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刻まない時間

「経過」する庭

ああ、完全に秋ですねー。
早朝に庭で古い株を抜きながら心地よい風にあたってきました。
季節はめぐるーー。

私の仕事は結構時間割で、何曜日の何時に誰がきて、きっちり何分で終了して、っていう感じです。それも30分とか40分1時間とまちまちで、一人ひとり違う人が来るわけです。わりと細切れ感があります。
だから、庭に佇んでじわっと変わっていく季節を感じることがとてもいい気がします。庭は季節を刻むのではなくて、経過していく。

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それを感じたい、という思いがどこかにあるのでしょうね、一年草で季節が終わると抜いて、別の植物を植える、というのがどうも性に合わないらしくて、多年草の庭です。
といいながら、まあ、私がズボラなのも大きいです。

「経過」する小節線

以前、「音楽を描く」のワークに参加されたある方が、
「小節線って、せっかく流れるものを切ってしまうみたいで邪魔。」とおっしゃっていたのをふっと思い出しました。
そうか、小節線を「刻む」ものだと認識されていたのね。経過としてではなくて。
そりゃ、邪魔に思うのも無理はない。そして、ここで躓く人って多いと感じています。
小節線の意味を伝えるのは難しいけど、やりがいがある仕事だなって思います。

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刻まない時間、刻まない庭・・・音楽は?

さて、庭のほうですが、もう一度風や雨水や根っこの張りなどを計算にいれて、少しづつレイアウトを変更しながら、野菜も混在した土を耕さない庭、という方法にシフトしていこうと思っています。

というのが、すっかり野菜愛に目覚めてしまった・・・

4月から東京へいくこともままならなくなったので、毎年植えっぱなしでろくに収穫できなかった野菜にほんの少し心と手をかけることができたおかげで、毎日切らすことなく庭の野菜をあじわうことができたことがなんとも豊かに思ったからです。
うちの庭はもともと「無農薬で薔薇をそだてる」というのにかぶれていたから、農薬はほど使っていないし、土壌菌を育てるんだといろいろ実験してきてて、というのが功を奏したのか、以外にも、むっちゃおいしい野菜が作れる庭になっていました。

これを継続したい、というおもいがふつふつ湧いてきているのであります。
それでいろいろ検索しているうちに、雑草も戦略的に使いながら耕さないという方法、もちろん、昔から知ってはいたけれども、今年に限って、なにかストンと身体的に腑に落ちた、というところ。いろんな筋道から理屈がちゃんと見えた、というか。

だから、さらに刻まない時間を庭に再現できたらいいなあと。

本来時間に刻みなんてものはない。
音楽はどう?
深い深い問いを問いていくのに 庭はどこまでも私の実験室です。

2020/9/19 10:30

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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!