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「温度あるデータ」とは何か?|都市空間生態学から見る、街づくりのこれから vol.3

文:木内俊克


今回から3回にわたって、都市空間生態学の研究が発足した当初からテーマとして扱ってきた「温度あるデータ」について取り上げたい。これが掘れば掘るほど面白い、実に奥深いトピックなのだ。

ここでは温度という言葉を用いているが、つまりは人びとが感覚や感情で捉える様々な情報のことを指している。こうした一見ふわふわと捉え所のないようなものを、我々はどのようにデータとして扱い、記録し、視覚化し、そして街に住まう人びとに還元できるのだろうか? そんな問いを出発点に、まずは「温度あるデータってどんなものだろう?」というところから紐解いてみたい。身近なところで、映画の話から始めよう。

街はあたまの中にある


『ネバーエンディング・ストーリー』という映画を知っているだろうか? ミヒャエル・エンデの小説『はてしない物語』を原作とした1984年の名作ファンタジー映画だ。

物語は主人公のバスチアンという少年が、たまたま駆け込んだ見知らぬ本屋で、不思議な紋章のついた「ネバーエンディング・ストーリー」というタイトルの本に出会い、学校の用具室に隠れてその本を読み始めるところからはじまる。

本の中の世界はファンタージェンと呼ばれる不思議な世界で、岩が好物のロック・バイターや、空飛ぶドラゴンのファルコンがいる美しい世界。けれども「無」がその世界のすべてを消し去ろうとしていて、草原の勇者アトレーユが「無」からファンタージェンを救う為に旅立つ。アトレーユは困難を乗り越えて冒険を続けるが、最後の最後で「無」の化身であるグモルクにやぶれ、ファンタージェンはいよいよ危機を向かえる。

アトレーユは自分の失敗を悲しんでいたが、実はアトレーユの冒険は無駄ではなかった。というのも、ファンタージェンは、人間の夢でつくられた世界で、人が想像することをやめてしまったことで「無」が世界を消し去りつつあった中、ある人間の男の子——つまり物語の主人公であるバスチアンがすでにファンタージェンに想いを寄せ、彼が沢山の夢を想い描きさえすればその世界が救われる一歩手前まで来ていた、というプロットだ。

すばらしい作品で、物語の最後はぜひ映画を観てもらえればと思うが、人の想いが世界をかたちづくる、もっといえば、世界は人が想い描くあたまの中にある、という原理は、実は現実世界のメタファーそのもので、日常の暮らしでは忘れてしまっている視点にハッとさせられる。1984年の映画で、いま見るとファンタジーの表現はアナログで稚拙さを感じる人もいるかもしれないが、物語の構造とあいまって、それがむしろこちらの想像力をかき立てる仕掛けになっているのも非常に秀逸だ。

想像をかきたてる温度あるデータ


旅をすると、普段見ていないちょっとした風景や、風の音、光に目が向き、途端に世界を瑞々しく感じられる、という経験をすることがある。いうまでもなく、我々を取り囲んでいる環境はとても豊かな情報にあふれているが、その中から何を感知できるかで、そこから想い描ける世界の像が変わる。

コムアイ×オオルタイチによるライブパフォーマンスを、インタラクティブな映像作品として2021年に配信した『YAKUSHIMA TREASURE ANOTHER LIVE from YAKUSHIMA』はその点でとても興味深いヒントを与えてくれる。

この映像作品では、屋久島のガジュマルの森で行われたライブパフォーマンスをいわゆる動画で記録するのではなく、パフォーマンスが行われた森の環境全体をスキャンした点群データとして捉え、深度センサーで読み取った動き、フォトグラメトリーによって捉えた色彩を組合せ、そこに立体音響による収録した音像を重ね合わせるかたちにより記録・配信することが試みられている。

リアルな実像を伝えるより、言葉では表現しづらい、ぼんやりと入ってくる感覚的な刺激だけを組み合わせたような、温度を感じるようなデータ的な表現だ。この温度あるデータが、むしろ屋久島の森で感じるであろう奥深い環境のさざめきに耳を澄まし、パフォーマーの繊細な動きに感覚を研ぎ澄ますことを可能にし、またそこから場のもつ広がりに想像をふくらませることができるつくりになっている。

整えられたデータと雑多で生なデータ=形式知と暗黙知


デジタルアーカイブという分野に注目が集まっている。建築雑誌2018年12月号に寄稿した「建築・都市環境におけるデジタルアーカイブ技術とその課題」の記事でも紹介したが、吉見俊哉による2017年に設立されたデジタルアーカイブ学会の基調講演[*1]の視点が示唆に富んでいる。

*1 吉見俊哉「なぜ、デジタルアーカイブなのか?——知識循環型社会の歴史意識」(デジタルアーカイブ学会誌 2017, Vol.1, Issue 1)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsda/1/1/1_11/_pdf/-char/ja

吉見によると、デジタルアーカイブがもたらした変化は、一つには図書館などの公的機関に収蔵されてこなかった、社会の中で発信され続けている有象無象の雑多な資料が記録対象になったことだという。そしてもう一つは、たとえば建築やアート作品、あるいは車や雑貨などのプロダクトなど、完成品の写真や図面などの情報だけではなく、ハプニングや関係者がかわしたおしゃべりのような生な情報まで含めた完成に至るプロセス全体が記録可能になったことだという指摘が続く。

またその結果、たとえば「おいしいアイスクリームのつくり方」といったようなレシピとして記録されていく「形式知」だけではなくて、「このアイスは、このビーチに面した海の家のこのテーブル席に座ると吹き抜ける潮風を感じながら食べるのが最高」といった知っている人の間では共有されてきたような「暗黙知」へも、まったくの他者がアクセスできる可能性が出てきていて、この「形式知」と「暗黙知」の相互補完による知識創造が次世代的な課題だとまとめられている。

かつてないスピードで情報の記録技術が進展しているいま、目に見える映像/耳に聞こえる音や、その他記録可能なあらゆる感覚的情報を、画像/音声/位置情報/座標情報といった各種の数値で保持し(たとえば画像もピクセルに紐づけられた数値情報だ)、そこに人間が認知できる意味や感覚が記録されたテキストをセットにして紐づけられたデータが蓄積、発信され続けている。

紹介したYAKUSHIMA TREASUREや、たとえば戦争の記憶をオーラルヒストリーで記述し、土地と紐づけ、疑似的に追体験可能なかたちで記録/発信することを試みているヒロシマ・アーカイブの事例などは、こうした多面的な情報を最大限駆使して、世界の体験的な価値や失ってはならない記憶をそのまま生け捕りにしようとしたチャレンジングな試みと言える。

いずれにせよ、デジタルアーカイブの技術が可能にしたデータ群が日々生み出され続けていることは、都市におけるあらゆる視覚・聴覚情報が、人間の認知にどう結び付き、建築・都市が人々に体験される過程で何が起こっているのかをあぶり出せる可能性を意味しているだろう。

想いを導くというまちづくり


より豊かに世界を感じること、そしてそこから記憶や想像の中で世界のイメージをつむいでは味わうことは、まちを楽しむことの本質でもあるように思う。もっといえば、まちの体験とは、すべからく、訪ねた場所一つひとつでの食事や買物、人との会話や、眺めた風景、そのとき頭に浮かんだことがあたまの中で一緒くたになった際に抱く、「楽しかった!」や「切なかった」という想いであると私は考えている。

だからこそ、まちをつくる、ということは、必ずしもまちを実際につくりかえないとしても、まずまちの何に目を向けるとより豊かな体験となるのかを発信するところからはじまっているはずだ。

まちの何を情報として記録するか、どんなかたちで記録するか、生のデータか、整えられたデータとして提示するのか、それをいつどこでどう発信し、まちをどんな風に体験することをおすすめしていくのか。このアーカイビングとナビゲーションの問いは、取り組めば取り組むほどまちの価値という本質に近接していく手がかりを示しているように思う。次回、本記事の中編では、この「温度あるデータ」を、アツアツのまま巧みに運用しているといえる実際の都市開発の事例や、都市空間生態学でチャレンジした試みなどを紹介し、「温度あるデータ」を意識したときにまちづくりの実践がどう変わりうるのかについて、身近なところからエッジのきいたチャレンジングな可能性まで探索してみたい。ご期待いただきたい。

木内俊克(きうち・としかつ)
京都工芸繊維大学 未来デザイン工学機構 特任准教授/砂木 共同代表
東京都生まれ。2004年東京大学大学院建築学専攻修了後、Diller Scofidio + Renfro (2005〜07年)、R&Sie(n) Architects (2007〜11年) を経て、2012年に木内建築計画事務所設立。2021年より株式会社砂木を砂山太一と共同で設立。Web、プロダクト、展示、建築/街づくりの企画から設計まで、情報のデザインを軸に領域を越えて取り組んでいる。教育研究活動では、2015~2018年 東京大学建築学専攻 助教などを経て、2022年より現職。2015~2020年に在籍した東京大学Design Think Tankでは、このnoteでも取り上げている「都市空間生態学」の研究を担当。代表作に都市の残余空間をパブリックスペース化した『オブジェクトディスコ』(2016)など。第17回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示参加。

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イラスト
藤巻佐有梨(atelier fujirooll)

デザイン
綱島卓也(山をおりる)