人類は、楽するために発展してきた
もし違ったら申し訳ないのですが、
人類って基本的に「楽して生きたい」と思ってる生き物ではないですか?
「とんでもない、苦行こそ身に余る喜び!金を払ってでもやります!押忍」と言う方がいるなら無視してください。
私は全力で楽したい!と言い切ります。
前職ではめちゃくちゃかっこいい社長と上司に囲まれてすんごいモチベーション高く充実して働いていたし、苦しくても「この人の夢を叶える!」と思えば耐えられた。
ただ心の中のリトルうずらは、「働かずに生活したい」「1人でひっそり暮らしたい」「毎日自己肯定してタァイ」と毎日叫んでた。
そして人類の「楽して生きたい」と言う欲求を紐解いてみた。
①人類誕生。生まれたもんは仕方ないのでとりあえず狩り、生きる。
②知恵がついてしまい、「楽して狩りたい」と思うようになり石器を生み出す。
③浮いた時間を使い、肉以外の食べ物や住処を作り始める
④それでも時間が浮いたので、遊び始める
⑤延々リピートして今に至る。
つまり人間は楽して生きるために発明をしてきたと思っています。
そしてその発明により楽して生活出来るようになって終わるのではなく、死ぬまでの時間娯楽に興じています。
現代で人間が「働きたくない」と言ってるのは、自分の労働の価値に対して、求める娯楽の対価がデカすぎるからなんだと思っています。
食うだけなら対して働かなくてもいいはずなんです。勝手に欲して、勝手に労働を自分に課しているだけ。
今まで私が関わってきたサービスは、人材、コンサルティング、化粧品、広告だったけど、これらは労働をダイレクトに楽にするものではなかったので、違和感があったのかもしれない。
社会で生き残ってくために数字数字と言葉巧みに客を誘惑してスッカスカのものを売り、必死になってる姿に違和感があった。
そして最近やたらとAI、IoT、ブロックチェーンとIT関連のニュースが耳に入っていたけど、そんなに関心はなかった。
でも私が生きるために必要な食品やテレビやネット環境を、これらのIT技術が叶えてくれるようになったら、それこそ娯楽のためだけに生きる日が来るかもしれない。
ニートもYouTuberも生活のことを考えなくても自分の好きな生き方を尊重していきられるようになるかもしれない。
そしてその娯楽が当たり前になったらまた生活水準が上がるって下げられなくてヒィヒィ言いながら働くことになるのかもしれないけど…
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