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〈わたし〉をいかに生きれるか——公共とデザインに聞く、〈公共〉と〈まち〉

「街づくり」はとても複雑なものです。
そこに住む住民はもちろん、商いを営んでいる人、デベロッパー、行政...…などさまざまな主体の活動の上に成り立っています。各々の活動はお互いに何らかの影響を与え、結果的に街という姿で現れます。そう考えると、それらの主体が街づくりを意識することから、本当の街づくりが始まるのではないでしょうか。

デザインをバックグラウンドに、渋谷区や亀岡市など、さまざまな行政機関や企業、課題の当事者たちとプロジェクトを進める一般社団法人「公共とデザイン」
公共とデザインは「多様な〈わたしたち〉による新しい公共」をビジョンに、企業・自治体・住民と共に社会課題へ対峙するソーシャルイノベーション・スタジオです。社会課題に対する事業創出、住民・行政の橋渡しを担う場づくり、内発性と学習を促す人や組織の開発を軸に活動しています。

「公共」と「街づくり」。言葉は違いますが、これらが指す内容は同様のものだと感じています。
だからこそ、「いかに主体(個人)の可能性を引き出すか」を追及する公共とデザインの実践と姿勢から、街づくりのヒントを学ぶことができるはずです。そこで、今回のインタビューでは「公共とデザイン」の3人にお話を伺いました。

左:富樫重太さん、中:川地真史さん、右: 石塚理華さん

石塚 理華 Rika Ishitsuka(写真右)
公共とデザイン共同代表。千葉大学デザイン学科在学中にグラスゴー美術大学・ケルン応用科学大学(KISD)に留学し、国内外の大学にてサービスデザインを学ぶ。同大学院卒業後、新卒でリクルートに入社。人材部門でデザインディレクションやサービス開発に携わる。その後、受託開発スタートアップを共同創業し、医療・組織運営・宇宙・データ分析など多岐にわたる分野の体験設計やデジタルプロダクトのデザインに携わる。2021年に公共とデザインを設立。

川地 真史 Masafumi Kawachi(写真中)
Deep Care Lab 代表/公共とデザイン 共同代表。Aalto大学CoDesign修士課程修了。web系事業会社、デザインコンサルティングを経て独立。その後フィン ランドにて行政との協働や持続可能性へ向けたプロジェクトを行う。ワーク ショップやツールデザイン、共創プロセスを活かし、エコロジー・未来倫理・ 多種共生をからめたケアや、わたしを超えた他者とともに生きるための想像力 をはぐくむ思索・実践をすすめる。

富樫 重太 Shigeta Togashi(写真左)
株式会社issues共同創業者 / 公共とデザイン 共同代表。大学在学中にUX/UIデザイン会社で勤務後、株式会社Periodsを創業しスタートアップ企業・新規事業のデザイン・プロトタイピング開発・立ち上げ支援に従事。2018年に株式会社issuesを共同創業。住民の困りごとを自治体に届け、政策で解決するサービス「issues」を開発。2021年に公共とデザインを設立。

「公共」=「個人と個人が交わってそこに立ち現れるもの。他者との交わりの中で現れてくるもの」

──まずは公共とデザインの活動について教えていただけますか?

石塚
公共とデザインは2021年に設立したばかりの団体です。
「公共とデザイン」という名前なので「公共って何ですか?」と聞かれることがよくあります。私たちの中では、「公共」とは「個人と個人が交わってそこに立ち現れるもの。他者との交わりの中で現れてくるもの」と定義しています。
「公共空間」や「公共建築」といった言葉からよく連想される「行政が所有しているもの」としての公共ではなくて、私たちが"いる"ところに"生まれる"ものだよね、というイメージですね。

誰もが自分自身の「あったらいいな」や「こうしたい」という想いを持ちながら、それを他者が受けとめて、一緒に共有し合って、生活していく上でのルール・制度・活動をつくっていく。そういう公共を、私たち自身で営んでいくための未来を目指して活動を行っています。

──現在の活動では、渋谷区や亀岡市のような行政機関と一緒になってプロジェクトを進めることが多いようですが、その際、行政と市民の関係のあり方が重要になってくると思います。
現在の状況はどのように捉えているのでしょうか?

石塚
現状の行政・企業と市民のあり方は、図の左側に近い形だと思っています。

いまは行政・企業が「こういうことをしなさい」みたいなルールを決める統治者として存在していて、市民である私たちは「わかりました。じゃあこれに従えばいいんですね」という形で消費している状況です。なので、公共とデザインの目標のひとつとして「一方的に◯◯を消費する人が、自分たちで生み出すような人になる」ことを掲げています。

──公共とデザインの活動は、行政・企業と市民の関係性を変えていくためのものということですね。

石塚
なのでまずは、市民が声を上げられるような場所を行政・企業がつくっていくところから支援しています。この次は、市民が自分たちでルールや活動をつくっていけるように支援したり、あるいは行政・企業が市民の可能性を引き出していけるようなポジションになれるようにしていくことが必要だと考えています。そのための伴走を公共とデザインが行っているという感じですね。

──最終的な目標に到達するために、まずは行政や企業との取り組みから始めているということですね。具体的な事例も教えていただけますか。

石塚
具体的に取り組んでいることをいくつか紹介したいと思います。

●官民連携イノベーションラボ  渋谷区

いま、渋谷区のイノベーションラボの設立支援に取り組んでいます。
去年(2021年度)は、パイロットプログラムのひとつとして「フードロスを解決するためには何ができるんだろう?」をテーマに、プロジェクトを行いました。昨年度はコロナの影響もありリモートでの開催だったので、渋谷区に限らずいろんな方を募集して参加していただきました。このプログラムでは私たちがリサーチをもとに作成した「フードロスが解決される未来に向けた2040年の4つのシナリオを材料として提供し、それをもとにワークショップを行い、アウトプットに落とし込んでいきました。

渋谷区のイノベーションラボでは「そもそもなぜ行政にラボが必要なのか?」と目的を再確認する話をよくしています。
私たちとしては「住民と行政がどのように一緒に関われるか」を、行政自身に考えてもらいたい。そのために、渋谷区のイノベーション系の部局であるまちづくり課・スマートシティ推進室の人たちと一緒になってディスカッションして、方向性・ビジョンなどを決めていっています。


兵庫県の宝塚市では、高齢社会が進んだ未来に対して「AIやビッグデータ、テクノロジーのような技術と”生きがい”をどう繋げられるか」をテーマに、宝塚市に住んでる人たちと一緒に考えていく仕立てのワークショップをやりました。他にもLGBTQの方たちとチームを組み、協働でコミュニティアプリを開発したりと、これまで声をもちえていなかった人たちが、自ら状況を変えていくためのプロセスや環境づくりが根幹にあります。
その他、複数企業と一緒に微生物を活用したオープンイノベーション創出に向けたワークショップの実施などもしています。

デザインの危うさと可能性

──「公共とデザイン」はなぜ「デザイン」というキーワードを掲げているのでしょうか。

石塚
「何かを可能にするための実践——思考(Thinking)より実践(Doing)であること」「いままでのシステムに対してのオルタナティブを提示していく」という意味で、「デザイン」を名前に使っています。
私たちが実現したいのは、市民と行政・企業の両方が、ボトムアップ/トップダウンからそれぞれ手を取り合うこと。だからこそ、構造やシステムから当たり前や前提を問い直して、考えながら活動を生み出すことを目指しています。

──「デザイン」と言うと、グラフィックをつくったりなどビジュアル的な部分を整える役割と思ってしまうのですが、公共とデザインの活動はそのようなものではありません。
現在の活動に至るきっかけはあったのでしょうか?

石塚
例えばWebデザインやインダストリアルデザイン、サービスデザインといった分野では基本的にターゲットユーザーを想定してつくります。そこでは「誰に使ってもらえたら良いのか?」「そのデザインは誰を幸せにするか」といったように「誰」についてすごく考えるんです。一方で、「”誰”の周辺にいる人たち」への影響も大きいはずなのに、そこについてはデザインのスコープ外となり、考えないことも多い。

社会に出てから色々な仕事に携わる中で「現状の社会システムではどうしようもないから、ベストではないけど仕方なくそうしている」という状況に出会うことが多々あって、システムに含まれていない人たちをデザインが取りこぼしてしまうことが往々にしてあるなと感じていました。

物事は俯瞰して見ないとよくならない。自分がつくったものによって含まれない周辺の人たちを構造的に生み出してしまうことが、デザイナーとしてはすごく怖いというか、嫌だなという気持ちがきっかけのひとつだったと思います。

川地
実際にWebサービスやアプリケーションのデザインの仕事をしていると、デザインがやってることは人びとの消費的な欲望を増幅しているだけだと思うこともありますし、ボタンの置き方ひとつで人々の行動をコントロールできる危うさもある。そうではないデザインの別の可能性を考えたかったというのはありますね。

富樫
制作物だけではなく、それが与える影響、どういう豊かさに繋がるのかみたいなところが、本質的なデザインのアウトプットだと思っているんですよね。
だからこそ、モヤモヤしながら生きづらさを抱えて生きていることや、自分がこうしたいと思うことを叶えられないような状況、「自分の環境を自分でつくることが実現しづらい世の中」自体に課題意識がありました。

行政との取り組みは、その課題へアプローチできる手段、ある種「うつわ」として捉えられる領域なので、そこに飛び込んでみたんです。

「課題」ドリブンではなく「入口と出口のあり方」から考える

──NTT US総研は、色々な地域から話を聞いて、例えば「住民の課題意識を聞き出すワークショップの支援をする」といったことを実践する会社です。ですが、色々な自治体に話を聞きに行って、幅広い関係性はできつつあるものの直接やりとりするところには至っていません。渋谷区や亀岡市のプロジェクトは、どういういきさつがあったのでしょうか?

富樫
アウトプットが目に見えるものだけではないので、活動を理解いただくのに時間がかかりますよね。
まちでビルを建てるという話であれば「建てることでお金がもらえる」みたいな分かりやすさがありますが、我々の活動はそこにいる人びとがそれぞれに想い描く「こうしたい」を見つけていったり、行政が支援できるような仕組みににアップデートしていくところを目指しています。

しかし、こうした活動に共感して委託してくれる行政や企業が多いとは言えません。
ただ本来は、我々が描くビジョンに価値を感じて「わたしたちの生活を良くするために、こういう行政・企業って必要だよね」と認識されて、それを実現するための活動が対価の発生する仕事になっていったらいいなと思っています。

川地
現状だと、問題意識を共有できるような繋がりが既にあったり、あるいはキーマン、つまり問題意識を仲介してくれる地域のプレーヤーがいたりするのが大きなきっかけですね。そこから、その地域には専門性を持ったプレイヤーがいないから、その部分を我々が補完して一緒にやっていこうみたいな形でご相談がきたりします。

こうした活動は「その場における行政・企業の役割はどうなりうるか?」を考えることが最終的なアウトプット=プロジェクトの出口になります。そのためには、仕組み自体を変えることが必要になるかもしれません。
ですが、それはすぐにできる話でもない。となると、そこに至るまでのパスをどうつくるか?ということを色々な入口から考える必要があります。

──具体的に入口と出口はどのように設定するのでしょうか?

川地
例えば、亀岡市で子育て世帯へリサーチを行うプロジェクトは、元々は「移住促進のためのブランディングを考えたい」というのが出発点でした。ただ、他の地域がやっている施策のような空虚なコピーだけつくっても本当にブランディングにつながるのかは、一考の余地があります。

子育て世代が移住してくるためには「子どもを産むために助成金・補助金出します」という話だけではなくて、子どもを育てていく中での大変さ・難しさに対してのケアも必要です。なので、そのために何が必要なのかを一緒に考えるデザインリサーチが入口となりました。

行政の人たちが当事者の声を聞いて、それを僕らと一緒に分析しながら子育て世帯の住民の実状に触れていく。それがまず協働の第一歩になっていきました。行政職員の皆さんも当然住民のことをたくさん考えている。一方、その声の背後にある声や心理、それらがどう絡み合っているのか、までは普段なかなか踏み込めていない部分でもある。そうしたきっかけがあって初めて、住民の人たちと継続的に対話していく機会をどのようにつくっていけるか、を職員さん自身が考えるようになり、次のステップにつながり始める。

このようにプロセスを刻んでいかないと、具体的に仕組みを変えることに繋げるのは難しいんだろうなっていう感覚はあります。

プロジェクトをいかに「自分事」にするか

──これまでのお話から、プロジェクトに関わる人自身が自発的に考えることが重要だと感じました。一方で、そこにある問題について考える時に自分事として捉えるのがなかなか難しいと感じています。
3人とも亀岡市にも宝塚市にも渋谷区にも住んでいるわけでもないと思うんですが、公共とデザインのような活動をするためのモチベーションはどのような部分にあるのでしょうか?

川地
留学時の経験が大きいです。
大学2年生の時に行ったスウェーデンでの交換留学で「スウェーデンの人たちは自分にとって何が望ましいかをきちんと持っているな」みたいな感覚がすごくあったんです。
端的な例を挙げると「別に仕事をしなくていいから家庭を大事にする」のようなことですね。人びとからそうした個人の価値観がにじみ出ているのを感じていました。

日本にいる時は、ほとんどの人がもやもやしながらも、世間の意見に流されるような空気を感じていました。「自分にとってこういうことが望ましいんだ」という自分なりの物語を生み出す機会もなく、「みんなが言うから・普通はこうだから」を無批判に受け入れている。私自身もスウェーデンでそうした経験をするまで同じように流されていましたが、それが息苦しいとずっと思っていたんです。

スウェーデンでの経験は、いままで具体的な行動を起こしていなかったそうした感覚について、もう少し考えたいと自分の中で深まるきっかけになりました。そうした感覚が明確になった後に、今度はフィンランドに行って、その辺りについて深く考えるためにデザインを勉強し始めました。

──乱暴に言うと「こういう世界があるんだ!」ってスウェーデンで感じたけど、それは自分が住む日本とは違う。どうせ日本に住むんだったら少しでもそういうものにしたいという感じですか?

川地 
「社会を変えたい」というモチベーションで動いているわけではないんです。もちろん変わったらいいなとは思ってるんですけど。
どちらかと言うと「それを考えていくことの面白さに惹かれていった」みたいなところが強いかもしれないですね。

──「社会を変えたいっていうよりは、考えること自体が面白い」というのは印象的ですね。公共とデザインの活動は「解決策を見つける」というよりは「課題や問いを見つける」タイプのプロジェクトが多いですよね。
それはプロジェクトに関わった人たちも、課題や問いについて考えることを「面白い」「価値があることなんだ」って感じてもらえるようにすることなのかなと思いました。

川地
公共とデザインでは「〈わたし〉をいかに生きれるか」を最上位に置いています。
それはプロジェクトチームの人にも同様に言えることだと思っています。とりわけ行政や大企業の人たちは「部長として働く」「エンジニアとして働く」とか、肩書きで考えているという節がすごいある。

哲学者のアーレントは、そういう役割とか肩書きではなくて、自分をむき出しにしてお互いをぶつけ合っていくことで「あなたはそんなことを考えてたんだ」ということに驚きながら自分自身も変わっていくやりとりの中に公共を見出しています。自分たちの活動ではそういうものを織り込んでいきたいと思っています。

自分の感情と切り離して「この状況を良くするためにこういうソリューションを打てばいい」というのは、やはり分断されてる節が否めない。イノベーションだ!と言っても、その状況だとやり続けることもできないですよね。

──なるほど。

川地
結局「これをやれば解決できる」というものが分かりやすく存在する世の中ではないと思うんです。

だから、それぞれの個々の中に「どういうことに取り組んでいきたいのか」が必要だと思うんです。「合ってるか間違ってるかも分からないけど、これをやってみたいから、一旦やってみようぜ!」というノリでも良いと思っているんですよね。
そうすることで「こういうことが気になるからもっと知ってみたいな」という気持ちが湧き上がってきたり、その人の中で何かしら引っかかっていたものが出てきやすくなると思うんです。

例えば亀岡市の子育てリサーチの時に一緒になった男性の職員さんは、プロジェクトを通して自分の育休への関わり方をすごく見つめ直していました。
行政の男性の育休は取得できたとしても2ヶ月くらいで、それでも職員としては長い方だそうです。ただ2ヶ月取れたとしても、やはりお母さんとは子どもと関わる時間の差がかなり生じてしまう。そして、そこに差が生まれると「結局お母さんの方が子育てできるし、自分はやらなくても...」という具合にどんどん自信を喪失して、終いには関わらなくなってしまう。そうした悪循環が生まれる構造が存在していることに分析を通じて気づく過程で、「自分もそうだった」と、その方がポロッと話してくれたんです。

そういう自分自身の見つめ直しとかにも繋がっていくと、その人の生き方自体が少しずつ変わっていくのではないかと思っていて、その変容可能性がプロジェクトと繋がっているのが大事なんじゃないかなって思います。

──これまでプロジェクトを実践してきた中で、その辺りをうまく引き出せたという感覚はあったのでしょうか?

川地
「自分ごとに繋げてプロジェクトを考えるということは、すぐにその人の中で醸成されていくものでもないな」という難しさも、やっていて同時にすごく感じました。

基本的には行政職員の方々は決められた業務を事務的にすることが多いので、そういった状況の中で「自分が関わる街をどういうふうにしていきたいのか?」「その中で自分はどう働いていきたいのか?」みたいなことを問われる機会が少ないんです。だから聞かれた時に答えられないことがある。なので「問い続けられる」ことは重要になってくると思っています。だからこそ、他者が重要だなと思います。

──このnoteで紹介している都市空間生態学のリサーチをやってた時に、豊島区で色々とイベントを行うことがあったのですが、熱心に関わっていただきました。豊島区は区長も長くやっていてすごいリーダーシップもあるし、職員の方々も率先して取り組んでいる。自治体の中にそういう引っ張ってくれる存在がいるかどうかの違いもありそうです。そうした方を見つけていかに引き出すかも、同時に課題になってきそうですね。

「自分で発見する」ことを支援する

石塚
直近では、「産むにまつわるイメージの問い直し」というプロジェクトを行っています。その分析を進めるために「産む」に対するご経験で悩みながら徹底して向き合ってこられた方々、例えば不妊治療経験者や特別養子縁組経験者、生殖専門医や関連NPOなどの専門家等にヒアリングをしています。

ヒアリングを通じて、「プレコンセプションケア(=将来の妊娠を考えながら、自分のカラダやココロの状態を知り、日々の生活や健康と向き合うこと)」という視点に注目し、9月頭からは不妊治療・特別養子縁組の当事者・将来子どもを持つことを考えている人たち・アーティスト/クリエーターの異なる立場の3者を交えたチームを作り、ワークショップ・作品制作を行う予定です。

「産むこと」は人生の中ですごく大きな時間を占めていて、キャリアプランどころか人生そのものにに直接影響しますよね。でもそれについて周りの人と考える機会はないし、なんとなく「27歳になったら子どもが1人生まれている」とみんな思っている。

でも実は、いざ子どもを授かろうと思ってもその場ですぐできるわけではないし、実は5人に1人ぐらいは不妊に悩んでいるみたいな状況があります。ただそれは気軽に話せる話題でもないから、私たちはそうした状況があることすらも知らない。

また一般に「子どもを産むことが女性にとって一番良い」と思われがちですが、それはある時代から変わってない価値観ですよね。なので、このプロジェクトでは「産むこと」に対して「それって本当にあなたの理想なんだっけ?」っていうところを改めて問い直すことを目的としています。

富樫
行政や企業が解決策を提示するだけではなく、当事者や課題を持ってる人がその環境を「自分たち自身で変えられるんだ」と気づき、選択肢を得て、自分たちで模索していくことができたら一番いいですよね。

「産むにまつわるイメージの問い直し」のプロジェクトはそういう形を目指しています。でもそうした気づきだけで解決できるものは限られています。そこで公共とデザインが、人びとがあらゆる選択肢を探索しながら「こういう支援の仕方もあるかもしれない」ということに気づくためのうつわとなっていくことが理想です。

人それぞれが持つ「自分がこうしたい」「こういう選択肢があるかもしれない」を自分で発見することが一番の原動力になっていくと思うので、自分たちが提案するというよりは伴走する側というスタンスですね。

石塚
「公共とデザイン」では行政・企業に働きかけるようなプロジェクトももちろん重要なのですが、このプロジェクトのように当事者とともに考えるプロジェクトも私たちがやりたいことのひとつです。

川地
当事者が自分自身でいまと違う選択肢を想像できて、それを実際にかたちにしていけることと、私たちが「自分が住んでる地域ではない」ところに入ってプロジェクトを進めていくことは、ある種、構造としては似てるのかなと思います。自分が住んでいる地域ではないからこそ「自分としてはこう関わっていきたいんだ」と関わりながら考え直して、一緒に実践することが大事だと思います。

そうじゃないと、「上から・外部から来た」権力性に身を任せるままになってしまって、冒頭にお話した現状の行政と市民の関係性と変わらない。もう少し大きな目線で言うと、それ自体が今の民主主義の退廃に関わっている、社会関係の根底にある問題だなと思っています。

課題が解決された状態はあり得るのか?

──「公共とデザイン」という社名から「多数の人の利便性・みんなの落としどころを探って、課題を解決していくチーム」と勝手にイメージしてたのですが、「多くの人が望む解決策を提示する」というよりは、母集団の人数が少ないところでみんながいいなと思うところを発掘する。つまり「自分ごと化」して考えることを重要視されているのだなと感じました。そう考えると、課題を解決するという考え方自体が少し違うのかなと思い始めました。

川地
僕たちの共通認識として「解決された状態がある」ということ自体が、近代的なフィクションであるという前提があります。
例えば、子育てのリサーチの結果として「子育て中の人の自由な時間が1時間増えたら問題は解決されました」って言われたら、何かおかしいですよね。

やっぱり100%解決された状態って基本的にはない。なので「これをやったらどういうふうに変わっていくんだろう」というのを実践し続けていくことがすごく重要だと思うんです。「課題の解決策を提示する」ことより「課題に向き合い、実験し続ける」フローをどうやってつくっていくかということですね。

石塚
多くの課題が複雑に紐づいてるので、こっちを叩いたら新しい問題が出てきちゃった、みたいなことが当たり前にあると思うんです。1個ずつ解決しようとしたところで課題が減るかというと、そうとは限らない。

だからこそ、その課題を解決できるような状態、エコシステムや環境をどうつくっていくのかが重要になります私たちがやりたいのは、みんなで何か困ってることに対してチャレンジしてみることだったりとか「こうだったらもっといいよね」というアイデアや欲望をプロジェクト化して一緒に活動していくとか、そういう土壌を耕していくことだと思っています。

富樫
例えば、パートナーとの関係も完全にトラブルがなくなるとか、完全に問題解決されるっていう状態はないですよね。やっぱりそれぞれの向き合い方、ひととひととの間の調整の繰り返しだと思うんです。問題の有無だけではなく、その絶えず繰り返される対話や関係性のあり方自体が、ウェルビーイングに直結するのではないかと思いますね。

川地
さっきおっしゃってた「多数の人の利便性・みんなの落としどころを探る」最大公約数を目指す話は、権威的・全体主義的だなと思っちゃうんですよね。やはり個々の良さが除外されている状態だと思うんです。
そうではなくて「それぞれ好き勝手やってても、なんとなく成立している」ことの方が面白いなと思います。ただ、それが完全にバラバラでいても面白くない。関わり合いが所々で生まれることで「違い」から自分をまた見つめ直していって..….みたいなプロセスがどんどん新しくつくられては消えるみたいな、そういうものが公共とデザインが思い描いているイメージなのかなと思います。

石塚
違う場所を向きながらひとつの方向に向かっていくというイメージですかね。みんなが完全に同じ方向を向いたりとか、同じことを目指したりする必要は全然ないんだけど、なんとなく流れがあるところに、私たちが目指す公共のあり方がありそうだなという気はしています。

(2022年7月21日収録)