見出し画像

マッチングアプリ交遊録 Vol164

マッチングアプリをかれこれ3年ほど続けた。そして、かれこれ150人程の女性に会った。食事だけで終わることも、千載一遇、一夜で終わることも夜の関係が継続することもあった。とりわけ大きな出来事は、一昨年のこと。苦節2年半、漸くマッチングアプリで彼女ができた。そして、クリスマスの日に、交際約4ヶ月で別れた。文字にするとギュッとして、中身の無い出来事のように思えてしまうのは、単に筆力の無さなのかすらもわからないまま、マッチングアプリを続けている。でも3年も何かを続けるって凄くない?褒めてください。

Vol164 それでいいんじゃないすか。

かめやの天玉そばが大好きだったが、最近自分記録が塗り替えられた。

それが天玉せいろ、である。

なぜこうも、せいろの上に乗せるだけで、味わいが変わるのだろうか。

モザイクのかかったガラス窓越しにそぼ降る雨を眺めながら、今一度かめやのそばについて考えてみることにした。

そして恥ずかしいことに、僕は今までかめやがチェーン店だということに、気付いていなかった。

ここで気付いていなかった、と表現するのは、「いや、かめやってどっかでも聞いたことあるな」「ん、新橋あたりにもあったような、なかったような、 ラジバンダリのような・・・?」みたいに、夜明け前の靄のように、頭を掠めることが何度かあったからだ。だから、”知らなかった”ではなく、”気付かなかった”のである。

日曜日に出会ったAさん。朝方、二日酔いでアプリを開くと、「これから買い物終わりで飲みますが、どうですか?」
 
朝11時、池袋へと向かう足取りは重い。

ところで、夜明け前の靄のような記憶、というのは、実際に、明け方まで飲みか明かした始発電車に乗る前の朦朧とした意識で通る新橋駅の記憶という意もある。念の為。

池袋に着いた。早速変な人に話しかけられる。
「暇だから少し話さない?」と信号待ちの俺に迫るおじさん。「2、3分ならいいっすよ。」
「それは短すぎるから良いや」と去っていった。
少し歩くとそのおじさんが別のおじさんを捕まえていたようで、ホッとした。

おじさん、なんかありがとう。ウキウキ気分で、神田屋へ。メガジョッキでサワーを飲みまくっても頭は冴えなかった。

ちなみに、蛇足を本筋と捉えているため、かめやに50年の歴史があるなんてことはもはや蛇足である。蛇足を積み重ねることで、僕の文章は本筋を常に見失う。やれやれ、村上春樹です。

安くてうまい肴をつまみながら、飲んでいたら、二人してまあ酔った。

蛇足だが、かめやは新宿、神田(東口、西口)、銀座、御徒町などに店舗があるらしい。どこがどう違うのか、なんてことは蛇足すぎるため、ここでは言及しないが、これだけは言わせてください。新宿店が一番うまいです。(新宿店以外の店舗童貞)
思い出横丁の雰囲気込みで圧倒的にうまい。特に、土曜日の朝方に食うのがうまい。 朝の歌舞伎町を夜の残骸を踏みつけながら闊歩すると、エモいえぬ、気持ちになる。もしかして、俺は、この道を行ったり来たり、しているだけではないか?なんならちょっと鬱っぽくなってきたりして、足取りは重い。駅を隔てて、東から西へ、辿り着く頃には、疲れ果てて、何もかもどうてもよくなっていた。

流れのまま、彼女の家へ。その後の細かいことは割愛。ガッツリ胸と背中にタトゥー入ってて、これはイマドキのやつ?ガチのやつ?とうろたえたことだけは、書いときます。

「はい、いらっしゃい。」「天玉せいろで。」

天ぷらは、ざるのそばの上に乗っている。三等分くらいに切られていて、職人さんの親切さに、

郷里を思い出して、うるっときてしまう。郷里から描く未来は、“人殺すか”、“ラッパーになるか”しか選択肢がなかった。

「俺はどっちにもならねえ!」

「だからこの街を出てくんだ!」

と言い捨てて出てきた。実家の母は元気にしてるかな、なんてことを思いながら、涙で薄まったつゆに蕎麦をひたす。

蕎麦を半分くらい食べたところで、天ぷらをつゆに浸して、温泉たまごを割りたい。温泉たまごを割る時、神聖な気持ちになって、初体験を思い出した。そんな清々しい、汚れを知らない過去の自分を捨て去るように、蕎麦を貪る。

蕎麦湯を飲み干して、また、頑張ろう。
さて、ラップでもやってみようかな。
と、店を後にする。

何かと何かがぶつかり合って、錯綜した後に、生まれる何かがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?