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【Share the smoke】 作品解説というにはあまりにも長ったらしい独り言。

私は めちゃくちゃタバコが好きだ。
タバコという存在が好きだ。


このご時世に、こんな事は言って得することがひとつも無い。百害あって一利なし。
出来ればしれっと隠しておきたい。

実際身内には隠しているため、絶対にこの文を読まれたくない。

しかし この作品が頭の中に生まれたのが
池袋の喫茶店の喫煙所で換気扇に吸い込まれるタバコの煙を眺めていた時なのだから 白状しなければ語り始めることが出来ないのだ。

その時私は、喫煙所の天井の換気扇に タバコから絶え間なく立ち上るケムリと 私が吐き出したケムリが吸い込まれていく様子を眺めていた。

煙というのは不思議な動き方をする。
実体が無く、ゆらゆらと所在なさげに漂う癖に 勝手に霧散する様なことはしない。

上に昇ること、風の流れに沿って進むこと、吸い込まれればそこに向かって収束すること。

いくつかのルールに沿って、
この世の道理に沿って、
ゆらゆらと漂う。

濃く寄り集まっている間は「ケムリ」として認識され、薄まれば人の目からは見えなくなる。
しかし目に見えずとも この世のどこかで、分子や原子として漂い続けているはずで。

それでは私が吸った息はどこからきたものだろうか。
誰かの吐いた息であったり、どこかから流れ着いたケムリかもしれない。

私の吐いた息や、私が漂わせたケムリはどこにいくだろうか。

それは誰かの呼吸になるかもしれない。

ところで私は 副流煙も好きだ。
身体に悪いということは分かっているが、あの匂いや漂うケムリを再び吸い込む瞬間がなぜだか なんだか好きなのだ。

しかし 多くの人は副流煙を嫌っている。

副流煙は身体に悪い。
副流煙はタバコの匂いがする。

しかもそれが、望まずにただ近くに居ただけの人の身体に付いたり、呼吸に紛れ込んだりする。

ただそこを歩いただけ ただそこに居ただけで
自分は何もしていないのに影響を受ける

わけだから、敬遠されるのはやむを得ない。

しかし私に至っては、通りすがりにその煙を吸うと 身体に悪いとは知りながら 
ちょっと嬉しくなって お裾分けを貰ったような感謝の念すら少し湧く。
私が特殊な例だというのはもちろん認識はしている。

これはタバコの話だが、
世の中にはこのような現象は多くある。

自分が、自分の意見や思想や流儀なんかを 自分の外に吐き出した時

偶然通りすがった人間や、近くに居た人間が 漂ってきた それ を吸い込む。

そして 吸い込む量により、なんらかの影響を受ける。
次にその人が今度はどこかで 自分の内側のものを吐き出した時、

そこには偶然吸い込んだ 誰かが吐き出したものが わずかに混じっているだろう。

それを良いものと思うか悪いものと思うか、
害になるか 益になるか、
どのような感情を抱くかは

吸い込んだ人間次第だ。

そうして思想や意見や人間の内側の一部は、
ケムリのように人と人の間を漂い連鎖する。

いつかは 目に見えないほどに薄れて、
吸い込んだ人も気づかない 分子や原子のようになっていく。

それでもそれは確かに世界のどこかに漂い続けて、誰かにとっての良いものや 誰かにとっての悪いものになる。

本作では、煙の出処には「線香」を描いている。

それは、国や 宗教や 
宗教の1部でありながら もはや宗教だとも認識されずに人々に根付いている日常の儀礼。
思想や倫理観や明文化されない道徳的なルールであったりする。

そのようなケムリを吸い込んでは吐き出して、
ケムリに染められ ケムリを染め、
またどこかで吸い込む誰かに影響を与える。

私達は ケムリをシェアして生きている。

自分が気づいている範囲でも、気付かない範囲でも 誰かの影響を受け 誰かに影響を与える。

それが被害になることも加害になることもあれば、
素晴らしい教え になることも 仲間を表すチームバッチになることもある。

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