人はどうせ死ぬ

まず根底にある私の想いとして、
「幸せを感じて生きてほしい」
というのがあります。

人間は「慣れ」という能力を持っているので、
これは当たり前やん
こんなの普通でしょ
って勝手に思ってしまう。

貧しい国の子どもの将来の夢が
「お腹いっぱい食べること」
であるように、
もしかしたら日本人は
そんなの当たり前じゃん
って思ってるかもしれない。

でも環境で、生まれた場所で
幸せの基準が変わってしまう。

だから「期待」をしてしまう。
それで勝手に落ち込んだりストレスを感じてしまう。

幸福度ランキングでも分かるように
貧しさが必ずしも幸福に繋がるかというと
そんな事はない。

極論「自分が幸せだ」と思えば幸せなので
幸せの基準を下げられるかが大事になってくる。

ではどうすべきか。
私の考えでしかないですが
「ありがとうの精神」だと思います。

どんなに小さいことでも
誰かが一生懸命に人のために頑張ってくれたからこそ
自分がそのことを感じられると思えば
感謝の心が生まれてくると思います。

大谷翔平が
「ゴミを拾うことは運を拾うこと」
と解釈することは有名です。

私もアフリカに2年住み、
帰りに成田空港に到着した時は
あまりにも綺麗すぎて
空港の地面で寝れると思ったし、
コンビニの電球全部ついてるー!まぶしー!
とか
水がガンガン出せるー!お湯も出るー!
とか
生で卵食べれるー!くそうめー!
たくさんの当たり前を
新鮮に感じました。

これね、この経験ね、めちゃくちゃ楽しかったです。
スーパーやコンビニに1時間いたから。ホントに。
お惣菜コーナーこんなに種類あるの!
お菓子こんなレパートリーあるの!
一個一個見て想像してよだれ垂らして
あれもこれも全部ほしい
ってなってました。

改めて日本すごい、日本人に生まれてよかった
日本の皆さん、ここまで発展させていただき
ありがとうございますって心から思いました。

話それまくりましたが、要するに
「幸せの基準を下げるための考え方」
みたいなことを経験しなくとも感じられたら
かなりいいなと思います。

どうせ死ぬなら
幸せだったと思える人生でありたいです。

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