

なるほど、これが、静かな熱狂かー、といたく納得する。

熱狂は伝播する。
だから、ひとの変化は連鎖する。

この「変化の連鎖」が起こっているコミュニティは、すごく魅力的だとおもう。
ひとは、じぶんを変えるキッカケを与えてくれたものに、ものすごく愛着をもつからね。


さらに、ひとの変化が起きやすい土壌というのがある。
心理的に安全安心が確保されていると、鎧を脱いでセンシティブな状態でいられる。鎧を脱ぐことが「よいこと」というカルチャーがあるから、守備力がどんどん下がり、圧倒的にひとからの影響をうけやすい状態になれる。
「セルフ・ルカナン」状態である。


安全安心が根付いているコミュニティでは、みんながみんなにルカナンをかけあっているような状態にあって、お互いの思想やふるまいから、影響を受けやすくなる。
それはものすごくじぶんに正直で、素直な状態でいられるってこと。
そのこと自体が、現代に置いてはとても得がたい体験であり、気持ちがいい。



■コミュニティの真価は互助

ぼくは、コミュニティの真骨頂は「互助」にあるとおもっている。
互助とは「たすけあい」のことね。
コミュニティの質が高まれば、互助によって、ふつうでは考えられない大きな利得を得ることができるようになっていく。


コミュニティを介して、個々では到達し得ない貴重で有益な情報が得られる。それを元にして、あらゆる問題が解決できる。

事実、あらゆるコミュニティの中で様々な助け合いがおこっている。
就職や転職先をみつけたり、ビジネスの種やパートナーを見つけたり、人生の伴侶をみつけたり。。。


たとえば、こんなやりとり。


ポインティくんは欲望の天才で、しかもぼくの嗜好を良く理解してくれているので、レコメンドしてくれたものの打率がすごい。

ほかにも、じぶんひとりでは決してたどり着けなかったもの、巡りあえなかったものがいっぱいある。
すごく「ゆたか」にしてもらっている。



「信頼してるひとが信頼しているものは、だいたい信頼できる」
「イケてるひとがイケてるって言ってるひとは、だいたいイケてる」



これは、ぼくは人生で一番使える法則のひとつだと思っているんだけど


コミュニティの価値観・世界観を吟味した上で、全幅の信頼をおくことができれば、信頼性が高くて良い情報を取得するコストが超下がる。
これはコミュニティというものの、とっても大きな価値だ。

情報は爆発的に増え続ける一方で、全部の一次情報に当たって検証していくことなんかできないからね。

仕事のメールですら全部見るのは不可能になってる。
情報に占拠され、その処理コストに追われている。超ストレスフルだ。
このコストが下げられるのは、ものすごくありがたい。

■コミュニティの成長ポテンシャル(援助希求能力と個々の影響力)

で、このコミュニティの互助をさらに加速していくため必要なのは
「援助希求能力」と個々の「影響力」だとおもう。


まずは援助希求能力について。

そもそも、「たすけをもとめる」こと自体がめちゃくちゃ困難なのだ

「援助希求能力」は高等スキルだ。
適切なタイミングで、適切な相手に、適切な温度感で、適切な程度の要求をすることは難しい。最も難しいのは、「自分が助けを求めているということを第三者にさらけだす」心理的ハードルを乗り越えることだ。

「誰かに助けを求めることは、清水の舞台から飛び降りるほど勇気が必要なこと」と言われている。

そのハードルを下げて、「たすけあい」をもっとカジュアルにしていく方法を模索していきたい…っていうのがいまの関心事で、いろんな施策を考えている。


つぎに、個々の影響力について。

個々の影響力は、「やりたいこと・得意なこと」と「世の中とのつながり方」をみつけたひとが、それを世の中に働きかけていくときに、とても力強い応援になる。影響力の強いひとは、ひとの変化のスピードを引き上げることができる。

で、今回のまほぴのような大きな変化は、コミュニティの「お祭り」として楽しめる。
こういう「お祭り」に乗じよう、盛り上げよう、応援しあおう、という空気が強制じゃなく湧いてくると、さらに互助のポテンシャルが上がる。


個々が高い影響力をもった状態で、お互いを自然に応援する、というカルチャーが根付いていくと、メンバーの変化や成長にブースターがかかっているようなものだ。(バイキルト状態)


個々の成長に紐付いて、コミュニティの質が高まると、できることが増えていくから、ひとりでは体験しえないようなことができていくだろう。
そんなの、面白いに決まってる。


ぼくにとって、「ひとの変化」を間近でみることは最高のエンタメだとおもっているから、これは相当いい遊び場を見つけてしまった感じだ。
実にラッキーである。


今回のような、だれかの大きな変化が、この先もいっぱい起こっていくだろう。


そうなるといいなーとおもうし、それを設計できるようになったら、どんなに楽しいことだろうと妄想している。



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