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落ちていく 落としていく

空高くから、地面に向かっておちていく。
今、そのちょうど真ん中、空中にいる。

よくこういうとき「真っ逆さま」という表現を使うが、今はそうではない。足は下を向いていて、直立不動のまま落ちている。不意を突かれたからいい体勢で落ちることができなかった。最後の最後に不甲斐ない。

芸能人が海外のバンジーをやるバラエティを見たことがある。海外ゆえに安全性が万全ではなくて、あまりの恐怖に失神してしまう芸人を見て、どんなにメンタルが強くても死は怖いのだと思った。が、今こうして息をして、自分でも信じられないくらいに冷静にものごとを考えられているのを思うと、かなりの強心臓だったことに気付かされる。もっと自分のメンタルを活かせることができたかもしれない。最後の最後まで後悔をしている。


いや、思えば一番後悔すべきはあのときだった。

来年夏に開業予定の「マリンタワー770」。その作業員に選ばれることになったのは昨年の春のこと。国内で最も高い建造物になるとのことだから、国を挙げての一大イベントの扱いになっていて、作業員になるにも厳しい審査が入る。筆記と実技とひととおり終えて、自分は大してやる気もなかったと言えばなかったのだが、得意分野が当たって審査を突破した。

ゼネコンに入社したと告げたとき、女で一つで育ててくれた母親はひどく喜んでいたが、度重なる精神的・肉体的苦痛に痩せこけていく自分を見て、次第に表情が崩れていった。そんな母も、マリンタワーの建設に携われることを告げたときには涙を流して喜んでくれた。ようやく報われたねと私の胸に顔を埋めて涙を拭く母の顔が、自分にはなぜだか直視できなかった。

1日かけて重めの研修を受けて、作業に取り掛かる。初めは現場監督役が微笑み顔を崩さない聖人だったのでやりやすいと思った。有能で人のいい人材が集まっているんだろうと邪推した。が当然そんなはずはなく、半年くらい経ったところでコワモテのレスラーみたいな男に変わった。怒鳴り散らかすし態度は悪いしで居心地もクソもあったものではない。仕事ができるのがまた腹が立つ。ああいう人間はどうしてこの令和の時代にもいなくならないのかと思う。

770mまで大枠を作りきり、今日からは外壁の塗装に取り掛かっていた。鉄骨を渡って広い範囲の壁にスプレーを噴霧していく。移動が多く、慣れてきた自分には命綱も煩わしくなってきた。1日かけて熱心に説明された「安全第一」を怠っていたことが、悔やんでも悔やみきれない。
人生とは残酷なもので、こういうときに限って強風が襲ってくる。咄嗟に身を守ろうと鉄骨を掴むと、組み立てが甘くその骨もろとも外れてビルの外に投げ出された。それに気づいた同僚があっだとかえっだとか何かしらの感動詞を口にしているのが聞こえた。不思議と自分では悲鳴は上げなかった。


走馬灯のようにこれまでの記憶が蘇ってくる。
遠距離中の彼女とは、今週末に町田で会うことになっていた。なんと説明をしたらいいだろうか。自分がいなくなったことを一番最初に知るのはいつ、どこになるんだろうか。すぐに連絡したいけれど、そこまでの時間がない。

連絡といえば真っ先にしないといけないのは親だ。あれほどまでに自分の全てを肯定してくれる人はいなかった。ゼネコンに入って、大きなプロジェクトの一員になれた自分が、たった一度の不注意でこうなってしまったことを詫びたい。別れの言葉が謝罪なのは辛いが、もう伝えられないので意味もない。


だいぶ地面が迫ってきた。風に流されたせいで真下が海になっている。勢いをつけて空中で回ると頭を下にした状態に直すことができた。飛び込みは小さい頃からやってきたので慣れている。最後の時くらいは綺麗に着水したい。

手を伸ばして顔の前で三角を作る。
指先に力を入れて、息を止めて。久々に思い出す。

ばん、という大きな音と共に水に沈んだ。泡が一面に広がって周りが全く見えない。息もできぬまま、意識はなくなっていた。


つづく…?


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