見出し画像

Urban Educationとは?:「教育困難校」の研究

 ここ数ヶ月ほど、Twitter,そして復活したNoteのヘッダーを「Urban Educationがわたしの原点」としています。Urban Educationってなに?って思われた方もおられると思いますので、ちょっと説明します。

すべての始まりは「バイト探しだった」

 Urban Educationという言葉に出会ったのはアメリカでの院生時代でした。当時、私は貧乏学生でバイトを探していたのですが、まず、すべての始まりであるSocial Security Numberをまだ所持していませんでした。これがないと所得税を納税できないため、合法的に働くことができません。Social Security Numberとはアメリカ版のマイナンバーで、アメリカ国民は生まれた時にもらうのが当たり前ですが、外国人である私は取得のための手続きが必要です。じゃあ、どう手続きしたらいいのか、ここには2つのハードルがあります。

①雇用主を見つける②雇用主に申請書にサインしてもらう。

 ですがね、ここにさらにハードルがあるんです。そもそもアメリカでアメリカ人でない学生が仕事をするのには制限がありまして、

①大学・大学院の正規学生である②大学など関係機関の仕事である。

 これ、日本語学校の学生がコンビニでアルバイトしている日本とは全然違います。まず大学か大学院の正規課程に入学してなくてはいけないし、「それなりの」仕事じゃないといけない。しかも、それなりの仕事ってのは、買い手市場で「そんなめんどくさい書類手続きを要求する外国人より、アメリカ人を採用した方が楽」と思われがちなのです。

 このため、職探しは非常に難航しました。そんな中、教授から教えてもらったのが、「Metropolitan Center for Urban Education」という大学の学内施設だったんです。もともとこの分野に興味があったのではなく、とにかくバイトしてお金が稼ぎたい、が、きっかけでした。

初めてのブルックリン

 で、このUrban Educationに足を踏み入れた私ですが、まず、行かされたのがブルックリンという地域でした。

 ちなみに現地の方の案内によるとブルックリンとはこんなところです。 

 ここの公立学校で私のロシア人の同級生が働いていたので、「研修」という形で見せてもらったんです。もっとも、彼女、確かモスクワ大の英文科かなんかで自分よりずっと英語ができたんですけど…。

 日本でも最近は小中学校で要支援生徒が「取り出し」という扱いを受けることが通常化しましたが、私は「取り出し」を見たのは初めてでした。特に識字など基礎的な英語力に課題がある生徒の個別指導をしていたんです。

 で、それを見て、かなーり率直に「面白そう」と思いました。で、簡単なフォニックスの研修を受け、晴れてSocial Security Numberも発行してもらって、私もこのプログラムの一員として現地校で働くことになりました。

教えることって面白い

 私はそこでP.S.82を皮切りに、サウスブロンクスとブルックリンの3つの小・中学校で識字指導を行いました。実は最初は私は教師には興味があまりなく、「教育社会学」という学問に興味があったのですが、次第に、「実際に生徒と出会い、過ごすこと」の魅力に気づいたんですね。

 サウスブロンクス、ブルックリン、さらに別件でハーレムの学校にも行きましたが、どこも日本人には「立ち入ってはいけない」といわれている地域とはいえ、どの地域の生徒も保護者も実際に出会ってみると、それなりに魅力的な人たちで一緒に生活していて不安を感じることはありませんでした。

 アメリカの公教育、特に都市部は日本に比べても優れているとはいい難いです。貧困地域の生徒のほとんどは経済的にも厳しいマイノリティの家庭であり、教員も少なくて十分な指導ができているわけではないです。でも、そんな中で自分なりに精一杯に生徒に向き合って自分ができることを探す毎日はそれなりに魅力いっぱいだったんです。

で、Urban Educationってなに?って話

 で、Urban Education、無理やり訳すと「都市教育」ですが、たぶん、この訳ではいいたいことの1割も伝わらないでしょう。

 このCenter for Urban Educationというのは当時「地元の教育困難校の改革」の一つとして「学生講師による定期的な識字指導」というのを行っていました。

 アメリカではお金持ちの多くは郊外に住みます。都会にもお金持ちはいますが、都会のお金持ちはブルジョワ私立学校に進みます。そうすると、都会の公立学校は貧困層のマイノリティだけが吹き溜まりのように集まってしまい、社会的な問題がそこに噴出します。

 それを研究することをUrban Educationというのです。
 
 ですから、「都市教育」というより、「教育困難校学」というのが正しいように思います。

 たとえば、アメリカの都市部にはこんな学校があります。もちろん、日本にもあるのですが、そうした学校そのものについて研究したり、改善方法を考えたり、実際に実験プログラムを行ったりする機関は日本にはまだないと思います。

日本の教育社会学が見ようとしていないもの

 私の専攻は教育社会学で、もともと貧困とか人種問題と教育の関係に興味があったのですが、そうした事項と実際に自分ができることとのリンクを作ってくれたのが、このCenter for Urban Educationとの出会いだったのではないかと今は思います。

 日本にも荒れた学校もありますが、そうした学校を研究する人は少ないです。「親の学力と子どもの学力との相関が…」とかそういうデータを出している人はいますが、たとえば、「なぜ困難校では管理教育が行われているのか」「なぜ進学校では行われないのか」ということは現場の教員はうすうすわかっていますが、大学の研究者は「そもそも学校によって指導方法が違う」「学校文化も違う」ことさえ気づいていなかったりします。その一つの要素は研究者と現場との分断ではないか、ということを日本の「教育社会学者」の本その他を読むとよく思います。

 特に困難な学校にスポットを当て、学術研究と現場の教員の具体的な取り組みをリンクさせるUrban Educationの経験が、私のその後の教員生活のベースになっていることは間違いありません。

まず、見てくれませんか?

 最近、私はTwitterにこの動画を固定表示させています。

 日本の政治家の多くは私立のお坊ちゃま、お嬢様学校から優れた教育だけを見て、「視察」もいつもエリートの学校、優れた学校ばかりです。

 けれども、アメリカの政治家は荒れた学校も見に来ます。アメリカのファーストレディというのは、政治的な立ち位置もありながら、一方で社会的アピール力もあるちょっと皇室的なニュアンスもある人なのですが、そういう立場の人がブロンクスのP.S.83(82という誤った情報がありますが、82ではないと思います、ただし近隣の学校)を訪問するんです。

 ちなみに荒れた学校を見に来た日本の政治家は私は橋下徹くらいしか知らないです。いろいろ言われている方ですが、公立高校の統廃合を進める前に、彼は実際に難しい公立高校を見に来ました。その一点だけでも現場としては十分に評価していいと思います。一方で、高尚なことを言いながら、明らかに自分が経験した進学校だけのものさしで現場の教員に無理難題を押し付けたり、批判したりする政治家や教育社会学者は本当に多いと私は思います。

「語る」こと「注目する」こと

 アメリカで学んだ目で日本を見ると、アメリカでは普通に語られていることが日本では軽視されたり、タブー化されていたりしていることに気づきます。

 たとえば、アメリカ人は人種や階層、政治思想や宗教というのは結構オープンに話します。だからこそ、Urban Schoolの人種や階層のことも問題として捉えやすく、改革に対していろいろ試みることができます。

 一方で、日本の場合、教員間でなんとなく共有されている情報がある一方で、大学の研究者にはまったく見えていないこともたくさんあります。

 たとえば、進学校と困難校の生徒層や指導法、生徒文化というのは全く違っているのですが、こうしたテーマというのはあまり研究されておらず、もっぱら教育社会学者の人たちが扱っているのは「学力と親の学歴との相関」とか「(進学校出身の研究者から見て)”理不尽な”校則の批判」だったりしますが、その間にもっといろいろなものが隠れているはずです。

 日本ではまだまだ語ることに対する批判が多い分野ですが、そうしたものに注目し、言語化する、語る、という作業にはそれなりに意味があるのではないか、という思いを私は持っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?