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令和6年能登半島地震 観光で訪れ被災した子連れ観光客の日記 2024年1月1日から2日

我が家は毎年年末はキャンピングトレーラーで過ごす。とはいえ雪が降る関係で、あまり遠くには行かない。が、今年は雪が少ない。大好きな能登島に行くことにした。能登島に行くためには、東京からは群馬、長野、新潟、富山、石川という道のりだ。

30日の朝自宅を出発。途中渋滞にハマりながらも18:00には能登島のねやフィッシングパークに到着。

北陸道から望む立山連峰
デリカでキャンピングトレーラーを牽引

30日はキャンプ地で夕飯を食べてすぐに就寝。

31日になり、年越しパーティーの準備で七尾市に買い物に行く。ついでに1日は能登半島を観光する予定になっていたのでガソリンを満タンにした。

お砂糖お鏡?初めて見た
能登ぶどうで作られたワインがとても美味しい
夜の宴会

0時を回り「あけましておめでとう」と家族みんなでお祝いしてすぐに就寝。朝から能登島水族館に行き、国道249号を通り能登をほぼ一周しようかと話していた。

お正月の能登島水族館

翌朝9:30には能登島水族館に到着。

能登島水族館
ジンベイザメを見たくてきた
ジンベイザメ
イルカショーも見て
水槽の中に謹賀新年
長女は福袋がお目当て

能登島水族館を11:30頃後にして、ツインブリッジ能登を渡り国道249号を通り輪島を目指す。本当はこの後県道1号で直接輪島に行く予定だったが、海沿いのドライブいいよね!となりこのルートになった。

追記:息子が大好きなジンベイザメこ1匹がろ過装置の故障、水位の低下などが原因で死亡したニュースが流れてた。とてもとても悔しい。

追記:1月10日残りの1匹も死んでしまったニュースが入った。こどもにはこのことは言えません。のとじま水族館のスタッフの皆様も被災されている中、本当にありがとうございます。

イカキング見にいこうよ

以前にコロナ補助金で製作されたと噂になった「イカの駅つくモール」のイカキングを見に行った。

ここに着いたのは13:10。

イカの駅つくモール
イカキング
イカキングの口の中に入れる
イカキングなかなかの迫力

2500万円の補助金をあてて2700万円で建設、経済効果は18億円もあったと言うからすごい。1月1日はお休みだったのでモールの中は見ていないけれど、とても良い施設だったので行く価値ありは間違いない。

イカつくモールを後にし珠洲市へ入るとすぐに、見附島があるが何度も見ているのでスルー。そのまま一度内陸に入り西側の海岸線にでる。

道の駅すず塩田村の塩

少し走ると道の駅すず塩田村が見えて来た。「ここのお塩でおにぎり作るとおいしいんだよね、塩だけ買って行こう!」

道の駅すず塩田村
塩釜でピースする息子
普通の塩と塩田村の塩味比べ

お正月三が日は営業時間が15:00まで。私たちが塩田村に着いたのは14:50ギリギリ塩を買ってさっと車に乗り込んだ。

垂水の滝で自然を感じる

塩田村から輪島方面に車で10分程度のところにある垂水の滝を見に立ち寄った。ここは荒々しい崖と海と滝という、なかなか見ることのできない自然のパワー体感できる場所なのでこどもたちにも見せたい。

垂水の滝

駐車場やトイレもあるから立ち寄りやすい。

「さあ、輪島に向かおう。初詣と足湯だね!」

なんて話を弾ませながら進むと、道の駅千枚田ポケットパークがあることに気づく。妻が「千枚田ってライトアップしているらしいよ!みたいねー」と言った。少し気になったけど、稲も何にも無い田んぼ見てもしょうがないと思った私は、千枚田ポケットパークに立ち寄らず輪島方面に車を走らせた。

このときもし千枚田ポケットパークで日没を待っていたらここで被災し孤立していた。

重蔵神社で初詣

16:00ころ輪島市に入るとこの日は朝イチもお休みの日で、街は閑散としていた。朝一駐車場に停めて歩いて神社に行こうと考えていたが、あまりに観光客がいないので車で神社まで行ってみることにした。

無事初詣を済ませ、近くの足湯へ。なぜかこの重蔵神社での写真が一枚もない。SNSやnoteをやっている私としては考えられない。

足湯で被災する

足湯に浸かっている動画の撮影時間は、16:04だった。足湯に浸かりながら緊急地震速報と共に最初の地震(16:06 震度5強)が来た。足湯の建屋比較的新しく神社のような作りなので震度5くらいならそれほど危機感を感じなかった。しかし直感的に不安がよぎったのですぐに隣の広場へ出た。そこで大きな被害をもたらした2回目の地震が発生(16:10 最大震度7)

このとき私は、1歳11ヶ月の息子を抱っこしていて、揺れが強く身を伏せようと思って伏せたが、伏せている姿勢が保てず地面を転がってしまった。転がりながら周りを見渡すと、古い街並みを形成する建物がガラガラとつぶれていくのが見えた。周りでは悲鳴や中の人の名前を呼ぶ声に混じり「あんたら観光客だろ、津波だ!高台ににげろ!⚪︎⚪︎︎山が良い」とだれかが私たちに伝えてくれた。山の名前は聞き取れなかった。

それを聴き、妻は歩いて行こうと言ったが、土地勘がないからどこが高台だかわからない。私はとっさに、近くに止めた車を見にいくと車は奇跡的に無傷。「車で行こう!ナビで高台がわかる!」と叫び、家族を乗せて走り出した。

最初ば輪島の街を抜けて帰り道でもある県道1号に向かったか、道路上に建物が崩れ通れない。そこで逆に走り、輪島バイパスの方へ向かった。

高台高台で一夜を明かす

標高22mのところで、その先は道路が隆起してしまい乗り越えて行けそうなもののその先もダメな可能性が高い状態。車を乗り捨てて徒歩でもう少し上へ向かった。

避難した高台は国道の側道、ただの道端。余震が頻繁にあり地面が揺れない時間のほうが短い状態。そこには100人くらいの人がいたがみんな自分たちのことで精一杯なので、だれも他人とは話さない。

いつまでここで待てば良いのか。調べるための手段はスマホ。しかし妻の楽天回線は圏外。私のdocomo回線は普通に使えたので助かった。NHKプラスでテレビを確認したり、ネットニュースをみたりして、第4波まで到達して5mということがわかった。それを聴き車に戻ることにした。多分外には2時間以上いた。

輪島の街の方は火の手が上がり一晩中空が赤く染まっていた。

避難した高台からの輪島の大規模火災 18:50
した高台からの輪島の大規模火災 20:22

大津波警報から津波警報にかわり津波注意報に変わっていくにつれて、ここに避難していた人は降りて行った。私たちは土地勘もないし、飲み物とお菓子はたくさんあったので、この場にとどまり朝を迎えることにした。

もちろん余震はとても多く、車は走っているかのように揺れ続ける。ガソリンは十分にあったが1時間に1回15分エンジンをつけて温めるのを繰り返し朝まで過ごした。

一晩ここで過ごしながらさまざまな方面から情報収集をした。一番問題なのは帰路に使う道。しかも2日の夜からまとまった雨が降る予報になっていた輪島地方。輪島市街の道路がズタズタになっている様子からも、断崖沿いを走る道は使えないのが容易に想像できた。そうなると県道1号しかない。とはいえ何も情報がないので、X(Twitter)で呼びかけた。

これは5万PVにもなり数名の方から有力な情報をリプでいただき、それらを参考に帰路を決めた。

2024.1.2朝6時

この挨拶をする前に、上から一台の車が来たので、ライトを振り回し無理やり止めた。地元ナンバーの3、40代の男性。「私たち土地勘ない、この先はどうなっているか、避難所はどこがよいか?」という質問をさせていただいた。すると「この先上で崩れているから行くな。避難所はみんな輪島中学校に集まってる」と教えてくれた。きっと地元の方は、ご家族や友人の安否かわからない、今後どしたら良いかわからない不安な状態で自分のことで精一杯。余所者を避難所なんかに入れたくないはず。しかし輪島の人は本当に優しかった。

その方の話を聞き高台を降りていくことを決意。とりあえず輪島中学校へ向かおうとなり、この道を下ると、夜中はいなかった大型バスが一台。中には浴衣を着た観光客が満員だった。バスの運転手さんなら道路情報を持っているかもしれないからと聞いてみたが、「本部の指示待ち、きっと国道はダメかもしれない」という話しか出来なかった。

後で航空写真を確認すると2日の午後の時点でまだあのバスは同じ場所に止まっていた。その写真はこのポストで確認出来きる。

みんなが避難する輪島中学校

輪島中学校へは、避難している場所からは一度街中を走らなければならない。ゆっくりと車を進めると、倒壊した家が多数、道路も割れ目だらけ、輪島中学校は高台にありアクセスする道は、車がやっとすれ違えるかどうかの道幅。その道も亀裂が入り崩れてしまうのではないかと思うような状態だった。

輪島中学校

中学校はとても新しく建物は無事。体育館は窓ガラスが割れたしサッシごと落ちたりという状態だった。

ここは避難時に指定されているところだから、水くらい支給されているのかと思って他がそんなに甘くない。毛布にくるまり住民のみなさんが肩を寄せて体育館の床に座っている。ただそれだけで他にはなにもない。水も電気もトイレも使えない。排泄物はビニール袋に入れて1カ所に集めてあった。

我が家の子どもたちには食物アレルギーもある。しかも帰る場所があるのに帰れないかどうか確認もせずここにお世話になるわけにはいかない。という思いが湧いてきたので、輪島を後にすることを決意。

後にする前に、能登島のキャンピングトレーラーを止めさせてもらっているねやフィッシングパークの管理人の方にTELをかけてみた。すると県道1号が良いと私と同じ意見だったので、根拠のない自信に満たされ車を走らせた。

輪島市内の倒壊した建物
子どもにとってとても刺激的な景色になってしまった
一階が潰れてしまう

道なき道を行くアドベンチャー

速度は出せても15km/hほど。道路の亀裂や段差は車を運転しているとなかなか気づきにくい。それでも気づかず乗り越えてしまう事も何度もあったが、デリカD:5に履かせた新調したばかりのSUV用スタッドレスタイヤは難なくその段差を超えた。

割れて競り上がったアスファルト

山間に入ると、ポツポツとある民家では外で焚き火をしてお餅を家族で焼いていた。とても穏やかな景色に見えてしまった。輪島の街中の様子とはずいぶん違うと思いながら、話しかけられそうな方にはこの道が通れるか、お伺いしてみた。すると優しい表情で「土砂崩れはたくさんあるけれど通れるようになってる、トンネルがダメなところも昔の道はいけるから、大丈夫だ」と心強い情報をもらい車を勧めた。

かなり高い段差も多い

崖崩れの箇所で1カ所ひどい段差があり、そこで乗用車はみな引換していたが、20センチくらいの段差だ。そんな段差も難なくデリカは降りて、走行を続けた。

デリカを買うとき、オフロード性能があるのがカッコいいけれど、使うことはないんだよなーと思っていたが、それは勘違い。ちゃんと役に立った。

こんな土砂崩れら無数にあった
まさにアドベンチャー

消防隊の仕事

もう少しで穴水というところで、大きな標識が倒れ道を塞いでいた。ここまできたのにダメか?と思ったが他県の警察車両とユニック(クレーン)付きの消防車が止まっていた。手前で止まると消防隊の方が「今から撤去します。ここでお待ちください」とのこと。

大きな標識が倒れている
30分かからず撤去完了

この先大渋滞で、このポストに添付した動画を撮影し、最後の難関、片側が崩れ今にも落ちてしまいそうな道を抜け、穴水から七尾市に無事入った。

能登島に無事渡る

能登島へは2つの橋があるが、震災直後加良どちらの橋も通行止めになっていたが、能登島大橋が被害が少ないということで、2日の14:26には通ることができた。

能登島大橋

能登島大橋を渡たり左に曲がるとキャンピングトレーラーが止めてあるねやフィッシングパークに到着。管理人の方が心配そうに待っていてくれた。このとき能登島は断水はしているものの電気は来ているとのこと。ねやフィッシングパーク周辺はあまり被害がないように見えたが、能登島でも倒壊した建物がかなりあったことを後で知る。

被災しているにもかかわらず、こんなにも優しくしてくださるのとの方々はほんとうに素晴らしい!!絶対にまた遊びに来ると誓って、キャンピングトレーラーを引いて帰路に着いた。

ねやフィッシングパーク
ねやフィッシングパークの自販機で飲み物買って大喜びする我が家

能登半島から安全に帰る

ここから氷見の方に向かい北陸道にはいるのだが、氷見に続く沿岸の道はもちろんズタズタ、迂回に狭い山道を通る。このときねやフィッシングパークに滞在していたキャンピングトレーラー仲間の人が、通れたから大丈夫とは連絡をもらっていたものの、この時点で30時間以上寝ていない状態で頭が働かないと思い、国道159号から8号に入り大きい道を通って富山に入り無事帰宅することができた。

後書き

今回たまたま訪れた能登半島で、震災に遭いました。1日の観光の工程が少しでもずれると、輪島に到達せずもしかすると土砂崩れに生まれていたかもしれません。輪島市内でも、足湯の建物が頑丈だったこと、車を止めたところが車側に崩れるような壁などがなかったこと、などなど、たくさんの奇跡がかさなりこうして今、この文章を書くことができています。

日本で震災を体験したことはたまたまですが、体験したことのない人もたまたまだと言うことを忘れずに、まずは自分と家族の身が守れる準備をできる限りするよう、考えていただくきっかけにこの日記がお役に立てば幸いです。

被災されたすべての方へお見舞いを申し上げるとともに、お亡くなりになられた方々のお悔やみ申し上げます。

YouTubeに旅動画も上げています

テレビ朝日「グッド!モーニング」に取材頂きました

能登半島地震に被災した我が家の記録

こちらは、輪島で被災した次の日の朝から、車で能登半島を脱出する記録映像です。

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