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【映画感想】『マンチェスター・バイ・ザシー』静かな動作で人間の心模様を描いた海辺物語

傷ついた、漁師と甥っ子の心の交感を描く美しき港町映画

 アメリカの海沿いの町を舞台に、傷ついた者たちの心の彷徨いを、静かに、そして極上の映像美を添えて描く人間ドラマ『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の感想と、もしかしたら気付かない方もいるかもしれない、映画の本当のラストシーンについて書きました。
 と、最初に綴りながら、実はあまりちゃんと観る気なく再生を始めました。その日は寝るには目が冴え、本を読むにはもう疲れていたので布団に脚を伸ばし、途中で寝てしまったらそれはそれでよしとして観始めた映画です。しかも、Amazon primeにはなぜか英語版だけが追加料金なしであり、字幕版は追加料金がかかる。なのでほとんど理解できない英語で観始めました。すると、眠たくなるどころか最初の数カットのあまりに美しい漁港のシーンに目がどんどん開いていくのでした。結果、字幕版を購入し数回視聴することになります。個人的には映像や演技が細やかなので初回は英語のみ、字幕なしで見るのがおすすめです。感情の部分の方はその方がより伝わるかも知れません。
*この先ネタバレします。未視聴の方はご注意ください。

オープニングの美しさについて


 画面の三分の一を海が占め、上方を寒空に挟まれながら入り組んだ湾に可愛らしい家やボートが見えます。その過度に主張せず自然と調和された美しさの中、画面は水面を進んでいきます。ブイや岬に立つ古い赤茶けた建物、その先に見える小さな島。(見返していたらそこだけでなぜかしんみりしてくる)そしてタイトル『MANCHESTER BY THE SEA』の文字に続き、色鮮やかなブイを背負った小ぶりな漁船とともに流れる音楽。船上では主人公と子供が何かを話している。
 もうここだけ観ればこの映画の質の高さが分かります。子役が大人から逃れようとフェイントを入れる演技まで含め、ずば抜けたオープニングです。

あらすじ


 船のオープニングシーンに続き登場するのは雪かきをする主人公です。あれ?漁師ではなかったのか、と思うのですが説明はされません。彼は高級マンションの委託便利屋さんとして、雪かきから配管の詰まり除去、電球交換、ゴミ捨てなど雑用をこなし暮らしているようなのです。
 ところが一本の電話がきっかけとなり、彼には兄がいて、重い病を患っていること、兄が船長なこと、オープニングのシーンからは時間が大分経過していることなどが分かってきます。
 主人公は何か理由があって現在は別の街で暮らしているのですが、この映画はその理由に向かって逆戻りするスタイルで描かれます。その理由は、彼に降りかかったある不幸なのですがそれが彼を苦しめます。そして、そのために心が壊れてしまった彼は、暴力か或いは人を拒絶する二択での生活しか送ることのできない身体(魂)になってしまいました。
 そんなおり、重病の兄が亡くなってしまいます。その為に彼の息子を面倒見ることになるのですが、この息子も大人と子供の境にいて、人生初の父を亡くすという巨大な痛みにどうして良いか分からずにいます。しかし日々は流れていき、世界は二人にさまざまな決断を迫らせます。
 既に、深すぎて埋め尽くせないほどの傷を抱えた主人公と、新たに未知なる傷を負いながら日に日に大人へと進まされていく兄の息子。この二人がともに生活しながら互いの傷や居場所を確認していく映画です。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の素晴らしいところ

写真はいずれも三浦海岸です。


 この映画のうまさは、画面と演技の静かさにあると思います。寂しさを描く時、ハリウッド映画は往々にして暑苦しく描きがちですが、この映画は寂しさや苦しみからくる心の移ろいを丁寧に細かく描きます。繊細で静かな演技。大袈裟ではないからこそ、演技のきめ細かい部分で悲しみが深く深く突き上げてくる。説明も最小にとどめています。一方で随所に静かな笑いも仕込んでいるところがにくい。クスッと笑わせるシーンがいくつもあります。

 映像の美しさは最初にも書きましたが、他の、一見当たり障りの無いようなシーンでも色のバランスだとか、物の配置や見せ方などカメラの画作りに余念がありません。美しい壮大な景色やヨーロッパの歴史ある装飾美だとかにはない、日常の平凡な日々に垣間見せられる均整の美があります。

出演者、製作陣営の素晴らしさ


 役者さんが見事な演技でこの映画を支えたのはいうまでもありません。みんな上手です。主人公のケイシー・アフレック(ベン・アフレックの実弟です)、兄役のカイル・チャンドラーも、兄の息子ルーカス・へジズも、C・J・ウィルソン演じる友人もミッシェル・ウィリアムズも、みんな演技が上手い。そして細かい。その上で監督ケネス・ロナーガンの演出が素晴らしく響きます。
 どうやってその表現へ導かれたのか感心する他ない演出。といっても「はい、ここで花火がドカンと上がって、」というような派手なことではありません。本当に本当に細かな一瞬の小さなシーン、アイテムに、とてつもなく大きな心境の変化を持たせています。その間違いのないピタッとした完璧な配置よ。プロデューサーの一人クリス・ムーアは『グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち』をベン・アフレックやマット・デイモンとともに制作した方なのだとか。

 ともかく素晴らしい劇映画です。
この先は超ネタバレ、というかモロバレします。観た人にだけ読んでもらいたいです。

たまらないシーン4選(超絶ネタバレ)




1:兄の葬儀の帰りに主人公と兄の息子が二人きりで歩きます。その時に息子がアイスを買いたいと言います。子供の仕草です。喪服でアイスキャンディーを食べる人などいないのです世間では。「いいよ」といって小さなショップにより息子だけアイスを食べながら進むシーン

2:冒頭にも書きましたが、兄の息子がまだ幼かった頃、ボートの上で説教くさい話を始めた主人公から逃げようとするシーンがあります。その時に子役がフェイントをかけるんですよ。この無邪気さの表れがとても素晴らしいし、演技としても完璧でした。というか演技ではなくて子供が勝手にそうしたのでは?と思うような自然な動き。二回目、三回目を観るときにはもうこのシーンだけで沢山のことを思い出し、感動してしまいます。

3:終盤、兄の息子が一人で墓地の外を歩いているシーンがあります。道端で枝切れを拾い、それで墓地の柵を撫でさすりながら歩いていきます。そして柵の切れ目で墓地へ入り、枝切れを適当な土に挿そうと試みるのですがうまくいかず、簡単に諦めてポイと枝を捨てます。このシーンに身体の奥から突き上げるような寂しさが溢れ深夜に嗚咽してしまいました。
枝切れを拾って歩くというシーンには、突然訪れた状況にどうしたら良いのか分からずやり切れない少年の、子供らしい心境が現れています。しかし彼はどんなに悲しくとも、嫌でも、ここを離れ、次へ進まなければならないと分かり、青年へ、大人へと進んでいます。その揺れる心境を、枝と柵とポイ捨てによって現そうなどと誰が想像できるのだろう。信じられない演出です。

4:同じく終盤で、主人公と兄の息子が二人でボールを投げ合いながら坂道を登っていくシーン。
キャッチボールじゃないんです。相手の胸元に直球で投げ合うキャッチボールじゃないんです。背中越しなど、適当に球を投げて地面でバウンドさせる。それでいて相手の方角へは一応は投げる、極めて屈折したキャッチボールなんです。彼らの一筋縄にはいかない意思の疎通や感情の交換がこのシーンに全て詰まっています。
 決して、決して、キャッチボールしたくない訳じゃない。でもできないんだ、真っ直ぐ投げ合うのは。跳ね返ったり転がったりしながら、それでも二人の間でボールはやりとりされます。まさにこの映画の縮図ではないでしょうか。しかもそのボールは、兄の息子が子供っぽくねだったアイスキャンディの売店に落ちていた球なのです。枝を拾う子供、ボールを拾う大人、意思の交換と感情の起伏。全てがここで合体します。

最後に
 映画が画面としては終了し、エンドロールと音声だけになります。しかしまだ本当には映画は終わっていません。続いているのです。音を大きくしてみる必要があるかもしれません。或いはヘッドフォーンが必要かもしれません。波音が聞こえます。でもそれだけではありません。微かに足音のような響き、カモメの鳴き声にまぎれ、何かを引きずる音が微かに聞こえます。それからぽちゃんと海に物を投げ入れたような音。
 つまりです。漁の準備か片付けをしている音が最後の最後にわずかばかり入っています。誰だかは分からない、ひとりで漁は行えるのでしょうか。でも誰かが船の上を歩き漁をしている。その音がこの映画の最後です。


fine/ 休憩室 N


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