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tacica mini album「YUGE」全曲レビュー   〜tacicaの遊戯を楽しむ〜



はじめに

 2017年に発売された「新しい森」以来となるミニアルバム。あの時とは販売方法が違い、今回はライブ会場限定で先行に販売された後は通販のみの扱いとなる。

つまり、タワレコなどのCDショップへ赴いても販売していないのである。
 配信についてはワンマンツアー物云わぬ物怪の終了翌日より各種サイトにてスタートした。


 先に感想を簡単に書いておくと、

   tacicaの音楽は裏切らない


ということだ。求める曲をくれる。だからといって保守的というわけではない。常に進化と変化をしていて、そのとき毎の“良い音"を聴かせてくれる。それが今回のミニアルバムにも表れている。

 前置きが長くなってしまったが、ここから本題のレビュー。

1.ディスコード

 "未完成こそが完成なのかもしれない"

 再生ボタンを押すと、直後にドン! と大きな音がやってくる。吸って吐いて……と猪狩さんの力強くも心地よい声から始まり、ギターの特徴的なサウンドが耳に残る。しかし、猪狩さん曰くベースを聴いて欲しいとのこと。(小西ってやっぱり頭おかしいなと思って欲しいと冗談まじりに語っていた)

 この曲を初めて聴いたのは3月に行われた弾き語りワンマンライブだった。そのときに初披露され、その後の弾き語りでも何度か演奏されていた。

 歌詞のことで言うと、心臓、赤い血といったtacicaを聴いている方ならお馴染みのフレーズが出てくる。“生きること"というのはtacicaの大きなテーマである。この作品においてはそれが全面に出ている。

吸って吐いて 生き返る
心臓が先か 脳が先か

というフレーズから始まる。鶏が先か、卵が先かのようなココロとカラダの関係性。

風景をダッシュして 払い除ける結晶が
懸命に奪取して 生きていくのは大変さ

銃声にひれ伏して 涙する映像が
心臓に棲みついて 生きていたいと思うのだ

 ダッシュと奪取。同音異義語の言葉が心地よいフレーズを作る。必死になって何かを奪い取るように生きていくのは大変だ。
2番ではブックレットに載っている曲のイメージイラストの“銃"という言葉が出てくる。ギターソロが続いた後にドラムが入ってくるのだが、そのメロディはまさに銃声が飛び交っているかのように思わせる。
戦争という言葉をここ数年で聞くとは思わなかったけれど、否が応でも最近毎日のように聞こえてくる。あの映像がもたらすものから目を背けてはいけない。

ディスコードを止めないで いつからか大人になったの 
ディスコードを使い古して 永遠なんて望まないなら

 サビ。
 不協和音、不一致、騒音といった意味合いのディスコード。また、音楽用語にはコードの響きを阻害する、指定されたコードから逸脱するという意味を持っている。それを止めないでと歌い、次に大人になったのと続く。
 決められた理論通りに音楽を鳴らすこと。でもそれによって縛られてしまって、見落としてしまう何かがあるのかもしれない。子供のように何も考えず、無邪気にただ楽しむことだって時には必要なことなのかもしれない。

順調だった赤い血は 
今日一つ落としてしまいました 
ただ栄養が足りなかっただけ

 そんななか順調に進んでいても、ある日急に終わってしまう。それこそ戦争に巻き込まれてしまったり……。そんな不条理さを生々しく歌う。

ディスコードも使い果たした頃 
本当の名前を呼んで
一生分の名前を呼んで
ディスコードを思い出して
完成なんて望まないから

 不要なものと見捨てられ、忘れ去られたその本当の名前を思いだす。完成なんて望まない、つまり未完成のまま。これは彼らの今後の活動の意気込みのようにも聞こえる。
 無駄だと思っていたことが実は必要なことなのかもしれない。もしくは“無駄だ"と思えるということを知ることが出来たという経験から得る何かがあるのかもしれない。

2.金糸雀 

 “暗闇の中、松明の微かな光を頼りに未来へ向かって歩き出す"


 4月5日の結成記念日に合わせて配信リリースされており、MVも制作されている。また、この曲を伴ったツアーも開催されていた。この金糸雀から2023年のtacicaはスタートしたといっても過言ではない。
猪狩さんも
「この曲が後に出てくる曲たちを引っ張っていく存在」
と語っており、まさにそうなった曲。

 このアルバムの中では、ライブで演奏されたときに思わず自然と身体を揺らしてしまうようなノリの良いアッパーソングになっている。

 また、久しぶりの動物タイトル曲。tacicaというバンドにおいて動物タイトル曲は珍しくない。なんせ、動物曲縛りでライブを出来てしまう程なのだ。それくらいtacicaと動物の関わり(?)は深い。が、実は動物の名が入っているタイトルというと2021年発売のベストアルバム「dear,deer」の収録の“dear,deer"以来となる。鳥の名を冠する曲となると2015年発売の「LOCUS」収録の“烏兎"ぶり。

暗い 蚊の鳴くような声が合図だ
 
暗がりの中でアナタの名前を呼ぶのは 誰?

命の松明を目印にして 
 
来る日も松明を目印にして

 暗さの中で松明が照らす光を頼りに進む。MVではトンネルの中で演奏をしていてその暗闇の中に光が差し込むような演出となっている。

カナリヤ
綺麗に上手に鳴けもしない日
それだって僕には宝物だ

 金糸雀は美しい鳴き声で有名な鳥だ。そんな金糸雀が鳴くことが出来ないときだって、宝物のようだと歌っている。

 炭鉱のカナリアという言葉がある。炭鉱で有毒ガスが発生した際に、人よりも先にカナリアが鳴き止むことから、その昔カナリアを籠に入れて炭鉱労働を行っていたという。転じて、まだ起きていない危険を察知する人や状況のことを指す。
カナリアというある種の道標を頼りにリスキーなことへ挑む。生きることもきっと同じだ。危険やリスクを察知しながら探り探りで日々を過ごす。きっとその先に光があると信じながら。

わたしの 
思いのままに鳴ける世界に
一つの光も見当たらない

 2番のサビでは金糸雀ではなく、“わたし"となっている。思うがままに出来る世界で光はない。中々に重たい歌詞だ。そしてこう続けられる。

サカサマであっても
イカサマであっても
その度 ほら未来の話をしよう

 たとえ狡いこと、真反対のこと。自分を曲げてでも未来をみることが必要なときもある。
思い通りにはいかないことだって時にはあるけど未来へ向こうとする。前向きともとれるし、何かを諦めるというネガティブな印象もある。
この現実のもどかしさのようなものを表現してくれるのがtacicaというバンドだ。

カラカラになったら 
又 僕を呼んでよ
そうしたら ほら未来へ抱き上げよう
高い 高い

 最後はほんの一筋の光がある詞で締め括られている。僕という言葉がここでは使われている。
これはtacicaと捉えてもいいだろう。tacicaは未来を見せてくれる。ツアー最終日には次のツアーの予定だったり、アルバムだったり、予告をしてくれる。まだまだ続けていきます、という意気込みはファンにとってそれ以上の嬉しいものはない。

3.荒野を行く

 “誰もそれぞれの物差しを持って、荒野にも似た日常を生きる"

 tacicaの曲はどうしてこんなに美しく、確実にピンポイントに胸というか、心の奥を貫くのが上手いのだろうと改めて思わされた曲。
猪狩さん曰く、自分応援ソングということで聴いてくれる人にもそうなればいいと語っていた。

悲しい事があったらさ
ちゃんと泣ける様に出来てるはず
彼は今日の終わりに
そう呟いて溜め息を吐く

 前奏なしで歌声も相まって悲壮感の漂う歌詞から始まる。ため息を吐いて俯いている男性の姿が想像できる。

足りない物があってもさ
足していける様に出来てるはず
それを何度も魔法みたいに呟いて
躓いて 擦りむいて流れる赤い血の温度 
確かめてみる

 続く歌詞も嘆くような、自らを奮い立たせるようだ。挫折して苦渋をなめるときもある。自分だけが劣っていると考えてしまうときもある。
 魔法という歌詞は近年度々出てくるようになっている気がする。現実ではあり得ないこと、叶わないと分かっているけど縋りついてしまうこと。そうやって現実逃避しながらも自分のことを再確認する。

ほんの少しの涙を糧に生きる者達の日々はここにある

 「糧」とは生活における活力の源泉という意味を持っている。
 悲しみ、苦しさから迫り上がるほんの少しの涙。もしくは嬉しさから湧き上がる少しの、ほんの少しの涙。
一喜一憂をすることこそが活力となり、生きていく私たち。そんな私たちの日常を讃えてくれるようだ。

我等 思い思いの物差しで測る大都会
 
僕はここにいる

 2番のサビ。個人がそれぞれの考えを持っている。そんな個人が集まって集団社会をつくる。そんな“大都会"の集団の中で個々人は尺度、物差しを測りながら自己を持って生きている。
 
 余談だが、最近読んだ小説に
「他人と比べることから不幸は始まる」という文があった。幸せはきっと1人でも見つけられるときもあるだろうが、不幸は誰かがいてこそ起こるものだと思う。でもだからといって自分1人だけで生きていくのは難しい。

雨上がり虹色の上で踊り疲れても
明日からも僕なのさ 思い知らせて 眠れるまで

 思い・知らせて・眠れるまでとスタッカートに歌われる力強い歌声。その後の何かが鳴いたようなギター音が響き、ドラムも迫り上がってくる。
 歌詞の方で言うと、虹がかかるというほんの一瞬で喜びを感じてもまた明日からはいつも通りの日々が訪れる。それでもこの一瞬、一瞬を楽しもうとする。

僕の意味を全部飲み干した後は 
真っ赤な夕焼けをゆらりゆられて歩く事だって

 ラスサビ。
"後は"の部分からドラムが駆け上がってくる。歩く人の背中を押すように。
夕焼け時に歩く、つまり今日が終わりを告げてまた明日を迎える。自分を理解してこの日常を生きること。

足りないものがあってもさ 
生きていけるようにできてるはず
誰も今日の終わりにそう呟いて
荒野を行く

 締めの歌詞。
 初めに足りないものがあっても足していけるようにと呟いていた者。でも、それはきっと誰しも皆同じで、何かが欠けていたり、うまくいかなかったり、違っていたり……。そんな足りないものだらけの不完全な人たちは、それでも自らを鼓舞し、今日も「荒野」という日常を歩いていく。そんな彼らの日常が始まり、彼らの背を見送るように演奏がピタリと止んで、次の曲へスムーズに移っていく。

4.遊戯

 “心に任せて自由に。まるで森をかける動物のように"

 荒野を行くからシームレスに繋がって始まるこの楽曲はtacica初となるインスト。6th album「HEAD ROOMS」収録のgo byも一応インストに近いが、あちらは猪狩さんのコーラスが入っているため、声すらも入っていないというのは今回が初めて。
 ミニアルバムのタイトルともなっている
“ゆげ"。遡れば1年前、2022年に行われた動物曲縛りのツアー「動物達の遊戯」の際にお披露目されていた曲。そのため、動物達が多く生息している場所のイメージがされている。このライブ時にはジャングルのSEが使われていたが、CDに収録されるに当たってtacicaにとって馴染み深い北海道の森の音源へと変更されたとのこと。 

 遊戯とは仏教用語で思うがまま、自由自在という意味がある。まさにその通りで生き生きとした3人の演奏が奏でられている。以前、猪狩さんが三鷹の森フェスティバルで青空の下で弾き語りを行っていたがそれと似ている気がする。
森でtacicaがライブしたら……というような生の音を堪能することができる。

5.ナニユエ

 “生きるとは何かと自問自答を繰り返す。そうして考えることこそ生きているという事"

 こちらも金糸雀同様に先に配信リリースされていた曲。ただし、先にリリースされていた楽曲とは違い前曲の遊戯からの流れのエフェクトが前奏に追加され、荒野を行くからこのナニユエまで自然な繋ぎで運んでいく。
 ビルボードライブで共演した森田くみこさんの鍵盤とコーラスが入っており、今までとは違った曲になっている。

 また、このMVにも登場しているナニユエくんは今年のtacicaを語る上で無くてはならないものになっている。 
ナニユエくんはMVの中で涙を流しているが、これは涙で自分の海をつくっているとのこと。ナニユエくんは泣きながらも自らの居場所を作っているのだ。

やらないでいられない事し続けよう 

 この歌詞は水木しげるの言葉から影響を受けているとのこと。ナニユエくんも妖怪の海坊主モチーフに作られている。
 やらないでいられないこと。自分の思うがままに自由に、というのはアルバムタイトルになっている遊戯の意味に近い。誰がどう思うとかではなく、自分がどう思うか。自分のやりたいことは何か。 
 この歌詞の前に一拍音が止み、そこからドラムが入ってくる。何かが迫ってくるような雰囲気を醸し出す。

憧れで終われない事し続けよう

 こちらは2番の歌詞。
2023年話題になった「憧れるのをやめましょう」というあの名台詞。憧れてしまっては超えられないという言葉。

"いつかやってみたい。あの人のようになりたい"

そうやって憧れてやらないことはきっと生きていく上で何度もあると思う。でも、それは心から思っているやりたいことだ。勝手に憧れて諦めるのではなくそういう心からやりたいことをし続けよう、と歌っている。 
 2番からは森田さんの鍵盤とコーラスが顕著になるので必聴。

盛大なフィナーレはどうせ観られない
故にどうかしそうだよ 
 
何故に生きているんだろう

 どうせ最期は見られないのに何故生きているの? と自らに問いかける。どうにかなってしまうほど頭を悩ませてしまう。 
 サビ前のギュイーンというファズの音は泣き声のように聞こえるし、サビ終わりの鍵盤の音は涙を流す音のようにも思える。

誰の涙でも傷は塞げない

 生きることを探して、苦悩して、負った傷は周りの誰かが涙を流そうと決して癒されることはない。自分の痛みは他人には分からないように。

雨風に逃げ出しそうでも
其処は彼となく 何の其の

 苦しくて嫌なことがあって、逃げ出したくなるときもある。でも何となく、それとなく乗り越えてしまうのもまた人生。
 ここで流れる鍵盤の音に気持ちを洗われる。

誰の為の歌 途方に暮れたまま
探していたのは 僕の為の歌

 「僕」にだけの歌をずっと探していた。途方に暮れるほどずっと探し続けてきた。他の誰でもない「僕」のためのもの、「僕」の人生の答えになり得るようなものをずーっと。
 

誰の為の歌 途方に暮れて尚行こう 
キミの為に歌う 
何故に生きているんだろう
何故に生きていくんだろう

 そうして途方に暮れたとしても尚生きていこうとする「キミ」の為に歌ってあげる。
これはtacicaの主テーマであると思う。寄り添う音楽がtacicaだと私は思っている。
 ここで猪狩さんに加えて森田さんの声も入り、力強さと美しさ、繊細さ。そういったものが更に増えて、胸に響いてくる。だから最後に何故に生きていくんだろう、と何故生きているんだろう、と悩んでいた「僕」は少しだけ前を向く。

常に心配性だよ いつも吐き出しそうだよ
それにホッとしてるかも 

 不安で堪らない、何かをするのが怖い。
常に考え、吐き出しそうなくらいに考えて……。
不安に思っていても、そんな状況があるからこそ毎日を過ごせているのかもしれない。

何故に生きていたいだろう

 唐突だが、かの有名なアンパンマンの主題歌
「アンパンマンのマーチ」には今更知っているとは思うがこんな歌詞がある。

なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないままおわる そんなのはいやだ!

 "生きる理由が分からないのは嫌だ"
 "幸せが分からないのは嫌だ"

だから考えていくんだろう。生きていたいと思う理由を探す旅の途中で、やらないでいられないことを見つける。そんなことの繰り返しで日々を生きる私たちに、tacicaと森田さんがそっと寄り添ってくれる。

6.ぼくら

 “いくらやり直してもぼくらはぼくらのまま"

 今回収録されている曲の中で作られたのが一番古い曲。弾き語りで何度も演奏されており、会場限定で販売されていたカセットテープに先に収録されていた曲。アルバム「singularity」に収録されている“ダンス"もそうだったが、弾き語りで随分と長い間演奏されていた曲というのはどうしてもアレンジに煮詰まってしまうとのこと。色々試した結果、猪狩さんのギターと小西さんのベースというまさしく“ぼくら"といった具合になっている。

細胞からやり直して カラダから手を引け

 リズムを取るようにギターを軽く叩いてから、強烈な歌詞から始まる。それに反して猪狩さんのギターと声は優しい。
この言葉は繰り返してこの曲に使われており、耳に残るフレーズになっている。

ココロだけ残してやるから 
適当なキャンバスに 適当に絵を描いただけ

 ディスコードでも出てきた、カラダとココロの関係。
 心だけは残してやるから真っ白なキャンバスに何の絵でもいいから描いてみた。
つまり、自分のやりたいようにやってみた。
まさに遊戯。心の思うままに、自由に。

 そしてこの後から小西さんのベースが入ってくる。その名の通り猪狩さんのギターと歌を支えている。

また眠れない 朝から朝を耐え抜いて
命辛々行く それしか方法はない

 どんなに辛い時でもそれを耐え抜いて日々を生きていくしかない。

全然大丈夫じゃないが行こうじゃない
どうにもこうにもなんないで ぼくら

 こちらは2番のサビ。諦めと嘆き。
命辛々行くしかないと1番で諦めたように決意をして、2番でもまた諦めた決意をする。それでもやっぱりどうにももどかしい嘆きを吐く。
とても人間味の溢れる歌詞。

適当な快楽に 適当に精を出しただけ

 ここは猪狩さんというかtacicaについてのことなのだろうと勝手に思っている。以前、MCで
「バンドは楽しいからやっている。ライブをしたいし、曲を作って演奏したいから、続けてきている」と語っており、まさにそういった“遊戯"の気持ちが反映されている気がする。

 cメロで転調すると、小西さんのベースの音がより際立つ。

細胞からやり直して カラダから手を引け

 そしてこの歌詞の繰り返し。ギターとベースだけなのに色んな音像が浮かび上がってくるかのよう。
叫ぶようなあるいは吠えるような歌声が響く。
最後はアカペラで猪狩さんの熱を帯びる歌声が力強くこちらの胸を貫いてくる。

眠れない夜から今日までを耐え抜いて
どこまで ぼくらは行ける?
それしか 方法はない 途方もない
じゃあ仕様がない 仕様もない脳内で

 どこまでぼくらは行ける? とここでは疑問符を使っている。ここのぼくらはリスナーであり、tacicaを指しているものではないだろうか。
2025年には結成20周年を迎える彼等はどこまで行けるのだろうか。それを聴く我々リスナーはどこまでついていけるだろうか。

 最後はタイトルの“ぼくら"の繰り返し。どこかにいる“ぼくら"のために音色を響かせる。

 悩んで足掻く様を切り取って、等身大の多くの人たちを表現するこの歌は、いわゆる一般的な応援ソングではないと思う。それでも不思議と曲を聴き終えた後には何故だか前を見ている。
自分だけが理不尽だと思ったり、辛い、苦しいと思うようなことはある。でも、それを感じる人は他にもいると考えると、少しだけ肩の荷が下りたり、体が軽くなることもあったりする。
 そんなぼくらは仕様もない脳内でもって、途方もない旅を日々耐え抜いている。

おわりに

 「遊戯ゆげ」とは心のままに、自由自在に振る舞うことだ。思うがまま音楽が好きで演奏する彼らの現時点の良い音が詰めこまれたミニアルバムとなっている。
 また、曲も然ることながらこだわりのジャケットとブックレット。そこに詰め込まれたtacicaの熱量からくる「湯気」との意味もあるのではないかと妄想している。

 tacicaの歌詞は難解だと思っている方もいらっしゃるだろう。しかしここ数年は、昔よりも大分マイルドになって分かることも増えてきたと思う。
これに猪狩さんは「意図的にやっている訳ではなくて、自然と変わっていった」と語っており、猪狩さんの中でも変化があったようだ。
なので、初見の方はもちろん、以前、難しくて意味不明となってしまった方でも今回は聴きやすいミニアルバムになっているのではないかと思う。

 "遊戯"の精神で思うがままに聴いて欲しい。


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