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一周忌。そして僕らはみんな生きている。


母の書を 掛け軸にしてもらいました

母の一周忌が終わった。

一周忌は 家でやりたい。
住職にお経をあげてもらった後の おときも家でふるまいたい と
父が言ったのは 新盆を終えた晩のことだった。

父は福井の越前海岸から内陸に入った山深い集落に生まれ育った。
「午前9時に日が昇って午後3時に日が暮れる」集落だと父はよく笑いながら話してくれた。
小さい頃はよく田舎に連れて行ってもらった。
田舎はおおきな古い日本家屋だった。
襖を外すと三部屋ブチ抜きで どーんと大広間になるような。

そういう環境で育った父の
「法事は 家でするもんだ。」という理屈。
まあ、それも わかるけどね。

はたして仏壇がある8畳間に 住職と参列の20〜25人が入るか?
その人数の食事を 家の中でするってこと?
作るの?仕出し?でもその段取りどーすりゃいいの?

とはいえ。
母のために という想いと じぶんの考える法事とは というこだわりが 父の中でものすごーく強い愛になってしまっているので
どうやったら実現できるか
どんな形だったら父は納得してくれるか
どうしたら母は笑ってくれるか
それだけをイメージして
愚息 がんばりました。

食事はうちでするのは無理だよとなんどもやんわり話して説得して
近くの料亭をあちこちあたって送迎のあるなしも含めて検討して
土曜日だけは送迎バスないんですよと言われながらもやりとりの時の電話での応対に心を打たれた「梅の花 町田店」にお世話になることにした。

一周忌の2日前には実家に入って 部屋と玄関の掃除 庭の手入れ 床の間の飾り付け お墓参りと掃除。

みなさんにお越しいただく部屋は8畳間。
住職に座っていただく場所以外で だいたい18人座れそうって目算。
あとは廊下の板間にはみ出るかもしれないからそっちには座布団用意して。
正座や胡座がしんどい人も居られるだろうから椅子5,6脚用意して。
お供えの台はこっち 廻し香炉のお盆はここに置いて。

床の間には母さんの書を掛け軸に仕上げて掛けて 母さんは菊が好きじゃないのでそれ以外の華やかなごっついお花(カサブランカ・リンドウ・カーネーション・トルコ桔梗・ソリダコ)も添えて。母の高校時代の親友から届いた真っ赤なバラも添えて。

これでよし っと。

11時半をすぎて次々とお越しくださって。
嬉しい。顔がにやける。
なんだろう この あー久しぶり!元気にしてた?? みたいな 同窓会みたいな 感じ。
寂しい とか しんみり とかじゃなくて 幸せな気持ち。

きっとそれは 母さんが そうさせてくれてるんだな。
じわじわと 強く そう思ったよ。

蓋を開けてみれば 8畳間に 全員 入れた。
あれね 人数分の座布団敷いてたら 到底入れなかっただろうけれど。
みんな 譲り合いながら けっこうぎっしりだけど 穏やかに。
それも なんだか 笑っちゃうくらい 幸せな風景だった。

でも 中学校時代の大親友Tさんが 読経の開始に遅れた。
いかにも母さんの友達らしい明るくておっちょこちょいな姐さん。
どうしたものかと気を揉んで待ったが 読経が始まって5分経った頃に到着された。
後で聞いたら 案内状を完全に読み間違えていたらしく しきりに謝ってたんだけど そのあたり めちゃくちゃ可愛いひとっぷりを披露してくれたのが なんとも嬉しかった。

食事の料亭へは車の分乗とタクシー2台で向かった。
前日に父が「どうやって配車したらいいか 考えたら頭が追っつかない わかんない」と言っていたので 表を手書きして誰がどの車に乗せてもらうか 決めた。
母の一周忌のことをひとりであれこれ考え過ぎてパンパンになったアタマはなんどもショートしてブレーカーも落ちたのだろう そういった簡単な計算ができない父が また 愛おしかった。

みんなとの食事は段取り通りに進み 想像以上のゴチソウにみな満足してくれた。
母さんの写真の前には「かげ膳」も据えてもらった。
母さんはみんなと一緒に 酒を呑み 食事をしたのだ。

食事がすんでも みんな あれこれお喋りが続いて
それもなんだかとても誇らしい風景だった。

残った親族数名で 実家に戻った。
お供えをみんなで「わけわけ」した。
父の生まれ育った集落での習わしを 子も孫も 継がせてもらった。
みな いろとりどりの菓子をわけあっていった。

お供えの「わけわけ」
それは 幸せの 愛の 母さんの愛の おすそわけだ。

これまた とてもいい風景だった。

大仕事を終えた父は 呆けたようになっている。
そんな父が また 愛おしい と 思えるのも
この一年の おかげなんだなぁと 強く確信ができた。

滅多に会わない親戚が集う。
滅多に会わない仲間と再会する。
人は死んでも なお そうやって 生きている人たちの関係をつなぎ続けてくれる。

ありがたいと思う。
ほんとうに。
ありがとう 母さん。
ありがとう 今日 一緒に過ごしてくれたみなさん。

そうやって 僕らは 今日も 生きているんだな。

・・・・・


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