「飯田屋」の哲学でパフォーマンスと道具の関係を再考する

「料理道具専門の飯田屋」
という老舗があるらしい。
https://kappa-iida.com

なるほど、浅草はかっぱ橋でがんばる老舗さんのようです。HPを拝見すれば、そのこだわりの姿勢、顧客への思い、道具への愛情、がひしひしと伝わってきます。

私がこのお店を知ったのはラジオでした。
東京の立ち食いそばを食らっていた時にたまたま流れていた番組で、この飯田屋のご主人が、鉄鍋を選ぶときのポイントを熱く語っておられたのです。

中でも私の心に残ったのがこんなポイント。

 ・道具は身体になじみ、生涯かけて使うもの
 ・ちょっとした違い(個体差)は、触ってみないとわからない
 ・確かに高額だけど、一生使う物と考えると高くない

どれも納得の理由である。
人間は必ず食事をする。その食事をつくる人にとって、鉄鍋や包丁などの道具は肝になるはず。道具がぴしっと身体にきまって料理をしてくれれば、道具を通して食材に熱だけじゃなく愛情まで伝わっていくような気さえする。

かくいう私も仕事道具にはこだわってきた。
文房具はいろんなものを使い倒すし、身体になじんだものは常に持ち歩く。
なかでも「手帳のYpad、rotringのシャーペン、STABILOのカラーペン、TOMBOWの色鉛筆」
など、愛用クラスのものは、有ると仕事がはかどる、を通り越して、ないと仕事がおぼつかなくなるレベルかもしれない。
実際、身体になじむと、字がきれいになるとか、疲れにくいとか、そういう実利に加え、道具が自分の思考のトリガーになっているのがわかってくる。
なんとなくシャーペンをくるくる触りながら次のアイデアを練ってたり、Ypadをぺらぺらめくりながら立ち上がるひらめきを拾いあげることが出来たりするのだ。

仕事だけじゃない。
長年やっていたテニスを思い出してもその感覚がわかる。
愛用のラケットは手の一部のようになり、ラケットのどこにどんな角度でどんな風に接触したかを常にはかりつつボールをコントロール出来るようになる。この微妙な感覚は、道具が変わると得られなくなり、パフォーマンスにも影響する。
道具の存在は大きい。
仕事の品質は道具次第なのだ。

きっと飯田屋のご主人も、道具に対する哲学はそうとうの熱量をお持ちのはず。だからこそ、イニシャルで「高価だ」とおもわず反応してしまう消費者の感情を納得させるための哲学を、情熱とともに伝えようとしておられるように見えました。
またこれって、本質的にすばらしいもの、高品質な物、一般的には高価でも価値のあるサービス、を販売する方々にとっては同じだと思うのですね。とても学ぶべきものの多かった、立ち食いそばの時間でした。

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