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放浪旅の前日譚。

この夏、1ヶ月ほどフランス・ドイツを
放浪しようと決めた。
ゴールデンウィークに航空券を検索してみたら安かったから。

つまり、なんとなくで決めた。

noteはしばらく放置気味になっていたけれど、noteを開設した目的でもある旅行記も
またつけていこうと思う。

今回は旅前の、前日譚的なものとして。

振り返れば最後の海外は2019年夏、
「ウラジオストクまで飛んでシベリア鉄道でロシアを横断、バルト三国を通ってポーランドに入り、さらにチェコ、ハンガリーまで行ってブダペストから飛行機で帰ってくる」という、今思うと大変にスリリングなものだった。

Google Maps ロシア-エストニア間
Google Maps リトアニア~ポーランド周辺

例えばこんなところを夜行バスで通過していたわけで。
ロシアのサンクトペテルブルクからエストニアのタリンまでは夜行バスでわずか5時間程度。リトアニア-ポーランド間はロシアの飛び地・カリーニングラードと、ベラルーシに挟まれているような位置。

2019年だって決して「必ず何もない」といえるような情勢ではなかっただろうと思う。バスで通ったからこそ地続きであることや距離感、そこから生まれる緊張感というものを身をもって体験したという気もしている。

エストニアで知りあった人にこんなことを言われた。

僕たちエストニアと日本は遠く離れている。
しかし共通点がある。
それはお互いやっかいな隣人を持っている、ということだ。

なるほどその通りだ。
日本は他国と海で隔てられている分、
意識することが少ない。
しかし常に領土問題はあり、
海にミサイルは落ちてくる。

ロシアのウクライナ侵攻は、
遠い話には思えなかった。

2日後に泊まる宿も決めず、
ただスタートとゴールだけあって始めた
2019年の放浪旅。

その次の春には新型コロナウイルスの大流行で、国内旅行すら控える動きが強まった。
まさにその春、私は青春18切符で福岡から四国を周り、日本海側から長野を抜けて東京に戻るなんていう旅をしていたわけだけど。

「しばらく海外はないかもな。」

いつかまた海外に行けるような情勢になることを願いつつ、とにかく日本国内や自分が住んでいる東京エリアを巡ろう、ということになった。

住んでいる街の農業用水、
総延長70kmを歩いてみた。
ついでに近所の農業用水も。
府中とか、日野とか。

山手線1周、42kmを歩いてみた。
爪が変形して、なかなか治らない。

東京23区、33kmを横断してみた。
血豆が治らなくて大変だった。

2011年3月末に中国へ渡り、2014年5月に日本に帰ってきた私のごっそり抜け落ちてしまった記憶と経験を埋め合わせるために、東北の太平洋沿いを1週間かけて巡った。
いわき、広野、楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江、女川、南三陸、気仙沼、釜石、大槌、山田、宮古、そこから盛岡へ入った。

福岡、周防大島、宇和島、高知、三好、善通寺、丸亀、坂出、高松、東かがわ、三次、倉敷、神戸、大津、越前、金沢、富山、高山、上越、仁賀保、男鹿、能代、八峰、深浦、北秋田、仙北、大仙、美郷、横手、鶴岡、新潟、南砺、氷見、輪島、珠洲、伊豆、萩、太田、出雲、松江、倉吉、湯梨浜、伊根、新見、綾部、宇治、奈良、松阪、名古屋、勝浦、館山、木更津、遠山郷、東白川、南木曽、塩尻、諏訪、茅野、佐久、小豆島、水上、尾道、しまなみ海道、今治、富士吉田、甲府、北杜、辰野、伊豆大島、南相馬……。

そこへ行く途中途中にもたくさんのまちを
通っている。

夏は海外、春は国内。
思い描いていた大学生活の半ばで
「海外」という選択肢は消えてしまった。

国内をひたすら旅してまわって、色んな人と会って話を聞いたり、電車やバスの窓からひたすら流れていく景色を眺めたり。

これはこれで階段を転げ落ちるような勢いで進んできた自分の、20代出だしの過ごし方としては必要でとても大事なものだったのだろうなと思う。少なくとも、そう思うことにしている。

2020年4月12日、息が詰まりそうな私は、
未来の旅を妄想して、6畳の和室でこんなことを書いている。

コロナが落ち着いていつか、例えばドイツに行ける機会が目の前に降ってきたときに、「待ってましたあ!!!」とばかりに
旅に出たいのです。

2020年4月12日「次の旅支度を、またいつでも旅に出られるように。」

いつもならバタバタと行き先を決めて、現地の言葉で「こんにちは」すらままならない状態で慌ただしく旅に出てしまう私。

2020年4月12日「次の旅支度を、またいつでも旅に出られるように。」

https://note.com/usushio123/n/ne7bed1783d51

今こそ言いましょう。
家が壊れるくらい大きな声で、叫びたい。

「待ってましたあ!!!!」

2年前に読んだ本の細かい内容まで覚えちゃいないけれど、何かしら生きてくるものもあるでしょう。

ずっとドイツフランスに行ってみたかった。
時間は引くほどあった。

2021年春には「シャンソン演習」という授業を聴講して、学部1,2年生に混ざってフランス語で歌を歌った。

大学院に進学した2022年、今年の春からは学部1年生のフランス語の授業に潜り込ませてもらっている。挨拶ならできるぞ!

今年から大学院で始まった産業地域デザインという授業の中で、ドイツの工業地帯再生の話を聞いたり、本を借りて読んだりした。

どこまでいっても語学も知識にやりきったというところはないけれど。ただつっこんでいくのとはまた何かが違うかも知れない。
もしかして、何も違わないのかも知れない。
いつものごとく、予定も決めきらぬ放浪旅。

しかし旅の仕方は、私にとって新しいもの。
新しいものは、けっこう好きだ。
初めてにしかないときめきやわくわくが
存在する。

コロナは依然落ち着かず、
日本ではなんなら増えている。
サル痘が、戦争が、国際情勢が……。

不安は尽きない。しかし同時に思うことがある。「これまでに、身の安全が約束された旅なんてあったのだろうか」と。

身の危険を冒してまで何かすることを美徳とは思わない。同じくらい、不安を振り払えず考え得る可能性すべてに縛り付けられてただここに居続けることにも、美しさは見いだせない。

行けるならば行ってしまうに越したことはない。この2年間、とにかく当り前を奪われ続けながらも、負けず嫌いで天邪鬼な私はいかに私にとって豊かな時間を過ごせるかに、とても熱心であり続けてきた。

奪われた、邪魔された、抑えつけられた、そんな自分が何かに従ったかのような理由づけて正当化したいものはなかった。

常に人や環境に恵まれているというだけかもしれない。

この2年間、それだけじゃなくこれまで22年間も同じように、私はきっと一貫している。
いまさらわざわざ決意を新たにするほどのことでもないのだけど。

自分の「なんとなく」をあえて言葉にして書き残しておくのなら、まあまあ強めに刻みつけておかないと、って。

何より一番、私が迷子になってしまうから笑
前日譚は常に、私の旅中の道標。

2019年、私は3週間の放浪旅に夏目漱石の『草枕』を持っていった。
ワルシャワで美術館の開館待ちに少し開いた、ちゃんと。鳩に囲まれ、寒くて、枯れ葉がからからと寂しげに風に巻かれている、そんな静かな中庭のベンチで少しだけページをめくった。

まだあのじんとしみるような寒さも、弱く乾いた風も、覚えている。

今回1冊だけ持っていくとしたらなんだろう。
林芙美子の『放浪記』を持って、私は巴里へ行こう。彼女が「下駄で歩いた巴里」を、私はおろしたてのスニーカーで歩こう。

たいてい1週間もすれば慣れない環境にも飽きがきて、タイクツな日常をだらだら過ごすのもそれはそれで良いかと思う。

しかし慣れない環境というものは、
私をタイクツにしておいてはくれない。
ドキドキして、呆れて、驚いて、
どんどん崩れる私をまた新たに組み上げて。
そんな慌ただしい私の姿を、
他の誰よりもまず自分が一番、
楽しみに思っている。

日本を出ると、歩いて帰っては来られない。
泳ぐのは厳しすぎる。水中や宇宙で、頼りないチューブ1本残して船から放り出されるような。

バスや鉄道で隣国に行けてしまう、大陸に住む人には到底わかり得ないこの感覚を味わうことが出来るのも、今はまだ少しの誇らしさすらある。


※ちなみに記事トップの画像は絹の道の峠から見下ろす八王子市街地


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